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「休みます」と言えること。本当に「休む」こと。

昨日、思い切ってひとり事務局の仕事を休んだ。

客観的に見ると、気楽な仕事だろう。
けれど、「働く人がひとりしかいない」というのは、客観的に見ても気楽に休めない状況であることはお察しいただけると思う。

でも、心がキリキリと金切り声を上げるのを、もう放っておくことができなかった。

私は、心がそんなに強くないものだということを知っている。
ぽきりと折れたことは数知れないし、粉々に砕けてしまったこともある。
だから、無理はできない。しないんじゃなくて、できないのだ。

というわけで、会議室利用がないこと、緊急の仕事がないことなどを確認し、常務理事(と言っても、普段は別のお仕事をされていて、事務所に常駐されているわけではない)へお伺いを立てる。
理解ある方なので、予想通りそこでどうこう言われることはなかった。
どちらかというと、「気楽に休めない」のは私の気持ちの問題が大きかったのかもしれない。

夫に予定を調整してもらい、ふたりで温泉のあるコワーキングスペースへ。

ゆっくりとした時間の流れる薬王寺温泉地域。
様々なあたたかさに触れて、やさしい気持ちで過ごすことができた。

そして今日からまた、ひとり事務局でいつも通り働いている。
もちろん、一昨日までと何かが大きく変わることはない。
淡々と、1日を編んでいる。

けれど。ひとつ、大きな変化があった。
長らく止まっていた身体のリズムが、動き始めたのだ。
(今日はやけに集中力がなく、数字を書き間違える…と思っていたら、なるほどそういうことか。)

客観的に見ると気楽な仕事かもしれない。
でもやっぱり、心身ともに疲れていた。
もちろんそれは、ひとり事務局員の仕事のせいだけではない。
そこには、貧乏性ゆえ土曜も日曜もいろいろな用事を詰め込んでいたツケも、多いに含まれている。

「休みます」と言えること、本当に「休む」こと、それがいかに大切なことか。
動き出した身体のリズムが、心まで止まってしまっていたよということを、わかりやすく伝えてくれた気がする。

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