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カラスのアリスと子どもたち

アリスは高い屋根に羽を休めて、眼下を見下ろしていた。
これは・・・ここにどうやって参加したらいいんだろう。
この群衆。
今日一日の食糧を求めて群がるこの喧噪。
「母上、なかなか刺激的な場所ですよ!」
戻って来た長男の一太郎が、大人しい彼には珍しい興奮した口調で言った。

今日、アリスは子ども達を全員連れて、遠出してきた。みんなしっかり飛べるようになったから、たまには外食もしてみようということになったのだ。
一太郎、次助、三平に四之助、ゴードン、ロッキー、セバスチャンの順にずらりと並んでいる。そしてアリスに寄り添うように、8番目のエイドリアンが、黒い目をきょときょとさせている。

稲刈りが終わり、下界では田んぼが掘り起こされて、次の春まで雪の下になる準備をしている。サギや地元のカラスたちは、雪が積もってしまう前に、掘り起こされる虫を探すのが通例だ。人間が乗ったトラクターの後ろから、そっちこっちと啄みながら歩くのだ。

しかし眼下のこの田んぼは稲刈りをしていない。
春の田植え以来まったく人手が入っていないため、雑草も稲もそのままで、それぞれの実をつけている。
長いこと人の気配がないので、虫も自由に生息している。
毎年こんな状態にして、サトシはどういう了見なんだろうと、通りかかる人間たちが噂する。
ここは鳥界では有名なフードコート、「サトシの田んぼ」なのだ。

子だくさんなアリスは、なかなか家族みんなで遠出ができず、生まれた山の近くで地道に虫を探すほかは、木の実を道路で割っては食糧としてきた。
この夏に末っ子のエイドリアンが飛べるようになり、きょうだい8羽を引き連れて、初めて、噂の「サトシの田んぼ」にやって来たのだった。

昨日は子どもたちみんなが興奮状態で、まるでテーマパークに行くかのように浮足立ち、落ち着いて電線に止まっていられないくらいだった。アリスも久しぶりの遠出なので、少し不安はあったが、ウキウキした気持ちは隠せず、クルミを運んでいる途中、しょっちゅう嘴から落としていた。

そして今朝、サトシの田んぼに着いてみれば。
この賑わい。
エイドリアンを迷子にしたらいけない。
アリスはまずそれを思った。


ひととおり田んぼの様子を見てきた一太郎は、弟たちを従えてまた飛び出していった。
ロッキーとセバスチャンは、動かないでモジモジしている。
「あなたたちは行かないの?」
アリスが訊くと、「ちょっと怖いの」と2羽がハモった。
「そうよね。お母さんもちょっと怖いよ。
ま、噂の「サトシの田んぼ」が見られただけでもよかったよね。
それにしても、鳥だらけね。カラスと雀くらいしか知らんけど。
あの綺麗な青い羽根の鳥、初めて見たわ。サギってこうして眺めると顔コワイけど、綺麗で大きいねぇ。カラスの嘴って、なんかデカくね?」

田んぼに降りて行った子どもたちにそれとなく目を配りながら、アリスは誰に言うともなくつぶやく。おのぼりさん気分だなと思いながら、少し気持ちが浮き立つ。

5羽の兄たちは、それぞれが大小の「のたくり虫」をくわえて戻って来て、行かなかったアリスや弟、妹に分けていた。
「あなたたち、お腹いっぱい食べられたの?」
アリスが聞くと、次助が「いやいや、とんでもないですよここは。ちょっとよそ見してるともう目の前ののたくり虫はかすめ取られているんです。サギさんなんか、あの長い嘴でフェイントかけてくるから、気が気じゃない。」
三平も「兄ちゃんは、あの綺麗な青い羽根の子に見とれてたからね」とおどける。四之助が目を丸くして「え、あの子、男の子じゃないの?」
「関係ないよ。綺麗なものは綺麗なのさ」次助が兄さん風を吹かせて言う。

ゴードンはいつもちょっとまわりと違うものを眺めているような子だが、アリスはその感覚を大事にしたいと思う。その視線が功を奏してか、あの混雑のなかでもしっかりお腹は膨れたようだ。おまけに稲の穂先を数本、エイドリアンの土産にくわえてきた。

「そろそろ帰ろうか。日が沈むまでに山に着きたいからね。」
みんなはまた連れだって、屋根から飛び立った。


途中休憩した屋根から再び山に向かって飛び立つと、下の原っぱから、雀の集団がまるで茶色の煙のように舞い上がった。
これが「雀の煙幕」か!
気を付けろと聞いてはいたが、こんな間近で見るのは初めてだ。
上手く流れをかわしたと思い、子ども達を振り返ると、エイドリアンが見当たらない。
「ロッキー!エイドリアンは!?」


「エーイドリア―――ン!!」


一番仲の良いロッキーは、「僕が行く!」と言った瞬間にもう姿がなかった。
アリスやほかの兄弟たちも、手分けして四方八方に散った。

やがて、5時の時報のメロディが鳴った。
♪ からす なぜ鳴くの からすは山に 可愛い七つの子があるからよ ♪
「冗談じゃない!七つじゃないよ、八つだからね!なんでまた人間は七つなんて・・・縁起でもない!」
アリスは心配を振り払うようにバタバタと羽を騒がせた。


あちらこちらと探しながら、ロッキーがふと水色の建物に目を遣ると、3階のベランダに小さなエイドリアンが見えた。

「エーイドリア―――ン!!」

速攻ですっ飛んで行く。

「エイドリアン!大丈夫か?ママが心配しているよ!」
ロッキーはベランダ近くの木の枝に止まって、しきりに羽搏きをした。

「あっ、ロッキー兄ちゃん来てくれました!
タクさん、お元気で!またお話しようね!」
ベランダの人間に囁き、掛けてある毛布の上に稲穂を落とすと、エイドリアンはすぐさまロッキーと一緒に飛び立った。

ベランダでストレッチャーに仰向けになっていた青年は、毛布の下の足指を握ったり開いたりしていた。
「エアコンの掃除、終わったよ。日向ぼっこももう終わり」
介護士らしい青年がストレッチャーをベランダから部屋に移動させながら、
「タクくんまた足をぐっぱしているんだね?
今日は何のサインかなぁ。えーと、エアコンの掃除ありがとう、かな?
・・・なーんてね。俺が自分で言うかね!
あれ、なんでこんなところに稲が落ちてるの?」
青年は拾い上げ、
「稲刈りももう終わるよね。これ、お米が入ってるんだよ。」とタクと呼ばれた青年の枕元にそっと置いた。



晩御飯も終えて、ほっと一息ついたアリスは
「鳥混みはやっぱり苦手だわ」と呟いた。
子どもたちも、あの喧噪にはたまげたようだったが
「面白かったよね。たまにはいいかなぁ」
「虫いっぱいいたけど、やせっぽちが多かった気がする」
「初めて見る鳥さんがいて、楽しかったよ」
感想はさまざまだ。

一太郎と次助と三平には、そろそろご飯の調達を手伝ってもらおう。
サトシの田んぼは、子ども達がもっと逞しくなったら、自分で行けばいい。
クルミが今年は豊作って言ってたから、車に割って行ってもらおう。
虫だってコツコツ探せば見つかるんだし。
地場産虫が安心よね。

アリスは、みんなが無事に戻れてよかったと、眠る支度をしている8羽の子どもたちを満足げに眺めた。



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