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10minutes diaries/312

令和4年8月26日(金)

あれは、何年前ぐらいなんだろう。
もしかしたら、10年ぐらい前なのかもしれないけど、なんか、あの時は「即時性」みたいのが、ちょっと嫌になってきて、嫌になってきたというか、「すぐに答えらしきものがわかる」「すぐに反応がある」みたいなものに便利さを感じながらも、つまらないなぁと思うことがあって、「時差が生じるものを敢えてやろう」なんて、あいも変わらずひねくれてた僕は、そんなことを思った。

それで、ちょっとやっていたのが、使い捨てカメラで、デジタルみたいに撮れた画像をすぐに確認できるものではなくて、「できるまで待つ」というある種のタイムラグを楽しむということをやっていた。
ただ、これが、結局あまり続かなかったわけだが、理由は簡単で、バシバシ撮っていると、カメラ代も現像代も結構かかるわけで、当時、一人暮らしもしてたし、お金がもたないと思ってやめてしまった。

それで、次に、思いついたのが、タイムカプセルというか、ビンの中に手紙を入れて海に投げるみたいなことをしたいと思って、一方的に送りつける、日記をやろうと思った。
決めてから動くのは意外と早いわけで、すぐに大学ノートを5冊買ってきて、確か1ページ目にはルール説明を書いて、次のページには自分の日記を書いて、5人の知り合いに住所を聞いて送りつけた。
ルールと言っても、そんな大したことではなく、「何を書いてもいいし、書かなくてもいいし、めんどくさかったら捨ててもいいし、気が向いたら、他の誰かに送ってください」みたいなことだったと思うけど、最後のページには、たしか、その時住んでた自分の住所と電話番号を書いた記憶がある。
今思うと、個人情報だだ漏れであって、大丈夫なんかとは思うけど、僕がぼんやり願ってたのは、その5冊のうち一冊ぐらい、もし、自分の手元に戻ってきたら嬉しいなということだった。

ちなみに、10年経った今も、1冊も戻ってはきてないし、失礼なことを言えば、最初に送った5人も全員は思い出せない。
きっと、最初の方で躓いているような気もするし、まだ、誰かの家の本棚の奥の方にあれば
いい方で、きっと捨てられてるんだろうなぁとら思っている。
でも、これは、壮大なタイムラグの遊びであって、理論上では、僕が死ぬその瞬間までに戻ってくる可能性が0ではないわけで、ずっと楽しみに待つことができるというものだったりする。

ちなみに、家については、そこから数回引越しをしているけど、電話番号は変わってないから、電話してくれれば、たぶん出ると思います。

見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!