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10minutes diaries/317

令和4年8月31日(水)

ある時から、音楽に疎くなったというか、どこか遠くなったと感じるようになって、この数年は、ずっとそんなことを考えていた。
単純に、音楽を聴いていた時間が、動画を見る時間になったとか、そういうのはあると思うけど、なんかそれだけではない気がしていて、それがなんなのかがずっと分からず、モヤモヤしていた。

いつだかに、ふと気がついたのは、そのタイミングというのは、もしかしたら、サブスクで音楽を聴くようになった時じゃないかということだった。
また、あの時はspotifyの日本版がなくて、今か今かと待ち続けて、やっとパソコンで使えた時は、本当に嬉しかったのを覚えている。
自称ミニマリストの自分としては、CDを持たなくていいし、ダウンロードで買うにしても、そこそこ値段はしたから、やっぱりサブスクは切望していたものではあった。

今思えばだが、それから、音楽の聴き方が大きく変わったんだろうなと思う。
新しいアーティストを見つけた時なんかは、前だったら、とりあえず、一番売れたアルバムをレンタルショップで借りるなりして聴いていたが、今は、代表曲を何曲か聴いて、フォローするか決める。
検索とか、おすすめとかが優れているから、すぐに新しいアーティストを発見できてしまうから、どうしても、一つ一つのアーティストをじっくり聴くみたいなことが減ってしまった。
また、アルバムを買ったり借りたりするから、必然的にアルバムとして音楽を聴いていたのが、曲ごとに聴くようになったりして、どの曲がどのアルバムに入っているかもわからなくなったし、アルバムとしての流れみたいのもわからなくなってしまった。
アルバムに入っちゃってるから、とりあえず、あんまり好きじゃない曲も一応聴いてて、でも、聴いているうちになんかいい曲だと思い始めるみたなことも減ってしまった。
もちろん、聴き方は自由だし、以前のような聴き方をすることだってできるのだけど、結果として、僕の音楽の聴き方は変わってしまった。
だから、サブスクによって、いろいろなものを得たのだろうけど、同じくらい何かを失ったようにも思う。

でも、なんだか、自分の音楽に疎くなった理由として、このサブスクが大きいというのは確かにある気がするのだが、それだけじゃない気がして、それが、冒頭にあったモヤモヤの理由だったのだが、もう一つ、気がついたことがあった。
それは、「CD屋さんに行かなくなったこと」だと思う。

サブスクの前には、厳密にいうとダウンロードの時期を挟むが、その前は、基本的に音楽を聴くにはCDを買うか、もしくはレンタルショップで借りるかしかなかった。
いろんな音楽を聴きたかった僕は、暇さえあれば、タワレコなどに行っていた。
僕にとっては、そこが新譜の情報を得る場だったし、昔のアーティストを知る場だったし、新しいアーティストを発掘する場になっていた。
それ以外も、新品ばっかり買っていたら、当然お金が足りなくなるので、中古のCD屋さんにも、足繁く通ったし、毎週のようにレンタルショップに行っては、10枚とか借りていた。

今思えばだけれども、そういう、ある種の無駄な動きの中で、いろんな情報を入手していたんだろうなと思う。
たぶん、それは、新聞とか紙の辞書をひくのとと同じようなもので、必要としている、求めている情報の他に、嫌顔でも、他の情報が入ってきてしまうみたいのがあって、それが意外と、自分にとっての音楽というものを豊かにしていたというのはあるのかもしれない。
また、お店に行くというのも、それなりの能動的な行動であって、家でネットで探すのとは、やっぱり何かが違うんだと思う。
今でも、本屋さんはよく行ったりするのだけど、そういえば、前は、その中の音楽雑誌のコーナーもよく行ってて、買いもしない雑誌を永遠に見て、たくさんの情報を得ていたものだった。

音楽に疎くなってきた理由は、たぶん、他にもいっぱいあるんだろうけど、このことに気がついた時に、どこか合点がいった気がした。
インターネットは大好きだし、その恩恵も大いに受けているわけだけど、こうやって、たぶん、気がついていないところで、同時に色々なものも失っているんだろうなと思う。
でも、一つ言えることは、やっぱり僕らはどんどん忙しくなってきているんだろうなということ。
当時は無駄だとは思っていなかったけど、今から見れば、たくさんの無駄なことをやっていたわけで、でも、その無駄が、ある種の豊かさを生み出していたわけで、そんな無駄なことができるだけの時間があったのだと思う。

音楽を楽しむにも、無駄が必要なのであって、やっぱり、僕らはもっと生を堪能するためにも、無駄を愛す必要があるのではないのかと、そんなことを思う。

見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!