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10minutes diaries/280

令和4年7月25日(月)

今日は、仕事が休みで、今、19:04時点で、僕は、家から自転車で7、8分のところにあるカフェに来ている。

今、僕は、なんだかすごく幸せな気分である。
結局、カフェに来て、のんびりと、こうして文章を書いたり、本を読んだりする時間が、もしかしたら一番好きな時間なのかもしれない。
この半年ちょっとぐらいは、多少なりとも勉強をしていて、それはそれで目標もあったし、知識が増えるのは楽しいし、コツコツやるのは苦手じゃないけど、やっぱりリラックスできないというか、まぁ、それは試験に向けて勉強していくわけだし、結果はどうでもいいとは言え、やるからには受かりたいと思っているわけで、どこか緊張感のある時間が続いていたんだと、終わってから、そんなことが客観的に見えてきたりする。

目標があった方が集中はするけど、やっぱり僕は真面目すぎるところがあるから、ちゃんとやらなきゃとなってしまって、どこか力んでしまう。
だから、自由が好きだし、暇が好きだし、世の中には一生懸命カレンダーの予定を埋めることが楽しい人もいるみたいだけど、僕はできる限り白い方が嬉しい。
自分勝手だし、思い通りに行かないのが嫌だし、思いついた時にやりたいから、結局、一人が好きだったりもする。

ずっと、そんな自分が嫌で、もっと人と、誰かと何かをすることをたくさんやるべきだと思ったし、目標に向かって何かをする人間になりたいと思ったし、そうやって生きてきた気がするけど、やっぱり自分には自分にあった生き方みたいのがある気がして、それがこの世界でのいわゆる正解ではないのかもしれないけど、どうせなら自分として生きたいと思って、そんな自分を受け入れられるようになってきた。

もちろん、前にも書いたけど、多少無理することによって、新しいことに出会えるというのはあるから、それも自身を堪能する上で大事なことだとは思うけど、もう、別に誰かに合わせる必要もないし、時代から取り残されてもいいし、変な人だと思われてもいいし、それによって嫌われてもいいし、それよりも自分に没入したいなと思った。

誰にも共感してもらえない本を読んで、カラオケを気にしない音楽を聞いて、何それって言われる映画を見て、理解できないファッションをして、そうやって、自分に没入することの方が、きっと、よっぽど勇気がいるし、心身共に熱量が必要だし、しんどい事のような気がする。
そして、その先にしか、本当に自分にしか作れない、自分が作るべきものは存在し得ないと思う。

いつ死ぬのかはわからないけど、もしかしたら、世の中にうつつを抜かしている暇なんてないのかもしれない。

見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!