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子育てから子育ちに見方を変えてみる

教師をしていた頃、あんなに目を輝かせて入学してきた子どもたちが、学年があがるにつれてその輝きがなくなることが不思議でなりませんでした。

それから数年が経ち、私は母になりました。

ちょっと目を話すと
仏壇の灰をぶちまける。
土を食べる。
枕の中身のソバを全部出す。
はいはいでどこまでも行く。

とっても困りました笑
けど、息子たちはとってもいい顔してるんですよね~
生き生きとして、目がキラキラして

だけど、それを止めると
これでもかと言うくらい泣きわめく。

あ、この人たち
私がこれやめてほしいという思いを持つように
これやりたい!という思いを持ってるんだ

そして、そこから
達成感感じて、いろんなこと学んで、
また何かを見つけていくんだね。

そんなことを思いました。
だけど、やっぱりいろんな事情があって、それを阻止したときに気づいたんです。

あ、これだ…この目知ってる
目の輝きを失ったあの子の目。

そう、私が見てきた小学生たちの姿。
様々な理由から、やりたい!を制限されてきたんだ。

すごくショックでした。

私が育てなきゃ、子育てしなきゃ。
一生懸命頑張ってきた。

だけど、違う。
この子は私の子だけど、私の子じゃない。

この子は、1人の人間だ。
子育てじゃない、「子育ち」を一緒にしてるんだ。

私にいろんな事情があるように、
この子にもいろんな事情がある。

だけど、この子は私の事情なんてご存知ない笑

母の事情、常識、
そんなことを気にしていないから
この子はこんなにおもしろいんだ。
だから、厄介でもあるのだけど…笑

この子がこのまま大きくなったらどんな世界ができるんだろう。
子どもたちみんな、制限なしに大きくなったら、もっとおもしろい世界見れるんじゃないかな?

その世界に生きる子どもたちはしあわせなんじゃないかなー
だって、やりたい!思ったら進めるんだもん!

私ら大人は、やりたい!思っても
あーだこーだと言い訳する。私もそう。
そんでできないを重ねるととっても毎日がつまらないものになる。
わたしが何者なのか、わたしは何がすきなのか、わたしは何が楽しいのか、わかんなくなる。

私もそうだったなーーー

なんか我慢してでも頑張らなきゃいけない、この世の中。

やりたい!楽しそう!だけで突き進んだら、そこにはきっと人もお金もついてくる。もちろん、努力は必要なのだろうけど、努力って言葉が似合わないくらい、ニタニタ楽しくなるんだろう。

私もよくストイックと言われたけど、そんなこと思ったことは一度もない。だって、これしたら絶対あれができる!と思ってたんだもん笑

やりたい!を尊重してもらえる環境にあったんだなとつくづく思う。だから、それがない社会は私には窮屈だったんだろうな。

子育てやめよう。子育ちしよう!
育てるなんておこがましい。
だって彼らも1人の人間。

大人とか大きい人ってだけだよ?笑
そんな人ができるのは、持ち上げてほら、見てる景色を変えてあげることなんじゃないかな?

さぁ、「わたし」広い視野持ててる?
景色見せてあげるためのゆとり(心、時間)持ててる?

その前にさ、「わたし」の声聞いてあげれてる?
余ってなけりゃ本当の「しあわせ」なんて、分けてあげられないよ。まずは、「わたし」をしあわせにしよ。

お母さんの前に、我が子の前に
1人の人間。

子育てで責任を1人で追わなくていいから
子育ちしてみんなで責任追おうや!

ほら見てみ、放っておいても、
ほら、またなんか学んでらっしゃる。

その手は、うまくいかなくて、
挫けそうなときに出せばいい
どうしたらできるかな?一緒に考えてあげたらいい。

任せてもらえる

こんな嬉しい事はないんだよ︎👍🏻 ̖́-
だけど、任せたからには、最後まで見守ってね。
任せたからもう知りません。あなたの責任です。
そんな上司は嫌でしょ?笑

すぐに変わらなくても大丈夫。
少しずつでいい。その積み重ねが、大きなものになる。

ありがとう。



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