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「続かない」の続き〈達夫〉


駅のホームに出ると、西日の中に羽賀がいた。薄色のカンカン帽を子どもみたいに阿弥陀にかぶり、同じような薄色の背広を着て、四角い鞄をぶらつかせている。もう片方の手には桃色のアイスキャンデーを持って、電車を待っている。こちらを向いて、眩しげに眺めていたが「田中くんか!」と気がついた。
田中達夫は「久しぶり」と隣に立った。「アイスか」と顎をしゃくると、「食うか?」と半分残っている棒を突き出す。「いや、いい」と達夫は苦笑しながら辞退した。

電車がホームに入って来ると、羽賀は舐めてしまったアイスの棒を背広のポケットに突っ込んで、電車に乗りこんだ。さっさとボックス席に座り、「田中くん、こっちだこっちだ」と大きな声で手招きをしている。通路に立っている学生たちを縫うように通り抜けて、達夫は羽賀と向かいあって座った。
「先生、さようなら。」何人かの学生が、羽賀に挨拶をして奥へと進んだ。
「おう、さよなら!」と挨拶を返して達夫に向き直り、「きみ今日は何用だ?何しに来たんだ?」と、眼鏡の中の目をぱちくりさせた。

羽賀と達夫とは幼馴染みの同級生だ。小学校中学校と、達夫と一緒にいたずらをしては親や先生から悪童扱いされてきたが、勉強も好きだったので、いつとはなしに切磋琢磨する間柄になっていった。
羽賀は普通高校から大学へ進み、地元から電車に1時間揺られて、この市にある高等専門学校の物理の教師になった。達夫の家は学費が出せるほどの余裕がなかったから、郵便局員の父の勧めで、定時制高校に通いながら地元の郵便局に就職した。
「刀の鑑定士の資格を取りたくてね。月1回来てる」と達夫が言うと、羽賀は「そうか。よっぽど好きだなぁ」と感心した。

達夫は郵便局に就職後しばらくして、2年下の森山りさ子と結婚した。達夫の母とりさ子の継母が従妹同士という縁だった。
達夫は進学は諦めたが、歴史書や古い文書、刀剣、書画骨董、楽器演奏など、好奇心は旺盛だったので、仕事以外の時間はそこに充てることが多かった。それが高じて、刀剣の鑑定士になりたいと、月に1回この市の会館に来ていた。そこでは県内外の鑑定の重鎮に会って、話を聞くこともできた。

「ときに、涌井はどうしてる?この近くに住んでると聞いたけど」鞄の中からガサガサと紙包みを出して、羽賀は買ってきたコロッケにかぶりつきながら聞いた。「まだ食うのか」と達夫は呆れて「変わってないなぁおまえは」と笑った。
「奥さんが去年から病気で、悪いらしいんだ。正月に来たついでに店を訪ねたら、やっぱりしょんぼりしてたな。」

高校時代、達夫や羽賀がバンド活動をするなかで、涌井はピアノ担当として仲間入りした。現在はこの市に住んでバーを経営している。
「だって、奥さん去年はレコードを出したって聞いたぞ」
「まったくなぁ。あんなに元気だったのになぁ」
涌井は妻の看病に専念し、店は休業している。毎晩ラウンジで弾いていたピアノはすっかり埃をかぶっているらしかった。

地元駅に着いて、2人は駅前ロータリーから左と右に別れた。
「今日は10時に、中学校のグラウンドで星を見るんだ。
今頃は夏の星座がたくさん見える。きみ来ないか?」
別れ際に誘われたが、達夫は断り、再開を期して家へと向かった。

達夫が住む町内は駅前通りから小路に入るが、春頃、町の入り口にパチンコ店が、その隣に焼き鳥屋が開店した。小さな町にパチンコ店は珍しい頃で、駅前通りから流れてくるお客でそこそこにぎわうようになった。
達夫の勤める郵便局はその駅前通りにあり、帰りはパチンコ店と焼き鳥屋の前を通ることになる。しばらくは我慢していたが、しだいに立ち寄るようになった。好奇心旺盛な達夫にはそれは時間の問題だったし、早く家に帰っても、厳格な父とおしゃべりでマイペースな母、その母の言いなりになって黙々と働いているりさ子を想像すると、なんだかつまらなくて、寄り道をしてしまうのだった。

昔と変わらない羽賀に思いがけず出会って、達夫は気分が沈むのを感じた。
「星を見に行こう、か。暢気な奴だな、昔から」
軽い嫉妬のようなものが心を曇らせた。喧噪のなかでパチンコの台に向かい、達夫は無心にレバーをはじく。
銀色の玉が次々と跳ね上がり、てっぺんからジグザグに落ちていく。
それを目で追うともなく追いながら、昼間見てきた刀剣の姿を思った。

歴史小説を多く読む達夫は、史実や時代背景、市井の生活を面白がり、やがて刀剣にも惹かれた。給料をはたいて日本刀を手に入れ、その手入れの時間を楽しんだ。
床の間のある座敷に端座し、刀を抜き、じっと眺める。刀身を柄から外し、古い油をふき取って打ち粉をはたき、新しい油を塗り、さらに拭き取って再び柄に戻し、鞘に納める。障子越しの淡く沈んだ光の中で刀の世話をする時間が、達夫には至福なのだ。

「お父さん、そろそろ帰らない?」
パチンコ店の喧騒の中で、りさ子が大きな声で話しかけてきた。
ぼんやりしていたところに不意に大きな声を出されて、ばつが悪く、達夫は「わかってる、すぐ帰るって言って」と不機嫌に答えた。
「早くね」と言い残して、りさ子が出て行った。りさ子は春に生まれたばかりの長男をおんぶしていた。おおかた、母にせかされて、呼びに来たのだろう。母は父の機嫌をみて、りさ子にそんな使いをさせたのだ。まったく子どもじゃあるまいし、こんな所にまで呼びに来させるんだから。
銀の玉が跳ねてぐるっと回り、暗い穴に吸い込まれる。達夫はため息とともに台を離れた。

(つづきます)





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