2.

「もともと、昼は人の時間で夜は”彼ら”の時間だったそうですよ」
 在庫チェックをしながらキツネ先輩は透き通った声で淡々と言う。
「マヨナカは照明を極力落として夜を演出するのも、”彼ら”に敬意を払ってのことだそうです」
 キツネ先輩の言うように確かに店内は薄暗い。本のタイトルが見えないほどではないけれど。
「けれども、いつしか人は夜を克服し、さらには”彼ら”を追い出そうとした」
 そう言ってキツネ先輩は屈んで棚の下部に備え付けられた本の在庫を入れるための引き出し——ストッカーというのだ——を開ける。
「そこに『待った』をかけたのが、当時の陰陽寮だったそうです」
「おんみょうりょう」
 聞きなれない単語は明らかなひらがな発音で僕の口から漏れた。
「現在でいうとこの陰陽庁ですね」
 キツネ先輩は淡々というけれど「みなさんご存知の」みたいなテンションで言われたところで少なくとも僕は社会科でそんな省庁の存在を習ってはいない。
「人は夜に関わりすぎたんですよ。だから”彼ら”の存在を大っぴらにしてしまっては、混乱や争いが生じる。——そう考えて基本的には”彼ら”の存在は秘匿されているんです。……京都とかだとまた事情が違うみたいですけれど」
 僕は魑魅魍魎溢れる夜の京都を妄想してみた。……うん、そうだな。なんとなくだけれど、よくなじんでいる気がする。
「あと行ったことはありませんが、聞くところによればイギリスでも秘匿扱いではないようですね」
「世界規模の話なんですか!?」
 僕が頓狂な声を上げるとキツネ先輩は
「当たり前じゃないですか。人間がどこにでもいるように”彼ら”もまた、どこにでもいるのですよ」
 と答えて
「オオメダマくん、そろそろレジに行った方が良いですよ。コトリ先輩と交代のお時間です」
 と続けた。目元はお面で見えなかったけれど、珍しく口元は笑っているように見えた。

 当店は小さな書店なので、レジは入り口に一台あるだけだ。そこに一時間ごとに一人ずつ交代で入る。
 もう一時間経ったのか。早いなあと思いつつ、僕は左手首の腕時計に目をやる。
 安物のデジタル式腕時計の表示は完全にバグっていた。安物なのでとうとう壊れてしまったのだろうかと思いながら僕は腕時計を外してポケットにしまい、カウンターの中へと入った。
「コトリ先輩。交代します」
 僕の言葉にコトリ先輩は
「ありがとー」
 と嬉しそうにいう。キツネ先輩と違って、コトリ先輩の喜怒哀楽は大変わかりやすい。
 僕はコトリ先輩と場所を交代しつつ、背後にある壁掛け時計に目をやった。
 白くて丸い普通のアナログ式の壁掛け時計は、めちゃくちゃな時間を示していた。長針も短針もでたらめにぐるぐると回転したり急に止まったり今度は逆回転したりを繰り返している。
 僕が時計を見上げて呆然としているとコトリ先輩は
「本当に店長ってば何も説明しなかったんだ」
 と呟いて、レジカウンターの脇に置いてある見慣れない砂時計らしきものをちらりと見る。……こんなもの、普段はなかったと思うのだけれど。
「あのね、今は時計が使えないの。ここはちょっと座標がズレた場所らしいから。同じ理由で電話とネットも使えないから気をつけてね。パソコン自体はスタンドアローンにしているから店内の在庫とかは普通に見れるよ。あとは昨晩閉店時の他店の在庫データも閲覧できるからお客様に在庫聞かれた場合は参考にしてね」
 コトリ先輩はやや早口に説明する。後半部分は理解できたが前半部分について僕は聞きたいことがあった。
「あの『座標がズレた場所』ってどういうことですか?」
「あ、やっぱりそこ気になる? ややこしいから店長に説明しててほしかったんだけどなあ」
 そう言ってコトリ先輩は頭を掻いた。
「……いや、説明が面倒だから店長は私に投げたんだろうな、あの人はいつもそうだ」
 苦笑いをこぼしながらコトリ先輩はそう続けて
「えーっとね、『この世』と『あの世』ってあるでしょ?」
 と、いきなり突飛なことを言い出す。
「……宗教的な話ですか?」
「いや勧誘とかそういうアレじゃなくて、今この場所の説明」
 コトリ先輩は慌てた様子で弁明するが、なぜ場所の説明でそんな単語が出てくるのだろう。
「今、この建物全部、『この世』でも『あの世』でもない場所にあるらしいんだよね。私も詳しくは知らないんだけどさ。で、その場所だと時間の流れとか違うから、時計は全部狂っちゃうみたい。出たら元に戻るからあんまり気にしなくていいけど」
 ……今、さらっとすごいことを言われた気がする。
「だから、交代時間はそこの砂時計的なものを見て確認してね。これ、レジの他だと事務所にも置いてあるから。全部落ちたら交代。ローテーションはいつも通りで」
 コトリ先輩の言葉に僕は首を傾げた。
「『的なもの』って言いましたけど、これ砂時計じゃないんですか?」
「うん。入っているものは砂じゃないんだって。なんか呪具だか魔道具だか、聞きなれない単語で説明されたけど、原理は砂時計と同じだから『砂時計的なもの』って呼んでる」
 アニメ以外で聞いたことのない単語が飛び交い、僕は少し頭が痛くなった。謎の多いこのマヨナカ勤務を僕は全うすることができるのだろうか……。正直、不安しかない。
「見かけ上は丑三つ時——いわゆる午前二時から午前四時までの勤務になるんだけど、体感だと八時間くらいあるから、ちゃんと休憩も取ってね。あと店長から聞いているかもしれないけど、この時間帯は陰陽庁から補助金が出ている関係もあって、時給が深夜手当の倍額になるよ。慣れないうちは大変かもだけど頑張ってね」
 コトリ先輩の言葉に僕は
「給料はやっぱり二時間分なんですか?」
 と尋ねる。これだけ精神的に疲れるのに二時間分は割に合わないなあと思っていたら、コトリ先輩は首を横に振って
「ううん。八時間分だよ。場合によってはバイトでも賞与が出るよ」
 と答えた。

 僕は全力でマヨナカを頑張ろうと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?