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一緒に登校した頃 1

毎朝一美は、芳樹と一緒に登校する。
地元の小学校に母子通学して、2年生になった。

芳樹は重度障害児で、歩行はもとより、一人では座位を保つことができない。頭も据わらない。移動にも座位保持にも、バギーを使っている。
バギーはアルミパイプに丈夫なナイロン製の布が張られた、車いすのようなものだ。

学校のピロティに車を停め、車からバギーを出して、芳樹を乗せる。すると、時間を見て玄関にやって来ていた結城が声を掛けた。
「おはようございます。おはよう、芳樹。」姿勢を低めて、にっこり、芳樹の顔を覗き込む。
結城は、支援学級の介助員で、50歳代の主婦だ。芳樹がこの小学校に入学する2年前から、教室介助員をしている。芳樹は、結城に笑顔を返す。
「いい笑顔だね~!芳樹はイケメンだなあ。」
結城は嬉しそうに芳樹の乗ったバギーを押し、教室へ向かった。
一美はそんな2人について行きながら、いつも複雑な気持ちになるのだ。

芳樹は、その学校で初めて、肢体不自由で入学を許可された。受け入れを渋る教育委員会や校長と、1年がかりの話し合いの末だった。母親の付き添いと、給食の前に下校するのが条件だった。
一美は、交流学級の教室で、クラスのみんなとせめて給食だけでも、一緒に食べさせたかったのだが、20分では食べさせられないとなると、却下された。
昼休みには、給食センターが引き取りに来るが、それに間に合わないと困るという。食器の一つや二つ、翌日になっても支障ないじゃないか、と思う。
なんだかいかにも「早く帰って欲しい」のが感じ取れる理由だった。
またしかし、芳樹は偏食でちょっとしたことで不機嫌になり、教室に居られなくなる。そこは自分でもうまくやれる自信がなく、午前中だけでも登校できればいいと考え、条件を受け入れたのだった。

介助員の結城は、何をするにも一緒だった。休み時間も。まるで、一美は見張られているようだと感じていた。
結城が2年前に担当した、知的障害の子どもは行動障害があり結城もひとかたならず苦労したようだ。母親は言葉を選ばず物を言う人で、存在感が強かった。その母親について、「障害児は、親も特殊って事よね」と、雑談に紛れて言ったことがある。
一美はその一言を聞いてから、この人は介助員だけど、差別的なところがあるぞと警戒した。一美がいちいち反発してこないのを見越して、故意に言っているようにもとれる。心の底では、障害児やその家族を劣った者と考えているのではないか?
「油断できない人」という結城への身構えが、一美の中に育っていった。


芳樹の日課は、登校すると朝の会。クラスメイトは3年生男子と1年生女子の、計3名だった。一美は芳樹のバギーの隣の椅子に座り、歌や手遊びの時には手を取って介助し、一緒に歌う。
ほかの2人は、それぞれの交流学級で学習する時間があったが、芳樹はどの教科も理解しないので、ずっと支援クラスで過ごす。
軽いストレッチやリハビリ、感触遊びや、散歩。その間ずっと結城が付きそう。
休み時間になると、一美は少しほっとして、「この時間が一番大事!」と意識する。同じフロアの低学年や同級生たちが、自由にこのクラスに遊びに来るからだった。
彼らの目的は、この教室にある玩具が主だったが、マットに横になってキョロキョロしている芳樹に声を掛けてくれる子もいて、それは毎日だいたい決まった子たちだった。保育園から一緒だった子が多かったが、中には、物珍しそうにおずおずと近づいてきてくれる、他の学年の常連さんもいた。
芳樹は初めは気難しい顔だったが、すぐに慣れて、リラックスして彼らの言葉やしぐさにニコニコ反応する。すると子どもたちもまた嬉しそうに飛んだり跳ねたりおどけたりするのだった。


芳樹の弟、光は、1学年にいて、休み時間には兄と母のいるクラスに遊びに来る。
ある日、結城が光に話しかけ、光はまともに答えもせずに玩具に気を取られていた。もともとあまり会話が得意ではなく、自分の世界に気をとられるほうだった。結城が「光くん、お兄ちゃんのことちゃんと助けてやるんだよ、お母さんの言うことも聞いてね」などと、世話を焼くように言っている。そして一美に向き直り、
「これからは、芳樹のことよりも光くんのほうをちゃんとしてあげないと。
やっぱり、芳樹のほうばっかり手がかかるから、光くんのしつけが大変だわ」
さっきの光の態度が気に障ったのがわかる。
一美はムッとして、「光も人見てやってますから。大丈夫です」とイライラした言い方をした。結城にはあきらかに「光はあなたのことを疎んじている」と伝わっただろう。目論見通りだ。
その日はずっと気まずい空気で経過したが、一美は、言われるままにならないぞと、少しスカッとしたのだった。

続く



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