9.

「この建物全体が今はこの世とあの世の間にあると先輩に教わったのですが、お客様はどうやって来店するんですか?」
 僕が尋ねると猫教授は「吾輩は仕組みの全てを知っているわけではないのだがね」と前置きをして
「神隠し、という現象を知っているかね?」
 と逆に聞いてくる。僕は頷いた。
「今現在、この場所は意図的に神隠しされている状態なのだそうだ。そして、客である我々も意図的に神隠しされることでこの場所に赴いている。——たとえば円形に並んだ小石の中。昼も夜も暗がりの路地の向こう。そういった空間の歪みやすい場所の座標を意図的に操作してこの場所への道を作っている——と、パンフレットには書いてあったな」
「ぱんふれっと」
 唐突に聞こえた意外なワードに僕は思わず目を丸くしてしまった。
「然様。妖怪として役所に届出を出すと陰陽庁からあれこれ届くのだが、その中にマヨナカの手引書も入っていたよ」
「妖怪って役所に届出を出さなきゃいけないんですか?」
「各種行政のサービスを受けるためには出さねばならないね」
 出生届みたいなものだろうか。
「まあ、古い妖怪の中には届出を出すことに抵抗のある者も多くいるそうだが——先にも言ったように吾輩は妖怪としては若輩者だからな」
 そう言って猫教授はお茶を飲む。その所作は何百年も生きた仙人のように見えるけれど、本猫の申告するところによれば彼は僕と同い歳なんだよな……。
「今は人と妖にとって過渡期なのだそうだ」
 猫教授は湯呑みを置いて息を吐き出しながら言う。
「吾輩は自分は妖だと胸を張って名乗り娘とともに昼の街を手を繋いで散歩できるようになればそれは素晴らしい世の中なのだろうなと思うのだが、物事はそう簡単なものでもないらしい」
 確かに仮にそういう世の中になったら、妖怪にも人間にも抵抗する存在は多そうだ。
「真夜中に開くこの場所たちは、いわば実験施設のようなものなのだろうと吾輩は思っている」
「人と妖怪が仲良くできるかどうかの実験施設ってことですか?」
 僕の言葉に猫教授は頷いた。
「だから、入られる存在は限られるのだ。人を疎ましく思う妖怪や妖怪を信じない人間などは、そもそもこの場に入れないらしい」
 ……どうやら僕はいつの間にか何かしらの審査をされていたようだ。
「ねえねえ、面白そうな話してるね。俺も混ぜてよ」
 ふとその時、隣の席から声が聞こえた。僕と猫教授はほぼ同時に声のした方を見る。
 そこに立っていたのは長身で細マッチョでモデル体型でついでにアイドル顔の男性だった。見た目から推察される年齢は僕とそんなに変わらないだろうけれど、圧倒的なスペック差を感じる。
「あ、急に話しかけてごめん。でもなんか面白そうな話してるからさ」
 そう言って男性は持っていたジョッキをテーブルに置いて
「俺の名前は坂井だよ。坂井朱里」
 と僕たちに名刺を渡してくる。おしゃれな透かし彫りの名刺には漢字とともに『AKARI SAKAI』とローマ字が書かれていた。職業欄には『妖コンサルタント』と書いてある。
「ほう、坂井さんはコンサルタントなのか」
 猫教授が興味深そうに言った。
「コンサルタントってことは、妖怪の相談に乗るお仕事なんですか?」
 僕が尋ねると坂井さんは
「正確には妖怪絡みの相談事かな。人間の相談でもバシバシ受けるよー」
 と人懐っこい顔で笑う。
「さっきから聞いてたらお兄さんが面白そうな話してるからさ、思わず割って入っちゃった。よかったら俺にも話聞かせてよ。君はこのマヨナカにたくさんの疑問を抱いた。——それってつまり、このマヨナカに多くの興味を抱いているってことだよね」
 慣れた様子で店員さんに日本酒を注文しながら坂井さんは僕に言う。
 確かにそうだ。
 僕は、この場所にずいぶんと関心を抱いていた。

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