ホテル・ムンバイ

私は、このnoteを使ってるのは、ライターさんになりたいとか、すでにライター稼業だけど、仕事の幅をさらに広げたいとか、そんなことではない。

生業、金銭を得たい、そういうことでもない。自己表現の場を持ちたい、というわけでもない。ただの素人です。でも素人を名乗るっていいよね、計算なんて端っから無いんだから。ピュアだと言えば、そうかもしれない。

ネットのおかげ、もしくは、コロナによる在宅稼業ブームのおかげで、「自称」ライターが多くなったような気がする。でもその中で勝てるのは、筋力のある実力派か、マーケテイングしまくって売れ筋を熟知してる人か、誰も体験したことのない稀有なことを書ける人しかいないと思う。

あー、もういいや。うだうだ書くのは、脳内断捨離できない高齢者みたいだ。

今日、久々に書く気になったのは、15年ぶりに映画がマイブームになってきたから。

かつて毎週10本くらい映画観てたんだけど、しばらくしたら、そんなことどうでもよくなって、人と直に、どんなくだらないことでもいいから接したほうが生きてるって感じがして随分長いこと観てなかったの。最近、復活したのは、仕事も友人も無いから、時間潰しにまた戻っただけ。

自死した若い俳優さんの映画を数本レンタルしたついでに(彼のことはニュースになるまで知らなかったけど、その後ネットで追っかけて、死後になって強烈なファンになった。あのくしゃっとした笑顔が素敵だ。信じられない人が多すぎるこの世界だけど、私はあの、くしゃっ、を観て、少なくともこれは信じられると思った。

で、彼の映画を3本レンタルして(クレジットカードとか使いたく無いから=ネットのセキュリティを一切信用してないから、N、、なんとかは使わない)、ついでにレンタルした、「ホテル・ムンバイ」。

打たれた。泣いた。

私はムンバイには行ったことはない。

タイから、カルカッタ、プーリー、バナラシ、カジュラホ、アグラ、デリー、シュリナーガル、カルギル、レー、マナーリー、シムラ、ウッタルカーシー、ガンゴートリー、ゴームク、リシケシ、ラクナウ、(以下ネパール)ポカラ、カトマンドゥ、(以下インド)ダージリン、カリンポン、(ほんでもって一回カルカッタに戻ってからいきなり)ジャイプール、プシュカル、ウダイプル、アーメダバード、それからカルカッタ行って、タイに戻った。

ざっくり北部のみ。

これからやってくる親の介護、いや、それ以上に私の経済力の無さゆえ、南部に行くことはもう不可能だろう。

それに、北インドを巡ったのは30年以上前の話だ。体力も自信がない。加えて、30年前は親日家のインド人の方々に、若い日本の女の子、っていうだけで、随分親切にしていただいた。危険を逃れさせていただいたことも多い。

だけど今は、おばさん。おばさんは弱者だ。大体、服がぼちぼち百貨店のミッシーコーナーにシフトしろよ!って、この体型ルックスが強烈に説得し始めている。

かつて良い仕事をしてたとか、多少のモテ期があったとか、それらは全てチャラなわけで、「いま、ここ、この状態」をありのまま受け入れ、「1分前よりベターな私」なんてせこいことを考えるわけでもなく、「1分前よりベターな社会作り」に貢献すべく動かなくてはいかんのだ!

だって、せいぜいあと30年後には生きてるかわからないし、生きてても認知症になる可能性が高い。頭と体がなんとか動くのは、今がぎりぎりなのかもしれないのだから。

で!さっき「ホテル・ムンバイ」を観終えた。インド人の皆様にかつて旅先では大変お世話になったので、感情移入が半端なく、ボロ泣き。(最近、使われすぎてる、「号泣」って言葉はあえて使わない。この言葉を使った途端、自分の感情が型に押し込められてる感じがするから。それぞれの人たちが泣く時の感情って、こんな「号泣」なんて、一定の型にはまった言葉で表現できる程度のものなのか?個人差それぞれあると思うんだけど。)

宗教じゃないし、人種でもないし、貧富の差でもないし。

そんなもんで、人間分割されてたまるかー!って思った。

私は非正規歴長いけど、正規で働いてる人、非正規を見下さないで。あなたたちの給与は非正規の犠牲の下に成り立ってるんだから、非正規をリスペクトしてほしい。

イスラムだからって、全員テロリストみたいに思わんといて!イスラム教って勉強したことある?私は放送大学で学んだけど、あれは愛すべき宗教だよ。

アメリカ人、イギリス人だからって、敵対視ないで!そして、発展途上国の人だからって、軽く見ないで!

人を見て欲しい。個人で見て欲しい。正規も非正規も宗教も人種も関係なく、個人で見てほしい。

誰が何に命をかけてるかって、それぞれのバックグラウンドを辿ると、必ず理由があるもの。それらをリスペクトし合うことが、自分を愛することでもあると思う。

私は、失業中の身でもあるし、若くないし、今後どうなるのか全くわからない。

夜中に何度も目が覚める。

正直、話しやすい人は、本音で語れる人や語りたいと思える人はごくごくごくごくごく少数だし、また私の性格も癖がある。

だけどね、たまたまこの時代に生まれた地球の生命体として、何かしら意味のある生存期間を過ごしたいと願っている。

ただ、フレンドリーに、枠にはまらず、世界中の人たちやいろんな世代やいろんな職業の(ってか環境下に置かれてる)人たち、どんどん語り合っていきたいなーと思ってる。

人がたくさん殺される!

そんな映画を観たあとなのに、上記の感想は脳内がお花畑だ。

私はチキンだ。

もし、自分があの場にいたら、、。と考えると現実になってしまいそうで、なるべくそんなことを考えないようにしながら、映画を観てた。

実際に世界のあちこちには、あの事件からかろうじて生存できた人たちが大勢いる。この映画の感想がもし、その中の誰かに読まれたら、こんな軽い感想文なんかに対し、どんな思いを持つだろう?

昔、ある国でひどい人種差別を受けたことがあった。その時の話を知人に話したら、「あっそ、、それでさ、、」とどうでもいい話にさくっと切り替えられた時、私の存在を無視されたような気がした。だけど、それでも書けない。

私が、あの映画に対峙した感想をまともに書けないのは、怖いからだ。まともに書くと、私が行きたくない世界に引きづり込まれてしまう。

だから、ごめんなさい。書けません。

と、ホテル・ムンバイを観て思いました。

ところで、あの映画にも出てきた調理長さん。数年前に日本の帝国ホテルに招待されて、1週間くらいインド料理フェスを実行されたらしい。

知ってたら、ぜひ行きたかった。

料理だけでなく、指導者として、命をかけることができる、プロフェッショナルな方の作品を、私の分際だけど、味わせてもらいたかった。

あー、書いてるうちに、いろんな思いがつぎはぎにランダムに頭の中に湧き溢れてくる。亡くなられた方たちの苦しい思いが一挙に私の中になだれ込んでくるようだ。

これ以上、書くの止めておこう。私が壊れそうだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?