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さがしものはなんですか


中学生になったばかりの頃、仲良し2人と将来について話をしていた。

1人は、保育士が夢。1人は宝塚歌劇団に入るのが夢。二人ともピアノは必須なので、すでに勉強を始めていた。

私は、漫画家になりたかった。

漫画家といえば、アパートにこもって朝も昼も夜も、原稿を描き続けるイメージ。そのころ憧れだった萩尾望都のエッセイまんがに、一週間分の玉子を茹でて目の前に山盛りにし、原稿描きながらそれを食べ続けた、というのがあった。

きゃーすてき!となる。

いや、素敵かどうかはわからないが、憧れの人生を歩んでいる人の茹で玉子生活は、素敵に思えた。

それで、その友だち2人と一緒に、高校を卒業したら上京して、アパートで共同生活をしよう!なんて話になった。

もちろん、私は茹で玉子を山盛りにしてせっせと原稿を描いている姿を妄想して。

一度、原稿を送ったことがあったが、多分、封筒を開いたとたんに「ボツ!」となって、デスク下のゴミ箱に突っ込まれただろう。なにせ、募集要項も原稿の使い方も何も知らないで出したのだ。怖いもの知らずだったなと呆れる。


時は過ぎ、夢を叶えたのは保育士志望だった子だけ。ちゃんと勤め上げて、今はどうしているのやら。もう孫も何人かいるはず。

宝塚志望の子は陸上部出身で、身長高くてスタイルもよく、声楽の勉強まで独学でしたものの、親の賛成を得られなかった。しばらくいろんな仕事をしていたが、やがてIT関連の資格を取って、バリバリ働いている。

私はその頃からいろんなものに憧れて、そのたびにつまみ食いし、ちゃんと終わらせずにまた次に行く、という「広く浅い」人生を送ってきた。何も残っていない。

そうそう、司書の資格のために大学の夏休み、大阪まで夏期講習にも行ったのだった。修了したけど、当時はパソコン対応の勉強はなかったため、もし資格を持っていたとしても、新たな対応に、四苦八苦するはめになったんだろうなと思う。
卒後、地元の役所の試験を受けたが、2次で落ちた。新しくできる国際色豊かな大学の図書館司書の枠で、英会話での面接だったのだ(もちろん、それ以外にもいろいろ落第点はあったと思う)。


結婚後、長男が重度障害を持って生まれて、自分は正規の職業に就くことは難しいだろうなと観念・・・というより正直な気持ちは、専念できるものが与えられて、軸が出来た。
長男が4歳になると、午前中だけ保育園に行けるようになった。その時間に何かしたくなり、イラストの通信講座や、校正の勉強をしたりした。どちらも一応修了はしたが、プツンと終わっている。それを生かして何か始めたわけでもなかった。こんなのがいくつかまだある。


つくづく、つまみ食いの人生だなぁと思う。

それもまたいいじゃないかと開き直ってはみるが、どこかふわっとした浮草のような感じである。

私にとって、長男は、浮草の根っこであったかな。舟のもやいのようなものだったかな。煩わしいと思うこともあるが、それがあるからこその自分だし、それが私の正解なのだろうなと思う。


やりたかったことを思い出していたら、つまみ食いの過去を振り返ることになった。

長男のもやいの綱は、もうそろそろ解かれようとしている。
長男は1人で第2のステージに向かい、私も自分の新たな毎日を始めて行くんだろう。これからは、ときに交わったり離れたりの付き合いになりそうだ。


ここに来て、さて、また自分は何をやりたいのかなと考えてみる。

やっぱり、なかなか、わからない。
過去のつまみ食いの中から、探し始めようかな。
初めてのものにかじりついてみてもいいな。


何になりたいの?何がしたいの?どう生きたいの?
そんな問いがずっとついてくる。

どう生きたいの?は、どんな最期を迎えたいの?につながるのか。
そりゃ、満足して、みんなにお礼を言って、あっちへ行きたいよな。
何をしてどう生きたらそうなれると思う?

いつも「ここではない所」を探している。
その、どこかわからないけどここじゃない場所に向かって、今を消化している。
これは本命じゃなくてなにかのついでのことなんだという気持ち。
そんな毎日っていかがなものか?と、しょっちゅう疑問に思うけど。
そう思いながら、年老いて行くのかという気もする。

何かをさがしてどこかへ行く道半ばで、終わるのかな。
それはそれで、自然の親切さなのかも知れない。

もうここらへんで何か見つくろって、「見つけた!」と思ってしまうこともできるんだろう。それもひとつの知恵だとは思う。
でもそうできない幼さがあって、まだまだ、探していたいと思うんだ。


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