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【思想】物質至上主義 vs 精神至上主義

物心がついた頃からモノによる充足感を感じることは少なく、それよりも精神的な充足感の方が強く、一生懸命お金を貯めて購入しても手に入れた瞬間、興味がなくなりあまり使わなくなったりと、モノに対する執着が弱かった。
ただ、楽器やPCなど道具であっても、使い込んで愛着があるモノに対しては擬人化して、まるで相棒のような扱い方をしていた。
ただ単に、熱しやすく冷めやすい性格だからなのかも知れないのだが。
経済的に不自由がない現在、必要なモノはすぐ一括購入でき、必要でなくても気になれば、音楽機材なんかはとりあえず購入して後から使い方を考えて、自分の音楽制作環境に組み込んだりと、かなり恵まれた環境だとは思うけれど、かといってそれで充足感を感じている訳でもない。
あくまで、業務的に必要な道具を揃えているだけで、その道具を使って作品を制作する工程や完成した作品に対して充足感を感じるだけだったりする。
20代前半の学生の頃、精神至上という言葉を知り、我が意を得たりと思った。
それから、モノやお金に対しての見方が変わり、お金はただの数字(得点)、自分の労働の対価として得るモノ、そして、自分に必要なモノやサービスと交換するためのチケットとしか捉えられなくなった。
キャッシュレス化が進み、ネットバンキングでお金が動かせる現在、更にそのポイント(得点)と言う感覚が強くなった気がする。
政治や経済に対しての興味が皆無で不勉強なので偉そうなことは言えないけれど、極論を言えば、お金なんてただの紙切れでそれ自体に価値はないと思う。
凍死しそうな人に札束を渡しても、食料や暖をお金という道具を使って得られる環境でなければ、燃やして暖をとると思う。
少なくとも自分がその状況下に置かれたらそうする。
そのチケットによって得られるモノ、経験、プライスレス、じゃないけれど、お金と言う媒体を通して得られる社会的信用だったり、人の能力を計る簡易的なモノサシという意味の方が大きいと思う。
現職に就く前に10数年やっていた自営店のお客さんにバングラデシュ出身の人が居て、車検切れで運転できない彼の車を指して、「シャケンキレタ、ゴミ、ドウスレバイイ?」という言葉を耳にして軽くカルチャーショックを受けた。
20代前半にアメリカに旅行に行った時以来の肌で感じた生のカルチャーショックだった。
自分も車に対しては、何の思い入れもなく、今の車もずっとお世話になってきたホンダさんとの信頼関係が構築できているので、ホンダ車という縛りで、仕事上、必要最低限な機能を満たす車と言う条件で絞って、今の車種を選択したに過ぎない。
機能を果たしてくれれば何の拘りもなく、長期スパンの使い捨ての道具というぐらいの認識だけれど、さすがにゴミとまでは思っていなかった。
単に彼の語彙力の問題でたまたまゴミというワードだったのかも知れないけれど、音楽をやっている性質上なのか、幼少の頃から人の心の中に潜り込み相手の期待、正解を探り、その期待通りに人格を演じて自分を変えて生きてきた性分なのか、言葉を文字通りに捉えず、声色や表情、目つき、その他諸々、得られる情報から判断してその人の発した言葉の裏側にある心理、本質を本能的に捉えてしまうところがあるので、彼の発した言葉がゴミであっても本能的に肌で感じた感覚そのものがカルチャーショックだったのだと思う。
精神至上主義とか精神世界というと、とかくスピリチュアル的な怪しい世界が連想されるけれど、パワーストーンとか壺とか目に見えない力を胡散臭い商品として物質化して扱った時点で精神至上主義でも何でもなく、ただの物質至上主義だと思う。
ましてやそれで商売をしている時点で営利目的であるし、詐欺だと思われても仕方ないと思う。
それよりも、音楽や映画、人間関係(恋愛や友達、親子)などから得られるモチベーション、力の方が精神至上主義の本質なのではないかと思う。
そもそも、他人から見えない力を与えられても他力本願だと思うし、そこに自らの意識は働いていない訳で、自ら力を見出して精進した方が現実的で将来的にも有効だと思う。
ただ、占いは統計学なので俗に言う胡散臭いスピリチュアルなモノと切り離して考えた方が良いと思う。
統計データの少ない週刊誌やTVなどの占いと、膨大なサンプルを採取して統計データをとった専門的な書籍とでは、確度が全然違うので。


2018.08.19

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