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お稽古だった

昨日はお茶のお稽古の日だった。
ママ友3人での、気軽な会とはいえ
稽古の時は真面目に学ぶ気持ちで教わっている。

昨日のお稽古は「竹台子(たけだいす)」というものだった。
「前にも一度やりましたっけ?」と先生。
まったく記憶にない私(;^_^A

竹台子は、底板と上板のある、竹で組んだ棚で
涼しげで今の季節にあっている。
底の棚には、風炉釜と水差し、柄杓。
それと、蓋置を仕込んだ建水(ゆすいだ湯水捨て)がセットしてある。
上の棚には仕覆(しふく)に入った茶入れが置かれている。

そこに、茶巾や茶筅、茶杓を仕込んだ茶碗を運び入れて、お点前が始まる。
この日の掛物は、石川啄木の詩。

 馬鈴薯の薄紫の花に降る
 雨を思へり
 都の雨に

先生のお宅のジャガイモ畑では薄紫の花が満開になり、
今日の掛物はこれでいこう、となったけど
雨が降らないのよ~、と笑っていた。

いつも床の間の掛け軸と茶花、香盒(こうごう:お香の小さな容器)のバランスは、真ん中に掛け軸、向かって左よりにお花、右隅に香盒だったのに
今日は掛け軸の真下(床の間の真ん中)に、竹籠に挿した額紫陽花なのだった。
訊くと、掛け軸の横幅があるので、お花はこの場所がバランスがいいということ。
なるほどなぁ。
香盒も、この日は陶磁器ではなくて、木製の「くず家」の形のものだった。
こまかく決め事があるらしいが、そのどれもが、見た目にもしっくり落ち着くから、長い間にその姿に落ち着いてきたものだと納得がいくのだった。

バクゼンさんは今日は濃茶をやってみる?
そのあとお薄で。
「はぁ」と自信なく応じる。
でも、先生はひとつひとつ、根気よく教えてくれるので心配ない。
次の動作がわからなくても叱られない。
自然に次の動きが出来たときには「今自然でしたね~」と褒めてくれるのだ。

濃茶用の抹茶は苦みが弱くほんのりと甘味がある。
茶碗に多めに入れて、少しの湯で湿らせ、茶筅で艶が出るまで練る。
そこにちょうどいい量の湯を再び注ぐ。
この「ちょうどよさ」は、何度も稽古しないとつかめない。

この日は、湯の量が少なく濃いめになってしまって、お客さんが
「この茶碗に付いたお茶もったいない、こそげ取りたい」
と笑っていた。
「もう一回お湯で伸ばしたら?」と言うと、そうすると不味くなるのでやりませんね、とのお答えだった。
一発勝負!なのだ。お茶も鮮度が大事。


先生とお客さん役の人は、どちらも在宅で息子さんを介護している。
ふたりとも重度障害で、この先どのように暮らして行こうか、模索中だ。
グループホームを作りたいと前々から話し合っていたが
手厚い医療行為が必要なふたりには、難しいことだった。

ショートステイでは、「安全に預かる事」が目的なので、ステイ中のプログラムなどは無に等しい。家族にすれば「寝かされている」だけに思えてなんともモヤモヤする。
これが将来、入所となったら、毎日こんな状態なのかも知れないと心配している。
入所(医療付き)+日中活動(医療付き)という暮らし方はできないものか。
それが願いなのだ。
私もそうなって行って欲しいと願いながら、一昨年、入所のタイミングを迎えたのだった。
今の制度では難しいのかもしれないが。
福祉は、社会の意識とともに変化して行く。それが希望だと思う。

長男の暮らす園では、部屋ごとにお出かけの日があったり、日課も用意されていて、リハビリも受けている。
家ではしてやれなかった「歩行器に乗せて作業(キーボードを弾くとか)する」とか、音の出る大きなボタンを押してサインを出す、みたいなこともしてもらっている。
こういうことが、たとえば園の通園部などに出向いて毎日できればいいのになと思う。
いっそのこと、通園部と病棟が一緒に活動する時間があってもいいのに、なんて。(昔、ダメ元で言ってみたら、今の制度では云々と言われたけれど)

制度が柔らかくなっていくことを願っている。
3人のお茶会はいつもそんな話題に行きつき、まあ、頑張りましょう、でお開きとなる。

玄関先の先生の育てている草花を眺めながら帰った。
昨日は何が活けてあったっけ?
何が咲いていたっけ?
憶えていない。
そういう気持ちのありようだったらしい。

先生は気づいてほしいと思いながらも、気づかれなくてもいいとも思っていただろう。
あーあ、まだまだだな。
心の屈託をひきずりながらの稽古、ちょっと反省した。

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