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佐竹さんのこと(創作)

一美が住んでいる地域のホールで講演会があった。
介護事業者や福祉関係者、サービス利用者、その家族など、ロビーに大勢の聴衆が集まっていた。
受付を済ませてホールに入ると、障害者である長男の芳樹を通じての顔見知りと幾人か出会い、「先日はどうも」とか「いつもお世話になっています」「お久しぶりです」など挨拶を交わす。

そんな中、一美は佐竹さんの姿を見つけた。
佐竹さんは、一美たち家族がこの町に引っ越してくる前、芳樹が長い事お世話になったヘルパーさんだ。
「佐竹さん!ご無沙汰してます」
懐かしくてかけ寄った。
「芳樹がお世話になりました。佐竹さん、今もお仕事してるんですか?」
佐竹さんは一美より年上なので、もう退職しているかもしれなかった。
「こんにちは。ああ、まだ、やってます」

違和感があった。会うとすぐ目を細くして、人懐こい笑顔になる佐竹さんだったのだが、表情があまり動かない。
会話もそこで途切れたままだ。
じっと一美の顔を見ているので取りつく島もなく、「もう始まりますね、失礼しますね」と言って離れた。

芳樹にあんなにも一生懸命関わってくれていたのに。
佐竹さんの口からは芳樹の名前さえ出てこなかった。

一美は、ずっと、佐竹さんにある疑念を持っていた。忘れかけていたそれがいきなり目の前で現実になりそうな気がして、心が落ち着かなくなった。


一美は長いことあるSNSに出入りしていた。それは掲示板という場所で、ローカルな1区画だった。そこに何年も出入りしてすっかり気ごころ通い合う仲間たちができた。オフ会にも何度か参加した。

この町に引越してしばらくたったころ、その掲示板に通りすがりと思えるアカウントの書き込みがあった。
「私の兄は知的障害者で、母は女手一つでだれも煩わさずに、障害のある兄の世話をした。働きながら兄と自分を育てた。余程のことがなければショートステイなんか利用しなかった。あなたはご主人の実家で主婦然として何不自由ないくせに、どうしてそうしょっちゅう、お子さんをショートにやるのだ?私はあなたのご実家を知っている者です」

それは一美が「今日は息子をショートに送って来た」と書き込んだ、その日の夜に投稿されていた。
常連のメンバーたちはその投稿に対して、無視したらいいよ、相手にしたら思うつぼ、とか、グリーンさん(一美のハンドルネーム)は必要があってショート利用するんだし、もちろんこれという必要がなくたって、リフレッシュのために利用したっていいんだ、いやむしろそれが必要なんだ、などさまざまにフォローする書き込みをした。

SNSの掲示板は、どういう経験をしたどういう人が、どういう思いで、通りすがりに言葉を残して行くかわからないし、受け取る側も、悪意を感じるものは受け流したほうがいい。そう一美は思っていた。
しかし、その「障害のある兄を女手一つで」というあたりに何か引っかかるものがあった。


まだ前の場所に住んでいた頃、佐竹さんには週に2回ほど芳樹をお願いしていた。
毎回3時間という長丁場を、手を変え品を変えて佐竹さんは世話をしてくれた。療育という面からも上手にアプローチしてくれて、芳樹は佐竹さんが来てくれると、リラックスしてリハビリや遊びに集中していた。
一美も、佐竹さんが来ている時間は、安心して家事や外出ができた。

佐竹さんは子どもが2人、夫は役所勤めで、その両親と同居だった。主婦の先輩だったし気さくな人だったので、芳樹を間にして、子育てや、いろいろな困りごと、悲しかったこと、嬉しかったこと、冗談話。一美にとっても佐竹さんと話すのは楽しかったし、そこから学ぶことも多かった。

佐竹さんには兄がいて、知的障害があった。佐竹さんの母親は保健婦をしながら、女手一つで、佐竹さん兄妹を育ててくれた。そういう姿を見ていたら佐竹さんも、母親とつながりのある仕事を目指すようになった。
母親が老齢になって兄は施設で生活するようになった。
佐竹さん曰く、母は障害者のお母さんたちに「もっと気軽にショートを利用していいんですよ」なんて言いながら、自分ではなかなかそうできなかったのよ。
一美は佐竹さんの母親の気持ちがよくわかる気がした。
そんな一連の会話が思い出されたのだった。

あの書き込みは佐竹さん?
それは考えすぎだと一美は思った。そんなわけない。
そして、忘れたつもりだった。


しかし、講演会で会った佐竹さんの違和感から、掲示板のその書き込みを思い出したということは、一美の心の奥の方に当時の疑念がまだ燻っていたという事だろう。

佐竹さんはよく勉強していることが感じ取れたし、同僚からも頼りにされていた。保護者からも好かれていた。
あの頃、彼女を傷つけるような言動が私にあったのだろうか?一美は考えてみたがわからなかった。
佐竹さんは時々、ふっと真顔の遠い表情になることがあり、一美も気を緩めすぎないようにしていたことを思い出した。


講演会で佐竹さんに会ってから数年後。
芳樹の状態が重度化して、入院することも多くなった。
ある時一美が病室へと向かうエレベーターに、佐竹さんが乗り込んできた。夫と一緒だった。
少し驚きながら小さく挨拶をした。佐竹さんは軽く会釈はしたが、目を合わさず無言だった。
すかさず夫が、ニッコリして「どうも」と返した。
一美は、4階で降りる佐竹さん夫婦を見送り、6階で降りると大きなため息が出た。

佐竹さんは、いったいどうしたのだ?

彼女の無表情を見て感じたのは、精神的に不調になっているのかもしれないという事だった。ご主人に付き添われて受診に来たのかもしれない。
あの講演会の時点でもそうだったとすれば、5・6年にはなる。
しかし、自分の受診ではなく、ご主人の両親や佐竹さんのお母さんのお見舞いに来たのかも知れない。
それにしても、講演会もそうだが、あの無表情はどうしたことだろう。
やはり、知らない所で傷ついて、私を疎んじているのだろうか。

こうも考える。
彼女は障害者のきょうだいとして、母を支えていただろう。
その中で、自分を解放できない思いはたくさんしてきたのかも知れない。
たまには母と二人だけの時間が欲しい、兄をショートに預けてほしい、と思う日があったかもしれない。
時には甘えたり、分からず屋にもなりたかったかもしれない。
ひたすら兄と自分のために働く母の背中を見ながら、たくさんの想いを飲み込んできたことは想像できた。

何かのきっかけで、気持ちが追い詰められた時に、そんな思いを吐き出すように掲示板に書き込んだのだろうか。
あるいは、一美は呑気な怠け者として、佐竹さんの神経をイラつかせたのだろうか。


佐竹さんは掲示板なんか見ていないかも知れないのだから、一美の思いは、ただの憶測にすぎないのだろう。
しかし仮に、佐竹さんが掲示板を読んで、「一美」と特定したのだとしたら。
あんなに親身に、お互いに心を開いて話をしていたのに。あの時の佐竹さんの心の中には、本当は、何か不穏なものが渦巻いていたのだろうか。

いかに心情を思いやってみても、最後の最後には、佐竹さんの本心はどうだったのかに行き着く。あの人懐こい笑顔はどこまでが本心だったのか。
動かない無表情な顔が、どこかで一美を見ているような気がする。



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