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10minutes diaries/310

令和4年8月24日(水)

先日のサマーソニックの中で、マキシマムザホルモンとかKing Gnuが、海外のアーティストを軽視してるんじゃないかみたいな問題がネットで若干炎上していて、実際にそのシーンを僕も見ていたわけだけど、その中で思ったことを残しておこうと思う。

マキシマムザホルモンについては、外国のアーティストが日本語でMCをやっている様子のパロディーみたいのをやっていて、正直あれに関しては、僕も「早くこのMC終わらないかな」って思っていた。
そのぐらい、あまり気分の良いものではなかった。
King Gnuについては、MANESKINのベースの女性が付けていたニップレスをパロディーしていたものだったが、これについては、その時はあまり何も思わなかったというか、後から聞いて、「あぁ、そうかもなぁ」と思った。
MANESKINについても、途中でメンバーの一人が猿の被り物をしたのだが、それを見た時に、僕も「あれはアジア人を馬鹿にしてるのかなぁ」と確かに思ったが、きっと、MAN WITH A MISSION的な感覚でやってたんだろうなぁと思っていた。いずれにせよ、たぶん、みんなそんなことを意図して無かったわけで、結果としてそういうふうに捉えられてしまったのだとは思う。
そういう意味においては、なかなか気を付けようもないのだが、周りの気づいた人が声をかけるなど、本当に丁寧に気をつけていかなければならないことなんだろうなぁと思う。

その上で、それを見ていて、僕が時に気になったのは、「笑い」という部分だった。
日本のアーティストは、そのパロディーが面白いと思ってやっていたわけであって、僕はどうだったかは別として、お客さんの中で、それを面白いと思っていた人も事実なんだと思う。
やっぱり日本の笑いというのは、おそらくたけど、ガラパゴスみたいなもので、非常に、なんというか学生ノリというか、そういった色の強いものなんだと思う。
だから、学生なんて悪ノリが多いし、若いが故に、人を傷つけるようなこともやってしまうし、それが、こうした状況で露呈したということのような気もする。
それは、笑いの質が高い低いではなくて、そういう笑いが主流である以上、こういったことが起きる可能性が非常に高いということをきちんと認識することが大事なんだと思う。

「芸人が政治を語るな」とかそういう議論がしばしば起こるんだけど、本来はそういうものをシニカルに嘲笑するのが芸人の役割であって、ある種のアーティストとしての側面なんだと思う。
ところが、日本においてはすぐに叩かれてしまうものだから、出る杭にはなれず、どんどん同質化して、狂気は骨抜きにされ、社会を風刺したような笑いは忌避され、ただ笑って消化されてしまうようなものばかりになっている。
芸人だって、本来はアウトサイダーなわけだから、どんどんその狂気を爆発させるべき、そうであってほしいと、僕は思ってしまう。
笑いは、僕から見れば、音楽と同様、高尚なものから下品なものまで、様々な概念を包括できる貴重な表現の一つであって、その寛容なものを、ここまで狭小なものに変えてしまったのは、我々の大きな責任だとは思う。
改めて思うのは、今一度、僕らは、芸術、表現というものの価値、意味を、やっぱり見直さなければならないし、そういう人たちが暴れられる場であったりを、許容する精神を、社会全体として作っていく必要があるような気はしている。
でも、きっと、そんなことをこの国において能動的に発生することを期待するのは難しいのだろうし、結局は、何か海外から来る黒船を待つことになるのだろうけど、そうこうしている間に、本当に我々の表現は死に近付いていってしまう気はしている。

見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!