習慣をひとつだけ変えてみた

長いことご無沙汰してた、映画のレンタル。

昔々、映画にどどーっと凝った時期が18年くらいぶっ通しで続いた時、どちらかと言えばカルト系の映画とカンヌ映画祭受賞作品にこだわってた。なんとなく「知的な」感じがしてたから。

で、ここ10年くらい、資格取得だの、旅行だのにこだわり、時間が取れなかったため、また、映画観すぎて飽きたってこともあり、嵐のような映画レンタルブームからはご無沙汰していた。

だけど、また始まってしまったんだ。時間があるから、だけではない。

未来への不安を、頭がおかしくなりそうなくらいに、反芻し、不眠が続きすぎてしまうから。

反芻、不眠については、マインドフルネス が効くとあり、とりあえず、用もないのに歩きまくったり、チャリに乗ったりしてみてはいるのだけど、それでも眠れない。

何か没頭できるものはないかと、自分なりに探した結果、一周巡ってワン!とばかりに、映画三昧をやってみることにした。

でもね、時間が経てば人間変わる。

なんかこう、以前みたいに、カンヌとかカルトとかにこだわるの、今の私とはズレがあって、で、これまで観なかったような緩い邦画とか観てたら、そこからの連鎖反応で、なぜか、アカデミー賞脚本賞受賞作品に興味を持った。

この賞については、なんかこう、裏でお金とか権力とか動いてるんだろうなあ、って勘繰ってしまい、「だからなんやねん?」ってずっと思ってた。

なんだけど、違う発想にあえて自身を埋れさせてみると、何か発見があるかもしれないし、アカデミー賞にしたって、ある程度のレベルが無いと取れるものじゃないのはわかっている。

でもそこんとこ、昔みたいに、揚げ足取りに精を出すのは止めて、軽く乗っかってみることにした。

軽く乗っかる→自分の頭でちゃんと考えてない→間接的に誰かのビジネスの陰謀にハマっている→誰かに利用されている→私は舐められている、、と、そんな風に以前は考えてたんだけど、そういうのもすべていったんチャラにして、ただ自分VS自分の外からやってくるもの、と、先入観抜きで当たってみることにした。

昨日レンタルしたのが、「フィクサー」。2008年に脚本賞にノミネートされてる。いい映画だった。

で、今日は、「ゲット・アウト」をレンタル。これは2018年に脚本賞を取った。今、観始めたとこ。だから感想はまだ書けないが、出だしはいい感じである。

で、映画のレンタルの基準を変えた、っていうことが、私の習慣をひとつ変えたってことで、そうしたら、レンタルの帰り道にある、たこ焼き屋さんでたこ焼きを買いたくなった。このたこ焼き屋さんは中高生の頃は、月イチ以下の割合でゆる〜く通っていたが、最後に行ったのは20年くらい前だろうか?

店主のしゃきしゃきっとしたおじさんおばさんは、柔らかなおじいさんおばあさんになっていた。普通の接客だったと思ったが、きめ細やかで優しい心遣いだった。昔の私が気づかなかったのか?それとも子供への接客だったのか?彼らが変わったのか?

いずれにせよ、時間はあらゆることを変えてしまうんだ。

帰宅して、夕食まで2時間だというのに、たこ焼きかじりながら、「ゲット・アウト」の始まりの部分を観た。こうやって観てる私は、昔の映画鑑賞マイブームだったころの私とは明らかに別人だ。

でも寂しいとかしみじみとかしない。これが今、ここにいる私だから。

とりあえず今は、こういうことになっているだけなのだから。


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