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続かない

週に1度は、実家の両親の機嫌を伺いにいく。
2人とも80代後半。体のあちこちにガタが来ているが
まだ自分のことは自分で世話しながら暮らしている。
同居している2つ違いの弟は独身で、仕事の合間に、町内の用事や家のこと、両親の細かい要望などを引き受けてくれている。

行くといろんな雑談をするが、必ずと言っていいくらい、父は若い頃の話をする。若い・・・幼いと言えるころの話で、昭和10年生まれだから、記憶は戦後すぐくらいからなのだろう。もっと前のもある。
最初は面白がって聞いていられたが、しょっちゅう繰り返されて、ほとほと困った。でもそうも言えない。気持ちよく話しているしなあ。
それで、せっかくだから書き残しておこうかという気になった。
そうすれば、聞き方も違ってくるかもしれない。

親の話の聞き書きだとなんか生々しい気がして、仮名にして小説にしようと思ったのだが、駄文はたくさん書き散らしてきても小説は生まれてこの方一度も書いたことがない。

折りしも、noteでは「創作大賞」の募集期間が終わった。
私はなにごとであれ、期間が終わるとやる気が出る傾向にあるようだ。
プレッシャーに弱い。
応募された作品を読んでは「創作かあ」と、あろうことか、ちょっと色気がでてきたところである。
崖っぷち、落ち始めて出てくるやる気ですかね。

それで、書いてみたので、よかったら、ちょっと読んでやってください<(_ _)>


あ、今のところ、お話はゴールを見失ってます(笑)


***



達夫は、父が郵便局勤務と畑作をする兼業農家に生まれた。
父母はいわゆる「両養子」でこの田中家に入り、母シマは家業である餅屋と
簡単な宿屋を手伝った。
宿屋は、下宿人を置いたり、年に1回、地元の遍照寺の祭りに
各地から集まる「講中」の宿泊所になったりした。

田中家は、すでに4代ほど男子が生まれていなかったため
達夫の誕生は大変な慶事だった。
達夫は、姉が4人に妹が1人、6人きょうだいの5番目だった。

父の清吉は、気難しいところはあったが、子どもたちを大切にし、とくに嫡男の達夫を可愛がった。可愛がると言っても、それはしつけや仕事の厳しさに反映されるものだった。

清吉はまた、手先が器用で、繕い物などは自分でやった。達夫の母であるシマは、天真爛漫でおっちょこちょい、わかりやすい性格だったが、仕事は雑だった。清吉は何事も丁寧で、きっちりやりたいから、文句を言うくらいなら自分でやってしまうのだった。

シマの姉のナカが、同じ町内に嫁いでいて、姉妹は頻繁に行き来した。
ナカの嫁いだ家は、小料理屋で「辰見屋」といった。芸妓の置屋もしていた。
達夫はナカに可愛がられ、辰見屋によく連れていかれた。3歳かそこらだから、芸妓たちも達夫を可愛がった。

芸妓の豆太は、「遍照寺の山門か、豆太か」と囃されるほどの美人だった。
遍照寺の山門と言えば、精密な彫刻に美しい色彩を施した、近在では聞こえた建築物だった。
豆太もまた達夫を可愛がり、銭湯に行く時には必ず連れて行った。雪のちらつく寒い頃など、緩く着ている普段着の綿入れの着物の背中にすっぽり達夫を背負いくるみこんで、三尺帯で着物ごと縛ってしまう。髪油の匂いや化粧の匂いと綿入れのぬくもりに包まれて達夫は銭湯へ行くのだった。

そんな日々の続くうち、達夫は踊りを覚えた。遊びの延長で踊らせてみたらなかなか筋がいいので、ナカは本腰を入れて教えはじめた。とはいっても、芸妓たちに教えるついでのようなものだったが。
達夫は普段の愉快な様子とは違う、ナカの真剣な稽古を見て、興味を持って覚えようとした。三味線もするか?と言われたが、普段、芸妓たちがあまりに厳しく稽古をつけられ、時折、バチでしたたか手を打たれる様子を見ていたので、それは断った。

父の清吉は、養子に来て真面目に郵便局と畑作に従事した。しかし郵便配達に行くと村の娘たちがいそいそと見物に集まるくらいの器量であったし、夜遅くに尺八をかかえて田んぼの畦道で居眠りしている姿が噂になったりした。風雅を好むところがあったが、持前の生真面目さからは抜け出ようとはしないで、養子としての控えめな態度を保っていた。
そのせいか、達夫がナカのもとで踊りを習っていることについてはとやかく言わなかった。シマも面白がって、そこは姉にまかせた。

達夫は6人きょうだいの5番目で、待望の男児だったから、なにかと優遇された。兼業農家の帝王学は清吉がしつけにやかましかったが、シマはそれに逆らうように、達夫を甘やかす。それを清吉に叱られても、どこ吹く風。ときたま「ハイ」としおらしく答えても、横を向いて舌を出しているのを清吉は苦々しく思うが、ふん、こういうやつだと放っておく。

だから留守番になると、待ってましたとばかりに、達夫いじめが始まった。日頃の達夫への優遇に姉妹たちは腹いせをした。といっても、大黒柱に達夫を括りつけてほったらかして、まわりで遊ぶ、程度のことだが。達夫はシマに似て、内にこもらずおどけるところがあったから、結構楽しんでいたかもしれない。

学校へ上がると、意気投合した友だちと、ちいさな町の商店街を抜けて一緒に下校するようになった。
3月の遍照寺の祭礼では、各家で鱈の煮つけをする。魚屋の軒下には、樽の中に鱈を積み上げて雪で覆ったのが置かれる。達夫たちは下校途中に、こっそりと雪玉に唾を吐きかけて丸め、鱈の樽に投げ込んで物陰に逃げ、そこからこっそりと鱈を買っていく人を眺めて喜んでいた。

そんなイタズラをしながら家に向かうと、ずっと遠くから、犬の吠えるのが聞こえる。いかにも小型の、キャンキャンとした声だ。
それは同じ町内でも達夫の家からはずっと離れた辰見屋に飼われている、狆のチャイチであった。チャイチは、達夫でも芸妓の豆太でも、町内に足を入れた途端感づいて、迎えに駆け出してくるのだった。



〈続……かない…〉





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