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野球分析における仮定の重要性:進塁規則を例に

皆さんこんにちは。B-Cat(@BreakingBallCat)と申します。
ゼンレスゾーンゼロにハマっている間に、いつの間にかマリナーズが地区首位から陥落していました。助けてください。

この記事は、「走者二塁から単打で1点」という直感を形式化したようなモデルを採用したことで、バントの価値を過剰に見積もってしまった過去の論文について見ていくものです。 

この記事の結論は、「何らかの分析結果に対して、その分析が持つ仮定の妥当性に目を向けることも大切」というものです。
(なおこの記事の内容は、現在のセイバーメトリクスにおけるバントに関する定説にほとんど影響を及ぼしません)

またおまけとして考察も付けております。
そちらの結論は、「セイバーメトリクスの最大の功績の一つは、形式化によって経験による検証を可能にしたこと」というものです。

追記:
この記事をほぼ書き終わった段階で、内容がほぼ同じブログが既に八九余談さん(@89yodan)によって24/04/06に提出されていることが判明し、先行研究を調査することの重要性を痛感しました。

この記事の内容のエッセンスは八九余談さんの下記ブログを読んでいただければ確認することができます。
https://hakkyuyodan.livedoor.blog/archives/33888792.html


「得点圏」という用語について

ここでは、本格的な考察に入る前に基本的な用語について整理し、後の考察の道筋をつけたいと思います。

「得点圏」という用語は広く普及しています。走者が二塁もしくは三塁(もしくはその両方)にいる場合、その状況を「得点圏」と言います。
(得点圏打率の有用性があまりないこと等については別の方の記事に譲ります)

野球観戦の際に走者が二塁に進むと、「これ単打で1点あるぞ」と力が入る方は多いのではないでしょうか。

バント:得点圏を実現するための簡単な手段

さて、この得点圏の状況を生み出すための方法はいくつか存在します。その中の一つが、一塁走者をバントで二塁へ送ることです。
このバントはチャンスを生み出すための方法として、野球の歴史の中で多く用いられてきました。
(このNoteを読まれる方の大部分がご存じの通りかと思いますが、その手段の有効性に対して懐疑的な目が向けられています)

D‘Esopo and Lefkowitz進塁規則(進塁モデル)

先ほどまで述べた得点圏、およびバントについては過去に多くの論文や分析が出されてきました。その中で、得点圏の概念をざっくりと直感的に形式化したものがあります。
D‘Esopo and Lefkowitz進塁規則
(以下、進塁規則と表記)というものです。
この進塁規則は、単打・二塁打・三塁打等のイベントによって、塁上の状態がどう変化するかについて簡易にモデル化したものです。

D‘Esopo and Lefkowitz進塁規則の表
大井(2013)p.5より引用

進塁規則の問題点

さて実際の試合の状況と照らし合わせた時に、進塁規則にはいくつかの問題点があります。
それをある程度洗い出したものが下記です。

  1. 走者二塁から単打で必ず本塁に生還できる
    進塁規則では走者二塁から単打で本塁に生還できることになっていますが、実際の試合では走者二塁から単打で本塁に生還できる確率は約6割といわれています。
    (参考:https://note.com/eagleshibakawa/n/n2a3a9e62f8b0
    これにより単打というイベントに限ってみれば、二塁走者の価値が三塁走者と同じになっているということができます。

  2. 走者一塁から単打で一塁走者が二塁ストップ、二塁打で三塁ストップになる
    一塁走者がそこそこの走塁能力を持っている場合、もしくは打球が走者にとって有利なものとなった場合、単打でも三塁、二塁打でも本塁生還できる可能性が考えられます。しかし、進塁規則ではその可能性が排除されています。
    言い換えれば、単打および二塁打というイベントにおいて、一塁走者の価値が低く評価されているということができます。

  3. 二塁走者と三塁走者の価値が同じになる(≒走者一塁からのバントで走者を三塁に送れることになる)
    進塁規則において、二塁走者と三塁走者の動き方は(四死球を除けば)どのイベントでも同じです。
    つまり進塁規則において二塁走者と三塁走者の価値は同等ということができます。
    さらに言い換えれば、進塁規則のもとでは(四死球を除けば)三角ベースと同等の環境ということができます。
    このことがもたらす重大な帰結として、走者一塁からバントで走者を二塁に送った場合、実質的に走者を三塁に送ったことと同等ということになってしまいます。

  4. ヒッティングによる進塁打がない
    実際の試合の状況では、たとえ打者がアウトになったとしても走者が一つ次の塁に進むことは日常茶飯事です。しかし、進塁規則のもとではこの進塁打はイベントとして存在しません。
    つまり、ヒッティングによって走者を次の塁に進める能力が低く評価されているということができます。

進塁規則を仮定においた過去の論文について

先ほどまでで、進塁規則が持つ問題点を検討してきました。
バントに関する過去の論文では、進塁規則を採用しているために、バントの価値が過大に評価されていると思われる論文がいくつかあります。
その論文の一つが下記です。

鳩山由紀夫『野球のOR』オペレーションズ リサーチ : 経営の科学 24 (4), 203-212, 1979
https://orsj.org/wp-content/or-archives50/pdf/bul/Vol.24_04_203.pdf

著者の名前を見たことがある方は多いでしょう。第93代内閣総理大臣、鳩山由紀夫氏その人です。
どういうことやねんという話ですが、1970年代の日本のセイバーメトリクス(まだ日本に「セイバーメトリクス」という用語すら根付いていなかった時代)で最先端を走っていた人のうちの一人が鳩山氏です。

これはぜひ当該論文に一度サッと目を通してみていただきたいのですが、70年代の論文としては非常に先進的な内容であることに驚かれると思います。
論文の内容として、盗塁、バントやヒットエンドランの効果、四球や本塁打の重要度に関する分析等が含まれています。

進塁規則を仮定としておくことにより、現代的な分析と生じる乖離について

しかし当該論文において、現代的な観点からみると問題がないという訳ではありません。
鳩山氏は「得点確率を最大化させる」(得点期待値の最大化ではないことに注意)という基準を用いて、走者やアウトカウントの状況ごとに必要な最低バント成功率を算出しています。
この場合、例えば無死一塁からバントによって得点確率を高めるためには最低バント成功率が.668必要であることなどが示されています。
現代の観点から見ると、かなり低いバント成功率(3回のうち成功が2回!)でも得点確率を高めることができる、という分析結果になっていることが分かります。この結果には、先ほどまで見てきた進塁規則による二塁走者の価値上昇が影響しているといえるでしょう。

鳩山(1979)p.206における、アウト・塁状況別の得点確率表。
走者二塁と走者三塁の時に得点確率が同じであることに注目。

参考資料として、2023年のNPBにおける、アウト・塁状況別の得点期待値および得点確率表を下記のとおり示します。
(参照サイト:プロ野球データパーク 2024年7月4日閲覧)

2023年のNPBにおける得点期待値(得点確率)表
https://baseball-datapark.skr.jp/2023y/arekore/run-expectancy/

上記の表によれば、無死一塁の得点確率が36.0%であるのに対して、一死二塁の得点確率は36.3%となります。
無死一塁からバントによって一死二塁に遷移すると考えた場合、3回に2回しかバントが成功しないにもかかわらず、得点確率が上昇するとは直感的に考えても疑わしいといえるのではないでしょうか?

(なお鳩山氏を擁護するならば、現代的な観点から過去の論文を、しかも70年代の論文を批判するということは容易であり、むしろ論文の瑕疵よりも先進性を高く評価するべきだと思います。)

さて、進塁規則を用いてバントの分析をしているもう一つの論文があります。

大井一輝「マルコフ連鎖を用いた野球における状況別勝率計算とその応用」京都大学工学部情報学科 卒業論文、2013
http://www-optima.amp.i.kyoto-u.ac.jp/papers/bachelor/2013_bachelor_ohi.pdf

こちらは京都大学の学生さんが書かれた卒業論文になります。
こちらの論文につきましても一度サッと目を通してみていただきたいのですが、卒業論文でこのレベルの分析をしていらっしゃるのは相当にレベルが高いといえるのではないでしょうか?
(実際に、この論文は日本オペレーションズ・リサーチ学会の学生論文賞を受賞しています)

この論文では、セイバーメトリクスにおける定説とされている『ほとんどの場面において、バントは得点確率を下げるため損である』という説に対し、WPAをベースにした分析を行うことで、いくつかの場合においてむしろバントが有効であることを主張しています。

しかし鳩山論文と同じように、この論文でも進塁規則が採用されています。そのため、やはり同様にバントの価値が過大に見積もられているということができます。進塁規則の欠点を除いたうえでの分析が行われた場合、その結果が逆になることも考えられます。

ここまで紹介した二つの論文を擁護すると、どちらの著者も進塁規則が持つ問題点のうち、二塁走者と三塁走者の価値が同等である点を認識しています。
そのうえで(不完全であるという認識を持ちながら)可能な範囲で分析を進めたことについては適切な態度であるといえるでしょう。

まとめ

この記事では、進塁規則の内容とその問題点について指摘し、その後進塁規則を用いて分析を行った論文について検討し、進塁規則が持つ影響の大きさを見てきました。
これまでの内容から、一つの教訓を得ることができます。
つまり、何らかの分析結果があった時に、その分析が仮定として置いているものにも目を向けるべきであるということです。

おまけ:素朴な信念の形式化とセイバーメトリクス

ここからはおまけ的な(哲学的)考察となります。

先ほどまでで、進塁規則には問題点が多いことを指摘してきました。
しかし進塁規則にはいい点もあります。それは、野球における素朴な信念を形式化していることです。
進塁規則は、「走者二塁から単打が出ればまあ1点だろう」「走者一塁からワンヒットで走者が帰ってくるには三塁打くらいが必要だろう」という素朴な信念たちを形式化したものだととらえることができます。

このように進塁規則という形で形式化をすることによって、進塁規則自体の妥当性についてより突っ込んだ議論をすることができるだけでなく、(先ほど見てきた二つの論文のように)進塁規則をもとにしてバント等の分析もできたわけです。

野球においては昔から信じられてきた(形式化されていない)素朴な信念が多く存在しています。「バントは有効である」などがそうです。
こういった素朴な信念はぼんやりした形で表現されているため、「どのような状況で成り立つのか」等が固定されていないことがほとんどです。

こうした素朴な信念は、経験による検証を行うことが難しいという特徴があります。
というのも、その素朴な信念はどのような状況で成り立つのか等が固定されていないために、反証の証拠となるものが与えられたとしても反証されたと確定できないためです。
実際に「無死一塁からのバントは多くの場面において有効である」という素朴な信念は、バントが数十年にわたって行われてきたという経験があったにもかかわらず、長年保たれてきました。

セイバーメトリクスがもたらした最大の功績の一つは、野球における素朴な信念を形式化したものによって置き換えることで、経験による検証を受けることができるようにした、という点だと私は考えています。


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