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「避けられないものは、抱きしめなければならない」


冬の気配がだんだん濃くなってきて、空模様も不安定なこのごろ。
長男はこの1週間ほど、興奮しやすくなっている。良くも悪くも。
ニコニコしているのに、ドタンバタンと手足を床に打ち付ける。
体をのけぞらせて伏臥上体反らし状になり、くるんと寝返りしたと思ったら
白いレースのカーテンに顔をこすって、点々と血痕がつく(どこかで口の中を切っていた模様)。
でもまあ、機嫌もよく、体調もいいので、危険がないよう見守るしかない。

昨日、定期受診したときも、病院の待合スペースで、ちょっとした音に反応して腕をブンブンと振ったら、後ろの席にいた方の頭に当たってしまって肝を冷やした。他に空いている場所もなく、もうすぐ呼ばれそうだしと、なんとか凌いだ。

病院はたくさんの音に溢れている。診察の呼び出し音、呼び出す声、患者たちの話声、患者を呼び出す声、受付の声に計算窓口の声。薬ができましたのチャイム。意識し始めたらこちらがピリピリしてくる。
もし、もっとひどく興奮するようなら、今日は受診しないで帰っちゃおう。
そんなふうに思うことで、気持ちがたかぶるのを抑えられた。

全て終わって、駐車場へ。
冷たい、むしろ気持ちのいい風を受けながら、車に向かう。空きがなく、遠くに停めてきたので、よいしょよいしょと車椅子を押す。

お昼の時間までに事業所に長男を送り届け、さあ、これからは自分の時間。
やっと解放された。
でも昼寝をしたら、(予想もしていたけど、)頭痛・肩こりが始まっていた。病院の空気に負けたかな。緊張のせいかな。忙しく動きすぎたな。目の奥も痛くて、せっかくの午後をダラダラとすごした。

興奮ぽい様子になって以来、夜も必ず何度か目を覚まして、腕をバタンバタンと騒がせる。この日の夜も同様だった。1時半にセルシン(興奮を鎮める頓服薬)を飲ませたら、30分だけ眠ってまた起きた。

バタンバタンとするからさらに興奮に拍車がかかるんだと思い、手をつないだ。しばらく抵抗したが、包むように両手のひらで挟むと、だんだんと大人しくなり、そのまま2時間ほど眠った。

すると今度はマル太郎がなぜか起き出して、床をカチャカチャと歩いている。かすかにクンクン言っている。寒いのか寂しいのか、どこか具合が悪いのか。
長男も眠りが浅く、それでまた目覚める。またバタンバタン。
もう、なんで二人(マル太郎も人間カウント)してそうなるんだよ!

マル太郎をちょっとナデナデしに行き、部屋に戻るが、私もイライラして、もう手をつなぐ気にならない。「早く寝てよ」と言い捨てて反対側向いて布団にくるまった。眠ろうとしても、長男の興奮は続いているから、痰が絡まりだす。吸引しなくちゃ。
結局、長男が落ち着かないと私も眠れないようになっている。

ぐっとこらえて、また何事もなかったように手を包んでつなぐ。するとさっきのように興奮が収まってすーすーと綺麗な呼吸がはじまった。受け入れられたと感じるのかもしれない。

でも、私はもう起きなきゃならない時間だ。げっそりしつつ身支度する。
頭痛と肩こりはまだ続いている。
ああ、でも今日はショートステイに行ける!熱は出ていなかった。ありがたい!それを頼みにお弁当を作り、朝の準備をする。


「今、この状態を何とかしたい」という時。
理論じゃなく、計算じゃなく、方法じゃなく、経験でもなく。
今、苦しんでいるその状態を落ち着かせたい。

数年前になるが、行動障害について考えるワークショップに参加した。
午前9時から午後7時まで。お昼をはさんでみっちり9時間。
参加者は20名ほどで、介護職、特別支援学校の教師といった方たち。保護者からの参加は私1人だった。すごく場違いな感じがしたが、参加資格はとくになかった。長男は気管切開と胃ろう状態になって日も浅く、不機嫌な日ばかりの頃であったと思う。

丸一日がかりで、まず考え方や実践事例から聞き、それから実技になる。
分厚い本になっているもので、細かいことはすっかり忘れているが、ひとつだけ、残っていること。それは、共振すること。力の「やりとり」をすること。

長男から発しているエネルギーを受け取り、こちらからも力を送りだす。押されたり、押し返したりを続ける(力の「やりとり」)。だんだんと波長がゆるくちいさくなっていく。そういうイメージで、不本意にも動いてしまう体を支えること。

方法論ではなく、今、目の前の苦しさをなんとかすること。なんとかしよう、と思って体に触れていると、なんとかなるような気がした。実際、落ち着いてくることが多くなった。興奮状態の長男の手を包むようにつないでいると、その実技だけが思い出される。


先日、ラジオから聞こえてきた。

「避けられないものは、抱きしめなければならない」
byシェークスピア
、だそうだ。

その時このワークショップを、「力のやりとり」を、思い出した。

長男に背を向けて布団にくるまった時、自分は拒否されたと感じただろう。体に触れる。手をつなぐ。体温を通わせる。お互い手を握り、力を入れたり緩めたりする。それが肯定感や安心感になって、長男はだんだんと落ち着いていくのだと思う。

「避けられないものは、抱きしめなければならない」。
実際、相手が自分を収められなくなっている時には、抱きしめるしかない。イライラしたり諦めたりして背を向けることなく、しぶしぶでも向き合って触れ合うことで、だんだんとお互いに肯定し合い、心も体も安定してくるのかなと思う。

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