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10minutes diaries/354

令和4年10月7日(金)

僕は、漠然とした不安を抱えている、のかもしれない。

細かいことを探せばまだあるのかもしれないけど、大枠的なことで言えば、人生の中でやりたいことは全てやったし、言いたいこともそれなりに言い尽くしてきたと思っているから、別に死ぬことも恐れてはいないつもりだし、もう満足したから、なんなら早く終わってほしいと思う瞬間すらある。
でも、一方で、「この仕事ちゃんと期限までに終わるかなぁ」とか「あの作品は作りきれるかなぁ」とか、なんだか心配したりなんかして、ちゃんと、ちょっと、気分が落ちたりもして、それはいわゆる不安と呼ばれるようなものだったりするのだと思う。
体調とか、タイミングとか、環境とか、当然その時の感情に影響する要素は色々あるのだけど、このマクロとミクロと言うにはあまりにも大雑把すぎる気もするけど、自分の中で矛盾というか、ある意味では別人格みたいなものが存在している。

「絶対大丈夫」
なんて、自らに言い聞かせている自分がいることに、ふと気がついたりして、でも、当然、そんな無責任なことは他人にはかけられないし、そんな自分を安心させる、鼓舞するような言葉を使っていることに嫌気も差す。
どちらかといえば、そういう嘘くさいポジティブさが嫌いだったりするし、わかりやすく前向きなものは、ひねくれものだから、素直に受け入れられない。
でも、やっぱり、どうやったって、無意識のうちに、それらを使い分けていて、都合よく使っている自分がいる。

多元的自己とか、分人といった言葉で表現されているように、自分という人格の中にも、多数の自分がいて、時に相矛盾したりするのだけど、どれも嘘偽りない自分であったりする。
そんな中で「こないだと言ってること違うじゃないか」なんて言わたりするのかもしれないけど、その期間で考えが変わることもあるし、その時の気分というか、人格によっても判断する結果が違うということも、往々にしてあるのだろう。
言っていることが違うというのは、信用問題に影響することであると思うけど、きっと、こんなふうに人はたくさんの人格を抱えているのだろうし、自分というアイデンティティを理解するために、人に理解してもらうためだけに整合性を取ろうとしているのだろうから、やっぱり、どうやったって、そこには無理が生じる。
そんなことは、みんな、きっとわかっているのだけど、そのぐらい「理解できない」ということが怖いことなんだとは思う。

見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!