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イッヒの私的萌論(未完)

イッヒ~は私的萌論を語りた~い
こんばんは、バーサクです。私的萌論、語ります。
萌とは「純愛」「可愛さ」「電波的要素」この三つが重なったものであると考えています。

なぜ純愛が必要か

「純愛じゃないと抜けない」という言葉があるように、純愛には心を満たしてくれる魅力がある、そう考えています。
そもそも論、純愛の対極に存在する「凌辱」「NTR」といったものには、我々に眠るSっ気をくすぶらせてくれる代わりに心に「人の心とかないんか?」という優しさからくる悲壮感、絶望感、のような悲しさが心にひしひしと響いてきます。(凌辱見てエロスしか感じない輩は人ではありません、蛮族です)
しかしながら純愛にはそんな毒は一切ない。萌の必須条件と言っていいでしょう。

なぜ可愛さが必要なのか

可愛くない萌などどこにある!以上!!(海原雄山風)
と言いたいところですが、キャラの外見による可愛さが無くてもそのキャラの内面的な可愛さによってブスキャラにも萌判定を下してしまう人も少なくない。
もちのろん、各個人がそれぞれ私的萌論を持っていることは良いことであるとは思っています。しかしながら私の私的萌論ではブスキャラの萌判定を禁止しています。
そもそも、可愛さとは性欲からくるもの。そのキャラで本当に抜けるのか(可愛すぎて抜けない場合もある)をもう一度よく考えた上で萌判定をしてほしい。

でんぱっぱーのーぱー

でんぱっぱーのーぱー、でんぱっぱーのーぱー。
電波の定義は非常に難しい、しかし敢えて定義づけるのであれば、見てて恥ずかしくなってくるものが近いのか、、な?「魔法少女」「ぴちぴちオタク女子」「超絶最かわてんしちゃん」などかっこいい、美しいなどで表現できないちょっと痛々しいものが近いのかな,,,と思います。
電波要素は「純愛」「可愛さ」を引き立てる一種のスパイスと言っても過言ではない。完璧な萌を目指すには必須であろう。

最後に

この萌論は正直未完成です。しかしながら、いつか完成するときを夢見て、このインターネットの世界を漂い続けますので今後ともご愛読よろしくお願いします。


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