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なりたい自分と「えんとろP」

小学校の高学年から中学1年生くらいまで漫画家になりたいと思っていた。
だからといってどうしたら漫画が描けるのかとか、どうやって原稿を作るのかとかも知ろうとせず、日がな落書きをして、「なりたい」って言っていれば嬉しかった。

高校生にかけては何かを目指していたのか、全然憶えていない。その日を始めて終わるのが精いっぱいだった。高校は暗黒時代だった。
友だちは一人。その子がいない日は身の置き所がなく早退したりした。

現実的に何の仕事をしたいのか考える必要に迫られ、「うーん、図書館の人かな。司書かな」なんてぼんやり思った。
大学にいる間に司書の講習を修了したが、地元では需要がなかった。
すぐ諦めた。

「なりたい自分」というのは、就きたい職業、ということでもなさそうだ。
ということなら、私はとにかく「継続できる人」になりたい。

なにせ継続が苦手だ。
これは致命的(笑)
やりたい職業や趣味を持ったところで、目指す場所まで届かない。
楽しめるようになる前に、つまらないから撤退する。


夫は独身の頃から、ゴルフを続けている。練習しなかった日はほぼない。40年間、ゴルフ一筋。その上昇志向はゆるんだことがない。
この努力と継続を言われれば、夫に敬意をあらわすのになんの躊躇もない。

まだ子ども達が小さい時、あまりに練習時間が多くて「ゴルフと子ども、どっちが大事なんだ!」と雷を落としたことがある。重症心身障害者である長男の介護は、夫の協力がなくては成り立たない。
「そのうち言われると思った」と自己嫌悪に肩を落としていたが、介護に影響が出ない必要最小限だけ時間を減らして、翌日からも練習時間は確保されていた。きっと子どもよりも大事だったかもしれない…いや、あー、子どもと同等くらい(笑)

子ども達は大きくなるにつれて、夫の練習人生?を羨ましがるようになった。あんなに一つのことを続けられるのはすごい。ああなりたい。とーさんカッコイイ、とまで言う…コンニャロこっちは大変だったんだからね(;^_^A

私が継続できたことは、今までを見渡しても、長男の介護と、マル太郎の世話だけだ。
長男はもう手を離れてしまって、さて今度はどうしよう。何がしたい?
したいことはあるけど、続かないだろうなとほぼ確信してる。

続けられる人になりたい。
それには、続けるしかないのだ
という、堂々巡り。

もう少し前なら、とにかく始めてみたものだった。
続くかもしれないと、一縷の望みを持っていた。
しかし・・・
今になっても、どれも続いていないとなれば、
始めることも億劫になってしまう。


最近、「エントロピー増大の法則」というのを知った。
知ったというか、そういうのを耳にした。
それで、今の自分は、エントロピーが増大していて
どんどん酸化(老化)の一途、無気力の一途を、虚無に向かって辿っているのではなかろうかと、思うのだ。
外からの作用がなければ、増大の一途をたどり、拡散して消えていくのだろうか。
(全然見当違いな事言っているかも知れないですが、
 どうぞ追及しないでください<(_ _)>
ちょっと「エントロP」可愛くて言ってみたいのです)

そういえば、この家もエントロPが増大して行っている(笑)
どんどん雑然としていき、ちらかって、埃がたまり、汚れて。
そこに私が掃除や整理整頓や断捨離的な外からの作用を与えないと
廃墟のように拡散していきそうだ。

「継続」も、エントロPを抑制する外からの作用の一つだろうと思う。

私の「やりたいこと」は「継続」の外的作用がないまま
だんだん「どうでもいいや」へと拡散していく。

なんかちょっと、目ん玉ひん剥いて、本気出してみたい気がする。
容赦なく進んでいくエントロP増大に逆らってみたいものだと思う。



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