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まほろば


さだまさし「まほろば」をよく口ずさむ。
鼻歌で歌うには、暗い重い寂しい切ない曲だと思う。

歌詞は、どうやら先行き不安なカップルが
奈良公園の飛火野~春日の森あたりを散策している様子だ。
「ゆらゆらと影ばかりなずむ夕暮れ」どきに。

うっそうとした森の馬酔木の茂りに、心もふらふらと迷うさまが
さだまさし特有の選び抜いた言葉でつづられる。

「君を捨てるか 僕が消えるか いっそ二人で落ちようか」
希望のない恋路の果てのようだ。

古色蒼然とした参道、樹齢何年だろうという大木が連なり
暗い木陰や葉裏に、小さな神々も宿っていそうだ。

ここで連綿と繰り返されてきた恋人たちの物語も
どこかに、その思いが、ふわふわとさまよっているかも知れない。


なぜ、この曲が心に染み付いているのか不思議だったが
ある時気が付いた。

最後に「あをによし平城山(ならやま)の空に満月」と
叫ぶように歌って終わる。

歌の最後にぐぐーっと視線は広く高く俯瞰になって
なだらかな飛火野の枯れたさまと、頭上高くから照らす満月となる。

その時に、この風景は、時間を超えて、人の営みを見てきたのだと感じるのだ。

すると、前述したカップルも、ひとっ飛びに時をさかのぼり
古代の恋人たちの風景だと思えてくる。

古代から延々と繰り返されてきた、切なく寄る辺ない別れの風景。
それを飛火野の月はずっと眺めてきたのだな。

時間も場所も超越して、歌の主人公は、この大きな風景に立ち尽くす。
自分が古代の恋人たちと同化していく。
はるかな時間の中で、人の営みのなんという儚さか。

「日は昇り 日は沈み 振り向けば 何もかも うつろい去って」

胸が締め付けられるようだが、しかし続けて最後に

「あをによし 平城山の 空に満月!」だ。

すべて、還って行く感じがする。

何かの源へと。

この救われる感じがくせになる。


さらに一番最後に残る音は、笙の音色。
かすかな残り香のように消えて行く。

春日の森のどこかから聞こえてきたようで
ふっと、がらんと開けた飛火野に立っている自分に戻る。


よくできてるなぁと思い、奈良が恋しくなると歌っている。

大和は国のまほろば。
誰もが還っていけるやすらぎの場所。

また必ず訪れよう。


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