10minutes diaries/337
令和4年9月20日(火)
なんか、ずっと途中で止まっている書き途中の小説があって、「何となく最後まで書けそうだなぁ」なんて安心してたら、しばらく開いてしまった。
たぶんまた書き始めたら、大した分量ではないとは思うけど、最後まで書けるんだろうなぁなんて気はしているのだけど、どうも気分が乗らないというか、腰が重いというか、そんな感じはしている。
時間が開くと、その時の気分というか、その時の新鮮度を閉じ込めたような書き方は出来ないけれど、別に焦ることでもないし、気分や感覚が変わったとしても、時間をかけて、それが例え何年かかろうとも、書こうなんてことは思っていた。
でも、思った。
別に、いつ死んでもいいのだけど、やっぱり書きたいというか、書き切りたいみたいのはあって、僕だっていつどうなるか分からないし、ダラダラしている間に、もしかしたらチャンスを逃してしまうのではないかなと。
音楽も才能も技術もないけど、もう少し、作りたいなぁみたいのはあるし、もしかしたら、多少負荷をかけてでも、例え気分が乗らなかったとしても、作るみたいなことは自分のためにやったほうがいいのかなって。
でも、こういうのも、おそらくは、行ったり来たりみたいなもんなんだろうなとも思う。
負荷をかける時もあれば、気分のままにやる時があってもいい。
そんなふうに思うようになったのは、シンプルと混沌のことを考えていた時のことだった。
例えば、アイデアが出る環境として、机を整理整頓したほうがいいという人もいれば、ぐちゃぐちゃにしておいたほうがいいという人もいる。
そして、どちらのタイプにも、一流と呼ばれる人はいて、感覚としても、どっちもありうるなというのは、想像できる。
僕は、どちらかと言えば、物等を減らしたいミニマリストよりの人間なので、できる限りシンプルにしていたいというのはある。
でも、やっぱり偶然性というか、そういうのはある気がして、例えば、かつてはサブスクの音楽のお気に入りのアーティストをかなり絞っていたりしたのだけど、聞く聞かないは別として、とりあえずいろんなアーティストを登録したら、ふとした時に、普段聞かないアーティストを聴いたりして、そこで新しい音楽に出会ったりしたりして、そんなのがすごく楽しかったりする。
もしかしたら、ある程度増えてきたら、また整理をするのかもしれないし、こうやって、なんというか、シンプルと混沌を行き来するというのは、すごく欲張りだし、その振り幅を楽しむというのは自分にあっているなと思った。
だいぶ、抽象的にまとめようとしているのかもしれないけど、そんなふうに、逆にある事象を行き来して、場合によっては、それは二項ではなく三項みたいなこともあるのかもしれないけど、決め切らずにふらふらするというのも、在り方としてはありなのかもしれないななんて思う。
まぁ、たぶんそのせいで、掴めない奴みたいに周りには思われるし、一つのことを出来ない器用貧乏なんてことも言われるのだけど、結構、楽しい人生になる気はするなぁ。
見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!