5.

 大きなカラスだった。
 そろそろレジも交代の時間かというときに来店したのは、それはそれは大きなカラスだった。
 より正確に言うと人に近い胴体にカラスの頭がくっついていた姿をしている。
「本を取りに伺いました。カラスマです」
 よく通る男性の声でカラスは流暢に名乗りながら予約票をレジカウンターに置いた。その手は人と似た形をしているけれど真っ黒な羽毛に包まれている。
「あ、はい。少々お待ちくださいませ!」
 僕は予約票を受け取って、レジ後方の棚に駆け寄る。
 予約票に書かれているのは『烏丸次丸』とまるで漫才コンビのような名前だった。苗字は『カラスマ』だろうが、下の名前はなんと読むのだろう。
「お待たせしました。こちらでお間違いないでしょうか」
 ややあって僕は棚から商品を取り出し、烏丸さんに確認してもらう。それは人気コミックの新刊だった。
「はい、確かに」
 烏丸さんはそう言って財布を取り出す。見た目はカラスだけれど、中身は普通の成人男性みたいだ。……この人も、普段は人間社会で生活していたりするのだろうか。
「数年ぶりの新刊なので楽しみにしていたんですよ」
 ……少なくとも数年は人間社会で暮らしているみたいだ。
 と、そのとき僕はふとあることを思い出した。
「こちらのコミック、特装版も出ていますが通常版でよろしいですか?」
 余計な世話かとも思ったが、数年ぶりの新刊だと楽しみにされているようだったので僕は思わずその言葉を口にしていた。
「え、特装版?」
 どうやら烏丸さんは特装版の存在を知らなかったらしい。
「えーっと、少々お待ちください」
 僕はそう言ってから備え付けの呼び鈴を鳴らす。チーンという通りの良い音が響き、ややあってコトリ先輩が走ってきた。
「あ、烏丸さん! お久しぶりです!」
 コトリ先輩は烏丸さんに挨拶してから
「オオメダマくん、何かあったの?」
 と僕を見る。僕はコミックを見せながら
「これ、特装版もありましたよね?」
 と尋ねる。コミック担当のコトリ先輩は小さくうなずいて
「あ、もしかして烏丸さん、特装版のご予約だったんですか?」
 と烏丸さんに尋ねる。烏丸さんは
「いえ、その特装版とやらの存在を今知りまして……せっかくだからどちらを買うか見て決めようかと」
 と答えた。
「ああ、そうだったんですね。少々お待ちくださいませ!」
 そう言ってまたコトリ先輩は足早に店内の最奥——コミックコーナーへと向かい、すぐに戻ってくる。
「お待たせしました!」
 コトリ先輩は一見するとコミックには到底見えない大きめの箱を烏丸さんに渡した。
「こちら、オリジナルアニメーションDVD付き特装版です」
「買います」
 まさかの即答だった。
「OVA付きがあるとは知りませんでした。確認を怠った自分のミスですね。いやはや、ありがとうございます。——おいくらですか?」
「二千七百九十八円です」
「え、安い。実質タダじゃないですか」
 ……どうやら烏丸さんはどっぷり人間社会に溶け込んでいるみたいだ。
「あ、ついでに予約もいいですか?」
 カルトンの上にお札を置きながら烏丸さんが言う。その言葉に答えたのはコトリ先輩だ。
「かしこまりました。お会計後、サービスカウンターにお回りください」
「ありがとうございます」
 嬉しそうに笑う烏丸さんに僕はお釣りを渡した。

「烏丸さん、今日はこれからお仕事ですか?」
 コトリ先輩が予約票を書きながら尋ねる。
「ええ、そうなんですよ。最近本当に忙しくて……仕事中に聞く音楽と、仕事の合間に見るアニメと、就寝前の漫画が楽しみで生きてます」
 烏丸さんがそう答えた。……すごく楽しそうな生き方だなあ。
「いつもお疲れ様です」
「コトリさんこそお疲れ様です。現世の民には辛いことも多いでしょうに」
 烏丸さんの言葉にコトリ先輩は
「時給が良いので」
 と笑いながら答えた。烏丸さんも笑いながら
「ああ、それは確かに大切なことですね」
 と言って
「では、これと、これと——こちらは限定版でお願いします」
 と続ける。……どうやらまたたくさん予約したようだ。
「本当は昼にも取りに行きたいところなのですが——またマヨナカになると思います」
「かしこまりました。では、こちらお控えです」
「確かに。では、よろしくお願いします」
「はい。またのご来店をお待ちしております」
 コトリ先輩がそう言った数秒後、烏丸さんはレジの前を通って店を後にした。
「ありがとうございましたー」
 僕が発した定型文の挨拶に、烏丸さんは片手を上げて答えてくれた。ちょっと変わっているけど、たぶん良い人(カラス)なのだろう。
「烏丸さんって常連なんですか?」
 僕が尋ねるとコトリ先輩は予約票をファイリングしながら頷いて
「前はお昼も来てたんだけどねー。最近は妖怪さんの社会進出が増えてきたから忙しいみたい」
 と続ける。
「差し支えなければ烏丸さんが何をしているのか聞きたいんですけど」
 続けて聞くとコトリ先輩は
「警備員さんだよ」
 と答えた。……警備員?
「烏丸さんたちはね、この”マヨナカモール”の警備をしているの。本職は警視庁の陰陽課の刑事さんだったと思うけど」
 おんみょうか、という聞きなれない単語を変換するのに僕は数秒を要した。……たぶん、妖怪専門の部署だろうな。開店からここに至るまでで僕にもだいぶ耐性がついたらしい。
「最近は”まれびと”さんも増えているらしいから、烏丸さんたちも大変なんだって」
 コトリ先輩の言葉に僕は首を傾げた。
「先輩、まれびと、って何ですか?」
「異世界からのお客様って意味だよ」
 ……妖怪の次は異世界か。
 どうやら、この場所にはまだまだ僕の想像を超えたことがあるらしかった。

 カウンター脇の砂時計が落ちきる。
「交代しますよ」
 とキツネ先輩がレジにやってきて僕に言った。

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