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10minutes diaries/352

令和4年10月5日(水)

本を読むとは、一体どういうことなのか。
うろ覚えではあるんだけど、昔、ACのCMで、本が積まれてて、「読んだ分だけ高いところから景色が見える」的なことをやってた。
まぁ、僕がどれだけ本を読めているかはわからないけど、体感としては、読むにつれて視野は広がっているような気もするから、体感としてはその感じはあるような気はしている。

今日、本を読んでいて思ったのは、これは、「自分の中に概念を取り入れる行為なのではないだろうか」ということだった。
なんとなく無意識で考えていたことが、言語化されているとか、概念としてロジカルに説明されているだとか、自分の中にバラバラにあったものがゲシュタルトとして浮かび上がるとか、読書にはそんな効用があるような気がする。
そして、それは、イメージとして適切かはあれだけど、自分の持っているセンサーの網目というか、その物事を前にした時に引っかかる網目のようなものを、その新たに獲得した概念がより細かいものにしているという感覚がある。
だから、読めば読むほど、色々なことに気づくようになるのだろうし、より多角的に物事を見れるようになるということがあるのだろう。

それは、もしかしたら、本だけではなくて、経験みたいなものもそうなのかもしれない。
よく「行動しないと意味がない」みたいなのに対して、「知るだけでも意味がある」みたいな言い方をされたりもするのだけど、きっとこれもそうで、当然その主体としては、最後は、行動させることに意味があるのだろうけど、知ってもらうことで、日常において、引っかかる網目を作るという効果があるということなんだと思う。

たぶん、性格とかが大いに関係するから、網目が粗い方がいいのか細かいほうがいいのかは一概には言えないとは思うし、ある方面では粗いけど、ある方面では細かいみたいなことも当然あると思う。
でも、たぶん、すごく抽象的だけど、ある程度の細かさを作るのが、いわゆるリベラルアーツと呼ばれるものなのだろうし、何かを議論する上でも、最低限のものは必要なのかなぁとは思う。

なんて、偉そうなことを言っては見たが、本を読む程に無知を痛感するわけで、当然、自分の網目もまた、大いに粗いものであることは自覚している。

見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!