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10minutes diaries/307

令和4年8月21日(日)

「無駄なことにお金を使いたくない」
というのは、当然あるんだけど、ふと思う。
「無駄なこととは一体何なのだろうか」
と。

これは、ポジティブ変換の力もあるのだろうけど、仮に失敗しても、それはつまりは学びであって、ある意味では勉強代なわけだから、それは無駄なお金ではない。
中古で買えるものを新品で買ったらそれは無駄なのかと言えば、中古を探す時間を節約できるとか、故障する確率が減るとか、トータルで考えれば、それは結果論にすぎないが、無駄ではないのかもしれない。

僕は、すぐカフェに行くし、梯子するし、本を買うし、映画館に行くし、旅行も行くし、飲みにも行くし、見る人から見れば、無駄なのかもしれないけど、当の本人はそんなこと微塵も思っていなくて、これはもっと若いお金がなかった時からやっていたし、ある意味では自己投資だと思っていた。

だから、ふと、無駄なお金って何だろうて思っても、全然出てこなかったんだけど、唯一あるとすれば、クソつまらない飲み会に行った時ぐらいだろうか。
まぁ、それも断ればいいのだけど、どうしても行かなきゃいけないみたいなこともあって、それについては、無駄なお金だなぁとは思う。

でも、こと時間で考えると、無駄な時間みたいのは確かにあるなぁと思う。
よく、「待つ時間が無駄」みたいな話はあって、そりゃあ待たないほうがいいけど、待っている間だって、今はスマホとかがあるんだから、音楽聞いたっていいし、本を読んだっていいし、こんなふうに日記を書いたっていい。
別に、いくらでもやることなんてのは作ることができるわけであって、それらのことをやっていれば、もはやそれは「待っている時間」でもなくなる。

僕にとっての無駄な時間は、一つにはつまらない飲み会もそうだし、あてもなくYouTubeとかで動画を見てしまった時などは、そんなことを思う。
あとは、迷っている時間とかも、それに該当する気がする。
まぁ、「悩む」と「迷う」の違いはなんだみたいな話になるような気もするけど、悩むことは別にいいことだと思うし、当然時間がかかるものだったりするとは思うけど、迷うことに関しては、選択の問題だから、「えいや!」って決めるかどうかの話だと思っていて、結局はやってみないとわからないわけで、それが仮に失敗だったとしても、さっきの話で言えば勉強代であり、学びの時間だったわけだから、必要なことだと思う。

ただ、こうして考えてきて思ったのは、一生懸命生きてれば、おおむね無駄なものなんてないのだろうし、きっと、全ての人は、その人なりの人生を懸命に生きているのだから、究極的には、無駄なんてものは何もないんだろうなぁと思う。

見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!