10minutes diaries/338
令和4年9月21日(水)
働いて、帰って、飯食って、酒飲んで、テレビ見て、風呂入って、寝て、起きて、働く。
たまの休みには、夜更かしなんかして、話題の映画を見たりして、写真を撮るために作られたようなスイーツなんか食べたりして、SNSを充実させるためのような旅行なんかしたりして、ちょっと本なんか読んでみて、気がつけば休みは終わって、また、働く。
家族がいたりすれば、多少は違うのかもしれないけど、その間、たくさんの命を殺め、食し、それを糞尿として垂れ流し、ああでもないこうでもないと悩み、いがみ合い、時にわずかばかりの幸福を感じ、そんなふうにして、時と共に、いつかは体は壊れて、人生は終わる。
身も蓋もない話ではあるけど、やっぱり、人生とは一体何なのか、生きるとは一体何なのかということが、頭から離れることはない。
これだけ好き勝手やって、頂いている多くの命に相当するだけの生が、本当に、ここにあるのだろうか。
ピカソの絵も、ゲーテの詩も、モーツァルトの曲であっても、いつかは忘れ去られてしまうだろうし、だとするなら、こんな文章なんて、なおさら刹那にも生きられないようなものだし、どうせ死んでしまうのに、どうせ全ては無かったことになってしまうのに、人々は何やら「正解」みたいなものを求めているし、「成功」みたいなものを求めているし、そんな基準は、僅か、たったの数十年で変わってしまうというのに。
人類は、一体どこに向かっていて、一体何を残そうとしているのか。
どんなに考えても、むしろ考えれば考えるほど虚しくなっていくことはわかっているのだけど、一つ思うのが、この狂いそうな世界で、狂っている世界で、よくもまぁ、みんな正常に生きているなぁということ。
別に、正当化する気もさらさらないけど、気が狂って、いわゆる、事件みたいなものを起こしてしまった人の方が、よっぽど素直というか、語弊を恐れずにいうのであれば、普通の人のような気もしてくる。
なんて、こんな、ニヒリズムの王道みたいなことを言っても何の意味もないし、だからこそ、意味のない創作なんかをして、足掻きにもならない何かをしてみるのだけど、やっぱり全てはどうでもよくて、昨日の日記で言うなら、虚無の世界に行って、戻ってきて、そんなふうに、ふらふらしながら、息絶えるその時まで、「生きる」みたいなことをしていくんだと思う。
見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!