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息子のこと

長男が小さい頃から、33歳の今に至るまで聞かれる「どこまで理解できていますか」「何が出来て何が出来ませんか」。

親としては得々と答えていた。これはわかるようですが、あとはざっくりですね、とか。いきおいで寝がえりもしてます、とか。

それがこの10年ほどですっかり変わった。

この人はすべてわかっている。

そう思うようになったのは、多分、知ってる方も多いと思うが、山元加津子さんの著書『満月をきれいと僕は言えるぞ』を読んでからだった。

金沢の特別支援学校の教諭であったころ、同僚が脳幹出血で余命3日または植物状態、という状況になったとき、その見開いた瞳をしっかり見つめて、話しかけ、体を動かし、働きかけ続けて奇跡のような回復を果たした物語。(こんな、簡単に要約してしまうのはあまりに失礼だが、私の記憶がおぼろげすぎて、ご容赦ください。)

そこからつながって、「指談」の世界へ。國學院大學の柴田保之教授をお招きして、重症心身障害者や強度の行動障害のある人たちが「対話」をする経験を何度かした。柴田先生はその人の指で自分の手のひらに文字を書かせて、言葉を導き出す。

「科学的な根拠がない」「インチキだ」「思い込みだ」「宗教みたい」と言う人はいつもいた。しかし、ある生活介護施設を運営する人の本で、「わからないと思ってつきあうより、わかっていると思ってつきあうほうがお互いにいい」と言っている個所があり、勇気を得て心に刻んだ。

実際、長男もその「指談」に参加していると、2時間ほどの長時間、ずっと穏やかな表情で、周りを眺めて、満足そうなのだ。はじめのころ、私にも「いやしかしまさかね」という思いがあったが、長男の表情に「うーん、もしかすると」という気持ちが生まれてきたのだった。

そして、何度か参加するようになって、確実に長男の「気難しさ」や「暴れる」ことが減って行った。私の意識が変化することで、接し方も徐々に変わっていたからだと思う。

話しかけ、応答はなくても了解をもらう(もらったことにする)。「どっちにする?」と聞いては目つきや小さな動きで「こっちかな」と答える。

今思い出したが、ある講演会で、重度障害があっても体のどこかで反応しているというお話があった。例に上がっていた人は、yes、noの返事を、足先をぎゅっとしたり、またある人はお尻をきゅっとしたり、そうやって返事をしていたと聞いて、これはすごいぞ!と感心した。それに気づく努力も並大抵でないことだと思った。

そういった事柄に出会ってきて、今は大きな後悔がある。もっとそのようにして、長男に働きかけてくればよかったと。「ここまではわかっているようだ」と、私が決めたらそこで止まってしまう。私の意識が停まってしまう。それが長年、長男を苦しめてきたのかも知れない。

長男の瞳の奥にある心。行動の奥にある心。その命の真ん中にある心。

人は科学的根拠ばかりで生きるわけじゃない。言葉や意識では掬い取れないもの、指の間からこぼれていくもの、言葉を持たないもの、無意識の闇の中にあるものこそ大切にしたい。

とまれ2

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近い将来、長男は施設で暮らすことになる。もう親の力じゃ介護は限界に近い。

そういう今頃になり、家族と長男の関係はとてもよくなったと思う。とくに私とは、目を合わせればお互いニッコリする。幸せを感じる。

やっと俺を認めてくれたのか、と言われているのかな。今まで全部決めてきてゴメン。守れるのは自分だけだと勘違いしていたんだよ。

施設生活は彼にとっての「自立」、社会参加だ。きっとあの笑顔で、職員さんたちとの関係も立派に築いて行けると信じる。

私たち夫婦も、きょうだいも、長男の社会参加に伴走していく。まだまだこれから。私の定年後はこんな感じなんだなあ。

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