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Further Platonic (静岡、三島)芹澤 interview レーベルの始まりと静岡のシーン


このinterviewはsik:mogroのスプリットに同封、もしくは単体でも販売されているBurn Myself Magazine vol.2に掲載されているインタビューです。



splitの理由やきっかけは前回の記事にて。


この記事の後半部分は有料ですが、sik:mogro splitやzine単体でもこちらから購入できます。

https://furtherpx.thebase.in/items/72859154

25日以降に各ディストロやレコード店などで販売を開始します。


「残響レコードがリリースしてくれそうな話が出たんですけど…。(中略)連絡が来なくなっちゃって、僕たちはリリースされないんだなって気づきました。」

○Further Platonicの始まりときっかけ

芹澤
元々stereo typeってバンド僕がやってたんです。
残響レコードがリリースしてくれそうな話が出たんですけど…。

高澤
それは何年頃ですか?

芹澤
2007、2008年ぐらいです。
連絡が来なくなっちゃって、僕たちはリリースされないんだなって気づきました。
それまでは自分たちでデモ音源は作っていました。

高澤
CDRでみたいな感じですか?

芹澤
そうですね。
同時期ぐらいにbirthというバンドとかと知り合ったり、上の世代のバンドの活動を見たりして自主でCDプレスしてやるっていうとこからスタートしました。

高澤
その2007,8年頃っていうのは何かシーン的なのがポストロック、マスロックだったり、親和性のあるそういうポストハードコアだったりが盛り上がってた時代だったんですか?

芹澤
同世代のバンドは意外と限られてて、killieとかballoonsとかに憧れた僕ら世代のバンドが、10バンドくらいは居たと思います。

高澤
主にリンキー系列とかって感じですか、ライブは?

芹澤
そうですね。
あそこで知り合ったバンドとかの活動を見て、それを習うような感じで自主制作、自主レーベルを始めたって感じですかね。

高澤
東京だとどんなバンドがいたんですか?
その時期一緒にやってたと言うか、よく対バンしてっていうバンドはいました?

芹澤
年は上でしたが、a picture of herや、激情系だとdocument not found。
激情ハードコアに寄ると僕らはそんなにやる機会がなかったので、どちらかと言うとポストロック系、clean of coreとかよく一緒にやっていました。

高澤
何かホームというか、いつもやってたのはどこでやってたんですか?

芹澤
ERAですかね。
憧れのバンドが結構出てたたもんで、

高澤
それが2007,8年ぐらいで、残響から音沙汰がないから、自分で出すかって感じですかね。
最初は何をだしたんですか?

芹澤
最初はstereo typeの4曲入りEPです。
その時にレーベル名を使い初めました。
レーベルをやってくっていう強い気持ちはまだなかったんですけど、stereo typeで知り合った8mっていうインストバンドがいて、スプリットを2008年に出してます。

高澤
どう拡げていったんですか最初?

芹澤
そうですね。
ディストロっていう存在を知った頃でしたので、Eメールでお願いして。扱ってもらうように、直接やってました。
今はもうないようなディストロとかディスクユニオンとか、あとインディーズミュージックってメロコア系に強いところでも結構売れました!
はじめは、そういう所に委託販売をお願いしてって形でしたかね。

高澤
取り扱いメールして連絡したところからの反応っていうのはどんな感じだったんですか?

芹澤
クールな方が多いと思うんで、「最高!」みたいにメールで返ってきた事はなかったと思います(笑)
まだ、僕らは駆け出しでしたが、その頃の時代的にも枚数的には売れたなっていう感覚ありました。

高澤
そういう時代でもあったんですね。
2000年代後半?
今に比べたらCDが売れてる時代ですよね。

芹澤
ですね。
メールの反応はあっさりしててもレビューを熱く書いてもらったり。
そういうのはやっぱ嬉しかったし初めての体験でした。
その8mとのスプリットまではプレスはしたけど流通はしてないって感じですね。

高澤
そっからどう転がってくんですか?
スプリットから始まって。

芹澤
スプリットの後は、stereo typeのファーストアルバムを出してて、そこで初めて全国流通をやったんですよね。
新しい体験でした、それも。

高澤
どうでした?凄いざっくりな質問ですが。

芹澤
最初はディスクユニオンの流通を使ってまして、担当してくれる方たちが僕たちのような音楽にも精通してる感じがしました。
どうやって売り出すとか、適切なコメントやアドバイスをくれました。

高澤
どこかのタイミングでは別のとこにお願いするようになったって感じなんですか。

芹澤
そうですね。その後流通は色々と変えてました。当時から全国流通が正義っていう気持ちは無かったんですが、タワーレコード、HMVで売れるはず!って思ってました。

高澤
まだそうそういう時代ですよね。

芹澤
その後の動きとしては
横須賀のweaveっていうバンドを自分のレーベルでリリースしたいと思っていました。
それと同時に、僕がもう一つやってたkittenってバンドと、新潟のmidnight paradeとスプリットの話があり、これをどちらも同レーベルで出したら面白いはず!ってなり、レーベルが動きだした感じです。

高澤
スプリット以外ではweaveが最初ですか?

芹澤
はい、そうです。

高澤
それは芹澤さんからうちのレーベルから出したいんだけどみたいな感じで対バンする過程でオファーしたって感じですか?

芹澤
そうですね。

高澤
自分はこういうシーンっていうのはlang入ってから関わるようになったのでweaveって皆が特別視してるバンドなんだなって人から聞くたびに思いますね。

芹澤
weaveがあの初のリリースなんですね。
そうですね、レーベルとして関わりたいって思ったのはとweaveですかね。
midnight paradeとkittenのスプリットが2011年で、weaveが2012年ですね。

「Twitter等が主流になってきてた頃だったので、発売日に買ってくれたりとかそういうのを見て、自分のバンドみたいに喜びました。」

○最初のレーベルのリリース

芹澤
反響はあったと思います。Twitter等が主流になってきてた頃だったので、発売日に買ってくれたりとかそういうのを見て、自分のバンドみたいに喜びました。

高澤
ファーストアルバム?

芹澤
セカンドEPからスタートして、その後ファーストアルバムも出してます。
気持ち的にも勢いがあって、自分の周りのバンドのリリースをしていきたいと思っていました。
恐れ多いけど、今でいうungulatesのように、シーンをそのままレーベルにしたかったっていうのはありましたかね。

高澤
でもその当時はその一目置かれる感じにはなったんじゃないですか?

芹澤
同時期に周辺を仕切ってたのがLove The Fate Recordsがあったので、僕は追従してる形です。

高澤
そのレーベルが結構盛り上がってたって感じなんすか?

芹澤
僕はそう思ってます。

高澤
それは何のバンドの人がやってたとか、レーベルって感じですか?

芹澤
エモ系のgreeensheepってバンドをやってる方でした。
そのレーベルでbirth(山梨)がアルバムを出してるんですよ。

高澤
はい。

芹澤
stereo typeも2ndアルバムをLove the Fateでリリースしてます。

高澤
stereo typeが出してたんすか?

芹澤
はい。自分のレーベルもやりつつ出してもらいました。
自主ででリリースした後ぐらいにlove the Fateのコンピレーションに参加して。

高澤
自分がやるのと人にやってもらうのって自分でやった後だと意味合いが変わってきますよね。

芹澤
そうですね、自分のバンドを自分で売り出すっていう難しさはあったもんで。
birthと一緒に盛り上げていきたいなっていうところはありましたし、憧れでした。
Love the Fateが先陣を切ってやっていて、もうちょっとコアなところをFurther Platonicで出してきたいなっていうところからスタートしつつ、Love the Fateを見て、自分もやってみたいなっていう想いがありました。

高澤
Love the Fateってその後もリリースしてるんですか?

芹澤
いやそこで止まっちゃってるんですよね。

高澤
そうですよね。
色々人生の方向性があるから。

芹澤
はい。その人自身もバンドやめちゃったのもありますし。
出せば儲かるっていう話でもないし、負担になってくんじゃないかなっていうのはあります。

「200枚しかはけてないよみたいな雰囲気だったですよね。」               

○時代の移り変わりと売り上げ

高澤
次の話にもつながるんですけど。
昔と今時代の移り変わり。
その2000年代後半から今2020年で。
多分割と昔の方が儲かるにいかなくても採算出しやすかったのかな?って思うんですけど、、、
その辺の結構シビアの話とかってどうですか?

芹澤
仰る通りですね。なんだかんだリリースしたら。200枚ぐらいは何となく出てる感じはありました。

高澤
時代が違いますけどこの前3LAででたyarmulkeもこの前yOshiさんと話した時に当時1000とか2000枚プレスしたって話しを聞いて。
ああいうジャンルのバンドでもそれくらいはけてたって言ってて。時代が違うなとか思ったり、今の話聞いても200枚売れるって結構売れてるっていう言い方、おかしいですけど今の感覚で言うと売れてますよね。
それは2000年代後半って感じですか?

芹澤
はい。200枚しかはけてないよみたいな雰囲気だったですよね。

高澤
それでどの辺から陰りが見えてきたというか、
バンドの良し悪しとかありつつ、それ以上に時代の変化っていうのがあったと思うんですけど。
感覚的にどれぐらいから、売れづらくなってきたなぁって感じてきましたかCDが?

芹澤
サブスクですかね?

高澤
5、6年ぐらい前からって感じですか。
まさにそういうサブスクリプションの台頭とともに売り上げも反比例してっていうことなんすかな。

芹澤
やっぱりそう思います。

高澤
定期的に話題に上がって繰り返されてるテーマでもありますよね、その辺は。

芹澤
C D が売れなくなったなって、感じはやっぱありますね。自分も買わなくなりましたし。

高澤
そうですね。CDは多分ちょうど自分のお店始めたのが2016年ぐらいで。その時にはCDをパソコンからかけてはいましたけど途中からyoutube流しっぱなしとかにしてましたね。
最近になってその車移動になったのでCDを聴く環境が数年ぶりにできたかなって思っていて、そういう意味ではCDいいなぁって今凄い思ってますね。

芹澤
あとは精神的な面で言うと、そもそも儲けるために始めてない感覚もあったもんで自分もバンドやってるから聴いてもらわないと、始まらないかなっていうのは、あります。
だから売り上げとかじゃなくて。基本的にのうちのレーベルは、サブスクが大体バンドの意向に合わしてやってるって感じではあります。
CD作りたいっていうバンド、CDを作らなくなったらもうレーベルの存在意義がわかんなくなってくる部分もある。
100,200枚とか。そうは言ってもやっぱ500枚ぐらいプレスして。100枚ぐらいは売れたらいいなでやってる感じですかね。

高澤
結構具体的ですね。
少し脱線するんですが、
aoni以外の若いバンドっていうのは、
aoniは多分ちょうど自分らの一回りぐらいしたじゃないすか?
自分たちは割とCDで育ってたりするじゃないすか。それで、そのCD出す出さないサブスクだけにするっていう話とかの時に若い子にとってCDってどんな感じですか?

芹澤
どんな感じなんですかね?

高澤
自分達の時代にもう終わりかけてたハードの媒介てあるじゃないですか?
レーザーディスクとか。
リアルタイムでああいうのでリリースを仮に好きなバンドの映像がされたら、絶対買わないよなって。
他にもその好きなバンドの映像があのVHSじゃなくてあのベータでしたっけでかいやつ。
ベータで出されたら、見れないし、ハードも買わねえよ。っていう話にもなると思うんですけど

芹澤
そうですね。

高澤
アナログとかだと昔から一定数支持され続けてきて、今またブームっちゃブームだから、手にとろうって思うのかもしれないすけど。このハードが終わりかかってるC Dってどうなんだ?って思う部分もありますね。
でもソノシートとかアナログのリリースで自分は動いてるからC D は元を取りやすいよな、売り上げ出しやすいよな利益出しやすいよなっていうのが感じてはいるんですけど。
若い人たちから見たCDってどう見えてんだろうなって思ってます。
aoni以外に若いバンドっていますか?

芹澤
aoniが一番下ですかね。
彼らはちょっと特殊で、斉藤くんが特に。

高澤
特殊な感じもしますね。彼はちょっと特殊ですねかなり。

芹澤
メンバーもCDを通ってきてる最後の世代って印象です。

高澤
ギリギリなんですかね。

芹澤
中学、高校とかCDが主流だった時代。
そうですねその下の世代。
思い出は同じぐらいあるとは思います。
でもその下の世代になると、
決め付けみたいなとこもあるんですけど、
サブスクで聴けるから聴かないしその C D 買わないじゃないですか?
するとやっぱ CD出したい気持ちもないのかもしれないしね。

高澤
実際今20歳の子だったら、仮にその。
サブスクとかが台頭してきたのっては、2016年17年とかってなると、中高生の時に C D なんて買わないっすよね。YouTubeでいいし。

芹澤
今なんでもデジタルじゃないすか?
ゲームとか本とか。ゲームはちょっと、音楽に近い感覚あるんですけど。

高澤
なんかその感覚で言うと自分も結構古い人間だからロマンシングサガってゲームが結構好きで。
そういうリメイクとかが携帯ゲームとかだと手が伸びないですね。
それにハードとかにすると、金がかかるっていうところで配信って形なんですかね。

芹澤
そういう話だと、本は違う感覚があります。
フィジカルで触ってめくりながらとはタブレットやスマホで見る感覚が違うかなって。
便利だと思うんですけど。だから本はいいなって思います。
音源に当てはめると歌詞カードとかになるんですかね?

高澤
そうすね。ジャケットだったり。
何かそういうのもあってAGATHAとstereo type
のライブの時にライナーを配ったみたいな流れにもなるんですか?

芹澤
そうですね。
インストだと歌詞カードがないもんでCDを買う理由の一つにしたいなと。
買う側の目線ではいなるべく考えるようしてます。

高澤
頭おかしいかもしれないんすけど別に、インストでも歌詞貸しカードつけてもいいよなって今思っちゃいました。
この曲に歌詞載ってないけど、
文章書くみたいな。

芹澤
そうですね。
stereo typeは結構単独でもzineみたいのつけるようにはしてました。

高澤
そうなんすね。
昔とから今の話をしたんですが次の話しで。

「僕らのシーンを一つのレーベルに落とし込めたんじゃないかなとは思ってます。」

○レーベルで印象に残ってるバンドと事柄

高澤
最初に今までレーベルでどれぐらい出してるんですか?

芹澤
約70作品です。

高澤
すごい。
この10年で2008年スタートだとして最初に出したのは、2011,12って言ってましたっけ?
もう10年ぐらい、毎年2バンド、1年に2バンドぐらいずつ出してですか?

芹澤
そんなイメージですね。

高澤
いい時代も半分ぐらいはあったって考えると。
ない。なんとか金銭的には、
大打撃はくらってはいないって感じ?

芹澤
うーん(笑)

高澤
くらってる感じですよね(笑)

芹澤
儲かってはいないと思います。

高澤
印象に残ってるバンドとか事柄ありますか?

芹澤
weaveからスタートしてさっきのLove the Fateのコンピレーションとか。
関わってたbirthとか京都のtheoremっていう。バンドとかこの辺りが自分のレーベルで最終的にはリリースすることができて、そもそもやりたかったことがそこでできたかな?
もともと自分が好きだったバンドでもあり。
僕らのシーンを一つのレーベルに落とし込めたんじゃないかなとは思ってます。
どっちもめちゃくちゃかっこいいバンドなんです。
今そんなにやれてないし、そんなに人気もないんですけど。

高澤
自分は2バンドとも聴いたことありますし、
他に印象的な事って何かありますか?

芹澤
Choir touched teras chordっていうバンドがいました。
weaveと同時期に単独をリリースして。
リリースした頃はこれからやってやるぞみたいな感じで。
それでThe Get up kidsを呼んだんですよ。

高澤
The Get up kidsを芹澤さんが呼んだんですか?

芹澤
いや、そのChoir touched teras chordが呼んだですよね。

高澤
そんな人気だったんすか?

芹澤
人気はそんなになかったんですけど。ギャラは相当払ってると思います。
2013,2014年くらいですかね?

高澤
凄いですね。
それでThe Get up kids読んで一緒に周ったってことですか?

芹澤
4箇所ぐらい周ってたと思うんですよね。
最後野外フェスで締めてました。
そこにweaveも呼ぶみたいな話が出てて、そうしたらレーベルも盛り上がるよねって話をしてて、結局呼んでくれなかったみたいな(笑)
対バンも有名なバンドが連ねていました。相当な金銭負担はあったかと思います。

高澤
そうですね。しょうがない側面もありますね。

芹澤
これはちょっと印象に残ってましたね。
直後ぐらいにこのバンドも止まっちゃったので。

高澤
勿体ないすね。

芹澤
それだけの機会作ったんで、一時的にちょっと名前が知れ渡ったと思うんすよね。

高澤
絶対そうですよ。
何かそうやってリスク追ってやると。

芹澤
賛否両論ありました、なんでThe Get up kids呼べたんだ?みたいな。
それでも彼らの不安も徐々に増えてる感じがしてたところだったので。

高澤
実際お金を積んだとは言っても外国のバンドとのやり取りとかって、全く知らない人とかだと、あんまり発展しないのが普通じゃないすか?

芹澤
そうですね。

高澤
そこまで行ったってやっぱり。
何があったんだと思いますけどね。

芹澤
すごいですよね。

高澤
もったいない。その人達は今は誰も何もやってない感じなんすか?

芹澤
そうだと思います。

高澤
もったいない。

「(静岡で)同じような音楽の趣味がある人に会うこと自体が少ないないですよね。
だから近い人たちを見つけて、お互いに共有したい。そういう人を増やしてこうっていう動きは、帰ってきてからはしていましたね。」


○ 東京と静岡のシーンの違い、都心部とローカルの違い

高澤
今三島にいて、前まで東京にも居たって言ってたと思うんですが何年ぐらい前まで東京にいたんですか?

芹澤
2010年ぐらいですかね。

高澤
そうなんすか。
すぐわりとこっちに戻ってきたんですね。

芹澤
そうですね都内に3、4年ぐらいで。
ESP通ってたんですけど。
ちょっとスタジオでバイトをして2年間ぐらい。

高澤
stereo typeのみんなで東京に行ってたんですか?

芹澤
そうですね。
大学のタイミングで、メンバーが上京するっていうところで僕もESPへ行きました。

高澤
みんな都内の大学に行ったってことですか?

芹澤
そうですね。都内とか千葉でした。
皆メンバー上京してちょっとバンドやりたいみたいな感じはあり。

高澤
学校卒業のタイミングで戻ったって感じですか?

芹澤
彼ら大学4年間あって、だから、彼らが就職するまでは都内やろうって思ってました。

高澤
でも俺も今静岡にいるからできなくはないですよね東京で。
それでその後みんなで静岡戻ってきたわけではないすよね?

芹澤
そうですね。しばらくはメンバー二人は都内に就職したんで、そのタイミングで僕は、このままではまずいなと思って。
普通に金銭的にもちょっときつかったので、実家へ戻りました。それでもモチベーションさえあれば活動できるなっていうのを思ってました。

高澤
案外できますよね。

芹澤
家賃考えた時に、新幹線で行っても、月2回行けるし、全然それでいいかなみたいな。
stereo typeのベースも同じような感じで、東京で就職したんですけど、2年ぐらいで、三島に帰ってきてるんですよね。

高澤
ドラムはずっと東京にいるんですか?

芹澤
東京ですね、今は千葉です。
最初は僕が東京へ行って、練習してたんですけど、今はベースも三島にいるので、ドラムに来てもらってますね。

高澤
そうなんすね。
本題に入りますが、
東京に住んでると東京がすべてと言うか基準になっちゃったりするじゃないすか?
色々なことが。それで東京以外のこと中心部以外の事って語られなかったりするじゃないですか?

芹澤
そうですね。

高澤
ざっくりしてるんですけど。
東京だと近いような音楽性で対バンが組まれたりしますけど、地方だったらそういうのってできなかったりするじゃないですか?

芹澤
現実的にそうですね。

高澤
なんかそういうの引っくるめて、
音楽シーンの違いというか、ざっくりしてるんすけどその違いとか聞きたいです。

芹澤
そうですね。
基本的に、同じような音楽の趣味がある人に会うこと自体が少ないないですよね。
だから近い人たちを見つけて、お互いに共有したい。そういう人を増やしてこうっていう動きは、帰ってきてからはしていましたね。

高澤
東京から戻ってきて。
東京でやってた事というか、できたことを静岡でも持ち帰って。

芹澤
そうですね。

高澤
おーすごい!やっぱそういうのもあって、やっぱりレーベルやってるんですよねきっと。

芹澤
ですね。
僕らがやり出した頃は地方にいろんなバンドがいました。
ネットで出会って、お互いに呼び合うみたいな。
仙台とか新潟とか京都とか山形とか…。
僕は関わりは無かったですが、山形だとのDo itってフェスとか、やったりしてましたね。

高澤
ああそうですね。

芹澤
仙台はポストロックやハードコアが盛り上がってる印象でした。

高澤
ハードコアは仙台聞きますね。

芹澤
新潟もそのMidnight Paradeってバンドがいたりとかして。
お互いに、その人たちのローカルに行って、そういうのがディストロともつながって、面白いものがありました。
たぶん今は何でもネットで完結してきてるのかな、と思います。

高澤
うん。

芹澤
逆に、今は都内に行かないと知ってもらえない感触もあります。

高澤
うん。そこすご嫌だよなぁとか思ったりしつつ。現実、今これ音楽の話だけではないんですけども。母数にしても人口にしても地方は圧倒的にいないから、地方っていう言い方もあんま好きじゃないですけども、現実ただ死んでいくだけの街だったりもするじゃないですか。街によっては。

芹澤
はい。

高澤
で、それってもう全てにつながっちゃうから難しいとは思いつつもう、何か地方性を大事にうまくやるしかないよなって思ったりしてますね。

芹澤
そうですね、土地柄が本当にローカルな人たちでやってると、音楽に出るような感覚もありました。
それこそ僕も人伝に聞いて、ネットでしか見てませんが、今だと九州の方のNo edgeが気になってます。
あとtooniceの井川さんみたいな発信したいなって、憧れは常に持っています。

高澤
今でも十分できてると思いますけどね。

芹澤
あと静岡は横に長いです・・・。

高澤
それも別のところでyOshiさんにその話したら静岡はちょっと特殊で、長いからシーンがもう分断されててっていう話もしてて。

芹澤
そうですね。
東部、中部、西部みたいに分かれていると思います。
東部は三島とか沼津。
アーティスティックなバンドは少な目ってイメージはありますかね。

高澤
中部って言うとどの辺なんですか。
静岡市?

芹澤
静岡市とかです。
富士市とかのバンドは、中部に行ってるのかもしれません。

高澤
富士にバンドって居るんですか?

芹澤
僕の知ってる限りだと、前はいました(笑)

高澤
コロナもあって1回流れが終わって、それに一回止まるとなかなか動き出せなくなるから、
いろいろ強制終了させられましたよね。

芹澤
おそらくほとんどがそうですね。
だいぶやれる場所も減ってますし。
明らかにバンドっぽいものをやってる人たちが減ったなっていう感覚はある。

高澤
今言ってた”やる場所が減ってきた”っていうのがまさに、きっかけにもなったんすけど、この前企画に読んだ札幌のNobody Celebrates My BirthdayがMCで、今年の頭ぐらい渋谷でやってたライブ見に行った時、言っていてそういうのもあってやる場所減ってるなら、東京に呼んでやろうかな?って思いましたね。

自分の話になっちゃいますけど、
東京っても色々なとこでいっぱいやってるじゃないですか。ライブもどこでも毎週毎週。
それで大体東京のバンドで大体完結してたりするじゃないすか。勿論たまに東京以外からも呼んでますが。

自分にあてはめた時に皆がやってる事をわざわざ自分がしなくてもいいよなぁって。

やっぱそういうのもあって、東京以外のバンドをメインに企画に呼んでそれを発展させて、最終的には売りになるんじゃないかなぁっていう。
レーベルや企画の。長い目で見た打算的な部分もあって、いや打算的ではないか。金銭的にも色々無茶で大変な事もあるし。

芹澤
はい。

高澤
あとやる場所減ってる問題は結構シビアですよね。練習する場所ねえしっていうところから始まり、あっても22時で終わるのかよみたいな。
仕事終わってから、リハ入れねえよっていう。

芹澤
富士ないですか?

高澤
一応駅前に楽器屋併設のがありますが、
そこも練習スタジオとしては、あんまり機能してない感じですね。
前何度か練習しに行きましたけど。
三島はどうですか?
三島のあのゴリラハウスは、
どうなんですか?結構その盛り上がるはななきにしも、それなりに週末はやってるわけですよねライブ。

芹澤
そうですね月に2本ぐらいやってるのかな、とは思います。

高澤
月に2本ぐらいなんすね。厳しいすね。

芹澤
もっと気軽にできる場所があればって、ずっと思ってます。
昨今のコロナである程度ライブハウスも融通利かせてくれたりはするんですけど。
箱代10万とかってなると結構きついじゃないすか。もうちょっと気軽にできる場所を欲しいなっていう気持ちがあるんですよね。

高澤
自分も前回都内のライブハウスでこの前の場所で
7万で都内の中では安い方だと思うんですが、
もっと安い所だったり、特殊な方法で運営している所は人気を得ていて借りたい日に借りれなかったり。
前もって予約してそういうところ借りれたらいいんですけど。
基本的には箱借りるのは何かこうハードルが高いですよね。
前回ギャラ払って全部で10万くらい赤字ですかね。それなりにお客さんも20人ちょいぐらい入ったりんですが。
思ってたより人入ったしよかったとは言いつつ、
前回初めて、友達じゃないお客さんも入りましたし。それでも10万赤字かとかって思うと、その精神的には黒字になったんでいいんですけど。
これはずっとは続けられないっていうのもシビアに感じましたし。
だから今回箱代は2万5千円の所なんですよね。
個人的にはせめてそんぐらいの場所欲しいよなぁとか。でもスタジオライブだとそれくらいの値段ですかね。

芹澤
そうですね。

高澤
でも静岡ってなると。
そういう箱自体がないから難しいすよね。
何か音楽シーンの話とは言いつつも、何かだんだん暗い話にしかならないですよね。
東京と地方の違いって、本当に。

芹澤
そういう場所作りたいなって実は思ってます。

高澤
次のこれからの話にもつながる部分っすよね。
ちょっとそれ教えてくださいよ。
これ載せたいですね。別に実現しなくても、案外展望だったり口にすると実現したりすると思うんで。

「ライブバーみたいなスタイルで気軽にできる場所を作りたいなって話はしてます。
そういうとこからやってかないともう、衰退してくだけかなって思っちゃう。」


○これから

芹澤
沼津とかにもライブハウスあったんですけど、なくなっちゃったり…。
三島だとゴリラハウスくらいしかなくて。
そこは本当に楽器屋のライブハウスで、良くも悪くも、そこで何も生まれないんじゃないかって気持ちが常にあります。
ライブバーみたいなスタイルで気軽にできる場所を作りたいなって話はしてます。
そういうとこからやってかないともう、衰退してくだけかなって思っちゃう。
自分のためにやるっていう部分も勿論あります。
あと一時期から下の世代のバンドが明らかに減ってる感じがしてます、時代もあるとは思うんですけど。

高澤
そうですね。

芹澤
YOASOBIみたいに独りでやるのも流行ってるから、逆にそういう人と知り合う機会も僕ら年取ってるからかもしれないけど。
場所がないっていう状態、ブッキングしてるような箱がまずない。
そういうとこからスタートしたいなって思います。三島を盛り上げたいって気持ちがあるわけでないんですが。

高澤
その最低限、自分たちがやる場所ぐらい作りたいっていうところっすよね。

芹澤
そうですね、わずかでも隠れてるなら新しい人たちと知り合いたいなっていう。
たまに自分のディストロとかで僕のFurther Platonicのストアとかで近くの市や隣の市とかから注文が来たりして。
多分知らない人だと思うんですよね。そういう人たちと直接あって手で売ったりとかもしたいですし。
そういう場所が欲しいなっていうのは、ずっと夢ですね。

高澤
やっぱり俺もやっぱ同じことを思ってるじゃないですけど、ライブハウスというよりも、俺はイベントスペースとして使える場所で設備がっちりしてなくていいから、持ち込みとか自分たちなりでやれて提供できる場を楽器屋と併設して地下とかあればいいよなって。
ライブハウスってやっぱりでかいんですよね。

吉祥寺warpの楽屋あるじゃないですか?2つある。あれの1つくらいの広さでいいじゃないすか最初とかって。

芹澤
はい。

高澤
でも多分現実それだと運営ができないんですよね。おそらく。
東京ではそういうのは難しいんだろうなとか思ったり、結局やっぱ何かと併設してになるよなって。ちなみにライブバーの話は結構具体的だったりするんですか?

芹澤
そうですね。
場所は内見したりはしてるんですけど、、、

高澤
すごい。

芹澤
すぐスタートはできないので、どうやって採算取るかっていうところをちょっと考えます。

高澤
都内じゃないかったらそういう物件って。
沢山あるんじゃないかなぁって思ってます。
逆に、地方だから何かそういうチャンスが。

自分がギター屋を最初始めた場所が高円寺なんですけど、そこは5坪の元スナックの場所で、
結局最初、不動産屋。色々当たったんすけどその敷金とか店舗とかになると最初半年とか1年とか必要になってきて、

芹澤
100万とかかかりますよね。

高澤
そうです。
20代後半の自分にはとても払えなくて、
だから直接空き家っぽいところ、高円寺片っ端からあたっていって。
何か貸してくれそうなところみつけてそれがちょうど不動産屋の社長の倉庫に使ってた物件で。
“いつか貸したいと思ってた。”
って言ってくれてはいそれであの敷金礼金家賃
5万の物件で。
初期費用15万で2年間ぐらいそこでやっていて。
なんかそういう風に地方だと結構チャンスじゃないすけど何か。こういう感じで東京よりもライトにできんじゃないかなぁとか思ったり。

あの運営とかって大げさなこと言わなくても、
例えば現実的に難しいかもしれないけど、月3万とか2万ぐらいで貸してくれるそういう倉庫みたいなところとか。
何かあるんじゃないかなぁとか駅近ではないかもしんないけどとか。工夫次第でどうにか出来ないかなって。
だからそういうのとか実現させてほしいっすねそれは。

芹澤
はい。

高澤
音楽とかが好きな子達とかが、いざ始めて人前でやる場が欲しいよなって思ったときに、学園祭とかじゃなくてそういう場所とかがあって、あそこなんか借りれるらしいよとかできるらしいよってなったらいいですよね。
それだけで別に音楽性どうこうじゃなくてこの
そういう場を提供できたら。

結局なんか良くも悪くもですけど東京以外でやると場所を作るっていう。
DIYから始まったり、最終的にそこに行き着きますよね。おそらく。
これがまたそういう地方性というか、ここでやりたいっていう場所になったら良いですよね。

芹澤
そうですね、

高澤
何か札幌だったらカウンターアクションとかって、ローカルで支持されてる箱だと思うんですよね。
ちなみに誰かとやろうって感じですか?
バンドメンバーとか?

芹澤
そうですね。バンドメンバーにも相談はしてます、基本は一人でやろうと思ってます。

高澤
何かあるといいっすよね。
何か安い倉庫物件とか何か500万ぐらいで買えたりとか。

芹澤
そこはブレてて、
やっぱり駅の近くがいいのかな?とか
郊外もありかなとは思ってるんですよね。

高澤
そこでもそれもなんか色々考え方ありますよね。
まだブレててもいいと思います。

芹澤
今のところ友達がカレー屋をやってる近くで探してるんですけど。
ライブをやれる場所って考えたときに、お客さんが来れる場所ですよね。
駅の徒歩圏内にないとさすがにどうかな、とか。
駐車場があるとか、郊外だったら駐車場がっつり置けるような場所。

高澤
めっちゃいいですね。
今話してて途中からこれからの話って暗い話しかないって一瞬思ったんですけど(笑)
そういうことができると、色々一本化しますよねなんかレーベルだにしろ、ディストロにしろ。ライブにしても。
何でも前から陰りが見えて小さくなってますけど。そういう工夫次第でできることもありますよね。 


Interview 
Further Platonic 芹澤

interviewer
sik / Burn Myself 高澤


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