4.

「ありがとうございましたー」
 なるべく普段通りの声でそう言って、僕は大きく伸びをする。
 レジに入ってから体感的に三十分が経過したところで、僕はようやく落ち着いてマヨナカについて理解し始めた。
 まず、来る客は何も異形だけじゃない。僕らみたいにお面をつけた客とか、お面はつけていないけれど、どこからどう見ても人間にしか見えない客もいる。……先輩曰く、人間は顔を隠すのがルールらしいので面をしていないあの人たちは人間ではないのだろう。
 あと、異形の客であってもポイントカードのみならずクレジットカードも普通に提示される。審査とかどうなっているのだろう。これもまた陰陽庁の陰謀だったりするのだろうか。
 ……自分で言っといてなんだが、陰陽庁の陰謀って何だろう。
「客は違うが仕事内容はいつもと同じ」と言われたことを思い出す。確かに僕のやることだけはいつもと何も変わらない。
 ついさっきなんかどう見ても人間に見える女性と、彼女に手を引かれる仔狐がやってきた。
「ほら、変化が解けちゃったでしょう? そんなことじゃ、小学校に通えませんよ」
 女性——おそらく母親はそう言って子供をたしなめていた。
 うまく化けられるようになれば、あの仔狐は人間に混じって小学校に通ったりするのだろうか。
 実は僕のクラスメートにも、そうやって人間に混じっていた奴らがいたりしたのだろうか。
 ついそんなことを考えてしまう。
 また、面をつけた人に先導されて
「ここは書店と言いまして、主に書物を扱う商店です」
 と説明を受ける大きな異形もいた。どうやらマヨナカというのは、ただ単に異形たち——キツネ先輩の言う”彼ら”が買い物をするだけでなく、人間社会に馴染むための練習や研修の場としても利用されているようだ。

「すみません」
 そんなことを考えていた僕はお客様の声でふと我にかえった。
「いらっしゃいませ」
 そう言って僕は定型文の挨拶をして、目を丸くした。
「定期購読の商品を取りに来たよ」
 人懐っこい顔と友達のような口調でそう言ったのは、お昼にもたまにやってくる常連のお客様だったのだ。……なんで今いるんだ?
「あ、佐藤さん、いらっしゃいませ」
 レジ横に置いてある商品の補充にやってきたコトリ先輩が慣れた様子でお客様に言う。
「せ、先輩! 名前はダメなんじゃ……!」
 僕が慌てて言うとコトリ先輩は
「あ、大丈夫だよ。佐藤さんは本当の名前じゃないから」
 と、あっけらかんとした様子で答えた。
「へ?」
 僕の口から頓狂な声が漏れ出る。
「ああ、その声は」
 佐藤さんは面で顔を隠した僕が誰であるかを察したらしく、含み笑いをしながら
「そうか、もしかして君は今日が初めてのマヨナカかな? こちらでもよろしくね」
 と言う。
「はあ、よろしくお願いします」
 僕はそう言ってレジの後ろにある定期購読置き場から『佐藤博』とラベリングされたものを引っ張り出す。……確かに平凡すぎるくらい平凡な名前だなあとは以前から思っていたけれど、まさか偽名だったとは。
「ご確認をお願いします」
「はいはい、確かに」
 佐藤さんは雑誌を確認してから微笑んで
「君はこの場で多くのことを知るかもしれないけれど」
 と言葉を漏らす。
「一度に全てを受け入れる必要はないよ。少しずつ、歩み寄れればいい。”お互いに”ね」
 ……どういう意味だろう?
 僕はその言葉の意味がわからなくて、それでもとりあえず「ありがとうございます」と言いながら、雑誌の入った袋を佐藤さんに手渡した。
「コトリ先輩、今の言葉の意味、わかります?」
 佐藤さんを見送ってから尋ねるとコトリ先輩は
「オオメダマくんにわからないなら私にもわからんよ」
 と言った。そりゃそうか。
「佐藤さんって、人間じゃないんですか?」
 ついでにもう一つ聞いてみる。するとコトリ先輩は今度は頷いて
「どうやらそうみたい。人間の姿しか見たことないんだけどね。実は陰陽庁のお偉いさんらしいよ」
 と答える。佐藤さん、官僚だったのか。だいたいいつも人懐っこくもどこか壁を感じる笑顔を向けてくるので、勝手にセールスマンか何かだと思っていた。
「でもって本当の姿は神様だとか悪魔だとか色々聞くなあ」
「コトリ先輩、それ真逆の存在じゃないですか」
 僕が言うとコトリ先輩は「そうでもないよ」と言って
「神も悪魔も表裏一体だよ。畏怖の対象であることには何ら変わりない。悪魔信仰者もいるし、邪神と呼ばれる存在だっているじゃない」
 と続ける。言われてみれば確かにそうだ。佐藤さんはどちらなのだろう。……あの絶妙な胡散臭さはちょっと悪魔っぽい気もする。
「あ、そういえば当たり前すぎて説明忘れてたけど、マヨナカにも定期購読の方はいらっしゃるからね。置き場所はいつもと同じだから」
 コトリ先輩の言葉に僕は
「わかりました」
 と短く答える。なんだか今の一言で急に現実に戻された気がした。

 カウンター端に置かれた砂時計的なものに目をやる。
 砂は残り三分の一といったところだった。

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