ルメールvs武豊 同年齢同士で比較したらどっちがスゴイ!?(ルメール騎手の早期&無事の復帰をお待ちしています)
ルメール騎手のお早い復帰を願って投稿する
クリストフ・ルメール(44)
先日、ドバイターフのレース中に落馬事故があり、大きく負傷したクリストフ・ルメール騎手(44)。
よ、よんじゅうよん・・・?
どんなスポーツ選手でも、なかなか44歳で現役という人は少ない。
しかも圧倒的なトップの存在として彼は君臨している。
改めてスゴイこと。
ちなみにレジェンド・武豊騎手が大きな落馬事故に合った(毎日杯・騎乗馬ザタイキ)のは41歳のとき。
武豊が全盛期のような成績を残せなくなったのはあの落馬が大きな引き金になっている。と言われるほどの大事故。
その落馬事故より、今回のルメールは3つ年上での出来事。
ちょっと胸がざわつき、背中に冷たいものが走る。
「ルメールは本当に、以前のようなルメールとして帰ってこれるのか」
同年齢のときの武豊と比較してみたくなった
それと同時に、こんなことにも興味が湧いてきた。
今まで私は、
「ルメールがどれだけスゴイ成績を残したとしても、
俺は全盛期の武豊を見てきているからね。
印象の面でも数字の面でも、あれには敵わんよ」
「今のルメールと、今の武豊を比べたら、そりゃルメールが上なのは
しょうがないよ。武豊は50代だよ?『5爺』の一角だよ?」
と思ってきた。
しかし今のルメールが44歳とすると、
あれれ?44歳の武豊ってどんなかんじだったっけ?
そこで本稿では、
ルメールと武豊の成績を、同じ年齢同士で比較することにより、
ルメールと武豊、よりスゴイのはどっち?というのを
検証してみようと思う。
年間勝利数の比較
※調査の前提
1.Targetを用いているのでJRAでの勝ち星のみが対象。
2.年齢はその年の1月1日時点の年齢。
同年齢同士で比較するとルメールが上回る
まずはシンプルに、年間勝利数で比べてみたい。
下表は「何歳の時に何勝?」を表にしたもの。
網掛けしたのは「150勝以上」の年。
年間100勝は中堅クラスの騎手でも絶好調の年ならマークできるが、
150勝となるとそうはいかない。
これまで2人のほかには戸崎(2016,2017)、Mデムーロ(2017,2018)、
川田(2019,2020,2023)しかマークしていない異次元の数字なので、
そこに色を塗ってみた。
一目瞭然。
ルメールは、武豊より若いから成績を上げられているのではなく、
同年齢の時の武豊よりもスゴイ成績を上げている。
また、
色を塗った部分を見ると、
武豊は26-37歳が全盛期と言えるのに対し、
ルメールは36歳~44歳の今に至るまでまだ全盛期を続けていると言える。
もっと乱暴にまとめてダビスタ風にいえば、
武豊が早熟~持続型。
ルメールは晩成型。
といったところか。
ルメールの騎手人生
ルメールの騎手人生はちょっと変わったスタート。14歳の時に騎手を志すも「危険な仕事だから」と父に反対されて競馬学校入学を断念し、16歳からアマチュア免許を取得して競馬に乗り始める。
そして高校卒業して19歳のときにフランスで騎手デビュー。
そして22歳で早くも短期免許で来日。フランスでも有望な若手騎手だったのだろう。(以上、wikiに書いてありました。どこまで本当かはシランケド)
そしてそこから34歳まで10年以上も毎年短期免許で来日し続け、35歳でついにJRAへ完全移籍。
この時点で既にスポーツ選手としては普通に晩年へと入っていく年齢だ。
ところがそこから快進撃が始まる。
初年度(3月から騎乗。その3月をtwitter事件で1カ月騎乗停止、なので実質9カ月だけの騎乗)と、一昨年(コロナ禍で検疫や隔離が厳しく、サウジ、ドバイといった海外出張のたびに前後を長期間休まねばならなかった)を除けば毎年、150勝以上をマークし続けてきている。
最近のパブリックイメージは「何歳になっても一戦級で乗り続けている武豊ってすごいね」なのだが、実はその武豊以上に「何歳になっても全盛期の成績を続けているルメールって凄いね」なのである。
武豊の騎手人生
対して武豊。
デビューした17歳のときから69勝と新人離れした勝利数を上げ、
2年目に18歳で100勝を超えて早くも関西リーディングを獲得。
以降、約半年のフランス滞在を敢行した31歳の年(2001年)を除けば39歳となる2009年まで20年以上、一度も関西リーディングを譲らなかった。
且つ、関西リーディングをとった21回のうち全国リーディングを逃したのはたったの2度。
つまり実質、18歳~39歳まで「誰よりも勝っている騎手」であり続けた。
ということは、
昨今のパブリックイメージとは逆に、その早熟性がまず驚異なのである。「天才」と言われるゆえんである。そして絶対的な王者としての君臨期間がとてつもなく長かったこと。それがまた凄いのだ。
その武豊の成績が落ちたのが2010年。
40歳で年明けを迎えたこの年、満41歳の誕生日直後の3月に毎日杯でザタイキに騎乗して落馬。4~7月までまるまる4か月休むこととなった。
後に取材に答えて話しているように、ケガをした肩や腰の状態は万全と言える状態までは戻らず、復帰後も戦績は振るわなかった。
そこへもってきて、話の真贋はともかく噂好きの界隈で「ワーワー事件」と呼ばれるジャパンカップでのローズキングダム繰り上がり勝利の影響(?)もあり、2011年以降は騎乗馬の質・量も落ちていった。
勝率・勝利数はとても2009年まで隆盛を誇った騎手とは思えない有様になっていった。以降、現在に至るまでリーディングの座に返り咲いたことはないし、リーディング争いに参加できたと言えるような年もない。
武豊がもし2010年に落馬していなかったら・・・
ついそんなif世界線を考えたことのある競馬ファンは多いことだろう。
私もその一人だ。
それだけに今回、44歳で落馬したルメールを大いに心配しているし、
どうか後遺症なく戻ってきてほしいと願っている次第。
GI勝利数の比較
次に、GI勝利数を比較してみる。集計の前提は前項と同じ。
ここでも同年齢同士の比較ではルメールに軍配
前項に続いて一目瞭然。
35歳は武豊が上回り、
36歳では2人が並んでいる。
しかし37歳以降はルメールが毎年上回っている。
今回、網掛けの色を付けたのは年間4勝以上の年。
これは近年のルメールにとってのほぼスタンダードといえる数がそこだったので、いったんそこをラインにしてみた。
すると武豊と言えども、JRAでGIを年間4勝以上したのは騎手生活37年(昨年まで)にして通算8回であるのに対し、ルメールは短期免許取得から昨年までの9年で既に7回も達成しているということがわかる。
しかも、
ルメールが36~43歳までで7回なのに対し、
武豊は36歳以降は2度しか達成していない。
これを仮に「3勝以上」で色を塗ることにしたとしても、
ルメールが36~43歳まで8年連続であるのに対して、
武豊は最高でも4年連続までしかなく、ルメールと同じ36歳以降で見ると
2年連続が最高。通算も3回しかない。
ここにおいても「年齢が高いのに、そんなに勝ってるの??」という驚きや称賛は、武豊よりもルメールに対する言葉として相応しい。
武豊が上回っていることはないのか
ここまでの2項では、ルメール>武豊という結論ばかり。
これでは冒頭に書いた
「いくらルメールがスゴイと言っても、自分が見てきた全盛期の豊ほどではないはず・・・」
という私の想いは、ノスタルジー混じりの、事実に基づかない残念な主観に過ぎなかったことになってしまう。
ルメールがすごいことは十二分に認めつつ、それはそれで寂しさもある。
本当にあらゆる面でルメール>武豊であり、揺るがないのか。
社台系の勝ち鞍と、それ以外の勝ち鞍を見てみる
ちょっと違う角度からの比較もしてみたい。
これは、
「武豊は落馬の後遺症と『ワーワー事件』の影響でノーザンFを中心とした社台グループの生産馬に乗せてもらえなくなっていき、そのせいで成績が落ちたのである」
という言説の検証である。
また、
「そこに彗星のように登場したのがルメールである。彼がノーザンFを中心とした社台グループの主戦の座を武豊から奪い、今の隆盛がある」
という言説の真贋を確かめるために、ここは出来事の時系列がわかるように、同年齢での比較ではなく、暦の上での同一年比較を行ってみたい。
下表は、
社台系(社台F、ノーザンF、白老F、追分F)と
それ以外の牧場の生産馬について、
ルメール、武豊がそれぞれ何勝してきたかの履歴だ。
これを見ると、
「ルメールはJRA移籍以降の年間勝利数の半数以上が社台Gの生産馬だが、
武豊は、そんな年は元々全盛期の時にも一度もなかった」
「武豊は非社台系の生産馬の勝利数では、今でもルメールと互角かそれ以上である」
ということがわかる。
つまり武豊は昔から今に至るまでずっと、
「非社台系の生産馬に支えられて勝ち星を挙げてきた」
「社台系に依存してきていない」
ということのようだ。
今でも多くの調教師や馬主が
「武豊に乗ってもらうのが夢だった」「武豊でこのレースに挑めて嬉しい」
と公言するのをよく目にする。
これこそが武豊の真骨頂であり、数字に表れる部分でたとえルメールに負けていたとしても、「競馬と言えば武豊」という象徴としての存在感じたいは誰にも負けるものではない。
非社台系の生産馬に長年支持され続けているのは、その表れなのだろう。
小さな牧場や、そこで馬を買う決して大馬主ではない馬主たち。彼らからの絶対的な支持を集め、期待にこたえ続けてきた数十年の歴史が、武豊の凄さであり存在価値。そういうことかもしれない。
(「ウマ娘」のアニメ、ゲームに初期から彼の騎乗したスターホースが沢山登場することができた=社台Gが首を縦に振らないうちから、誰もが知っている馬を登場させてヒットにつなげることができた、のも、武豊の貢献といえるだろう)
武豊と比較させることじたいがルメールの凄さ
色々比較してきたが、
そもそもまず武豊がとんでもなくすごい。
そして、そんな武豊とこうして比較させるということ自体が、ルメールの凄さでもある。
つまりどっちもそれぞれの凄さがある!!
チープだがこれを本稿の結論としたい。
あらためてルメール騎手のお早い復帰と、後遺症なく従前のパフォーマンスを発揮してくれる姿を見るのを、心待ちにしています。
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