ニック・ランド『絶滅への渇き』第九章「人類の破綻-中絶」

「人類の破綻-中絶」


 人間はその本性において政治的な動物である。本性において無国籍であり、偶然によらない人間は、ホメロスが「無所属で、無法で、心のない」と評した人間のように、人間以下の存在であるか、超人間である。本性的に国を持たないために、彼は戦争の愛好家であり、ボードゲームの無防備な駒に例えられるかもしれない。[アリストテレス『政治学』 7]

行動の見地から眺めると、ニーチェの作品は、破綻であり[...]。[Ⅵ 22]


 バタイユの作品は──‘作品’として──特に「難しい」ものではないという感覚がある。確かに、それらは愛と死に対して(死への情熱に対して)、私たちが自分自身を鎮静化させるために使う言葉よりも問題のあるものではない。人はまともで生産的な生を長引かせながらでも、バタイユを簡単に「理解」することができる。これには必要なことがあり、それを完全に勘当するのは偽善的である。これらのテクストに興味を持つことを避けるのはできるかもしれないが、それでもなお、残っていた動揺が、私たちの家庭生活をささやかに彩る小さな怠惰や卑猥さに分解されてしまう可能性はいまだにあるのだ。この理由(理由そのもの)から、私は次のように感じる。すなわち私がバタイユの強迫観念、彼の反復、すでにはっきりと述べられたことを私たちに残しておく彼の 不本意さを理解しているように感じるのだ。バタイユを理解しやすくするための本がバタイユに‘逆らって’書かれているのもこの理由からである。書くことの導師たるグルたちはもちろん、「バタイユ」を無視するべきではないと言うだろう。まるで著者主義という失敗がテクスト主義的勝利に置き換えられたかのように。結局のところ、どちらかの選択肢が残骸である場合、誰がむしろ生や製品に直面したくないのだろうか?バタイユの反復は、それ自体が無意味になることによって引き起こされた悲鳴であり、それ以上に、破綻へと反響しているもつれである。
 バタイユは、全く逆に、誤解されることを恐れて繰り返すのではない。彼が書いたことが単に理解されるかもしれないからこそ、それは果てしなく再主張されなければならないのである。彼の考え方には、恐ろしいほどの単純さがないわけではない。それはおそらく、一つの問いにさえ還元可能である。すなわち、‘ある終わり-目的とは何か?’という問いに。
 人間は二つの終わり-目的を持ち、それらを可能な限り区別したままにしておきたいものである。つまり祝福の‘テロス’と呪いの‘終末’を。この点で、ある種の頂点に達しているのが、カントの不死の実用的な仮定であり、そこでは、目的論的なプロセスの完全性が消滅の無限の後退を必要としている。一方の終わり-目的が他方に取って代わるのである。私たちは今ではすべてカント主義者(私はこの小さなケースを慎重に使っている)であり、私たちの歴史が目的論的なものとして理解されることは、ほとんど自然なことに思われるようになってきた。それが(内在的に)終末的に思われるようになってきたのは、ニーチェ以来のことに過ぎないのである。
 反復は間違いなく、‘作品(œuvre)’の進行を破壊すると非難される得る。反復することは「筋道を失った」というサインであり、再び始めることは言説に固有のおぞましいもの、すなわち崩壊(暴力的な萎え?)、忘却からの帰還としての直観である。酩酊した作家は(文学的な倦怠感に酔っているだけだとしても)、ゴミ箱に散らばっているクシャクシャになったページの内容や、前の段落、前の本、前の何かを思い出すことさえできない。回復しようとする適切な試みがなされていない。過去はその分解において悪臭を放つ。人は再び始める。
 ’ある終わり-目的とは何か?‘恐らくひとは慄いている。ある終わり-目的?ひとつ以上あるのか?問いそのものが一種の違反ではないか?無慈悲な裸化ではないか?死は私の意識の中にけんどんに押し込まれるべきなのか?彼女は待てないのか?眠ることは許されないのか?
 もし生がひとつの言説であるならば、死は待つことができるだろうが、しかし夢は崩れ落ち、反復がある。バタイユのテクストは死を予見しているのではなく、忘却の衝撃のもとで地震のように砕け散る。その波のひとつひとつが、死の味の壊れた追憶である。それぞれの始まりは──そのようなものとして、またその固有の意味とは無関係に──予期せぬ死の影響を受けて、再び動き出す。波には記憶がない。波は暗闇の中でそれらを解き放つ深い引き潮に毎回新たに反応し、それらを受け流す脈に合わせて鼓動する。死という岩屑のような追い払い(shingle-hiss)の不在は、テクストの規則性へと言説的に操作されているが、それは多様な再度の始まりを消し去ることにはならず、静寂への後退の輪郭を示す。「私の中の何かがそれ自体を解き放った」[IV 342]と、短い断片の匿名の語り手は言う。それはこう始まる、「退化の始まりに...」。
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 あなたは自分の生をどうしたいか?それはナイーブな問いではないとき、残酷な問いである。決定的な破壊でないとしたら生とは何なのか?冒涜的な人間が何をまくしたてようと、我々自身の何かを作るということは我々に開かれてはいない。
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 テロスが言説に役立つ一方で、終末の沈黙は消されている。死には代弁者がいない。彼女に提携する者たちでさえ、別の理由でそうしているのである。──例えば──極限の苦痛には、大いなる沈黙との協定を求めて自棄になっている解説者が数多く存在している。この生存へのアドバンテージは、それが誰かのケースを説明するようになるとき、ありふれた偏見ではあるのだが、そのことにとって劣らず効果的な偏見である。理論的生物学は一世紀以上もの間、他に何もないことに基づいてきた。生存は常にどんな考えられる法廷をも不正に操り続けるだろうが、必然性は正義ではないということに、我々はたしかに同意できるのだろうか?(ニーチェは笑う)。
 最後には──人はもはやそれを否定しない──死があるのだが、今のところ人は持っている......他の終わり-目的を?確かに他の終わり-目的があるに違いない。それ自体においてひとつの終わり-目的としての人間?もちろん私たちはそれを持っているし、それをかなり多く持っていると言う人もいるだろう。動物学は、その最も異常な標本──倒錯した動物──を採用するほどに成熟してきたので、人間の固有の尊厳という荒唐無稽な主張を、自然に対する誹謗中傷と見ないわけにはいかない。それにもかかわらず、私たちのヒューマニズムの原理を沈殿させ、それを善性に還元することは可能ではないだろうか?誰が善性以外のものを求めるような不謹慎なことができるだろうか?これは確かに終わりの本質であり、絶対的な終わりであり、そのプラトン的演出(rendition)、すなわち’善‘のなかで見事に輝いている。今日、この言葉はどれほど心に刺さるナイーブさをもって聞こえるだろうか。
 善は、18世紀末までにWille、意志になっていたもの、合理化された欲望の対象である。私たちの経済学者が最終的に定住した言葉は‘選好(preference)’であり、イデオロギー的な傾向のある人は‘選択(choice)’を好む傾向がある。天なる秩序の中で、そのプラトン的適所(niche)から心理学によってウィンクされた後でさえ、善は、その終わり-目的と方向性として、いまだ具体的な理性に不可欠である。善は──考えてみると──まさに私たちが望むものである。少なくとも、それは私たちが望むべきものであり、教育された欲望の可知性である。私たちの文明は、少なくともその大都市圏では、私たちに「財」を大量に与えてきた。しかし、フロイトが示唆するように、私たちは文明に不満を持ち、不満(Unbehagen)に苦しめられる。善性の問題は、その不均衡分布というよりも、それがまったく気が滅入るほど退屈なものであるという事実である。私たちは、私たちのあくびに屈する前に、遠慮なくマザー・テレサに拍手を送る(彼女が性犯罪で起訴されることを願って、戦争の勃発を願って)。おそらく、すべての正義は善の側にあるが、 「善き生」に関していえば、それは死んだ方が幾分良いのではないか?
 近代のショーペンハウアー以来(いやすでにアウグスティヌスと一緒に)、この問題について考えたすべての人は、私たちが善を少しも欲していないことを知っていた。善とは、まさに私たちが欲していないものであり、私たちが欲しているものに対して設定されたものであり、障壁であり、拒絶である。生き残っている苦境に立たされた数人のアリストテレス主義者でさえ、とっくの昔に欲望について語ることをやめ、「美徳」(間違いなく善き人生への道であるが、私たちを完全に無関心にしてしまうか、おそらくは軽い吐き気をもよおさせる道)を好んでいる。倫理的な共同体に向かって働くか、不道徳に唇を奪うかという選択肢に直面したとき、私たちは義務の道を選ぶかもしれないが、私たちの至福がより高いようなふりはしないだろう。
 欲望が非道徳的な野蛮性であることを主張するために議論する必要はもはやない。それについてはほぼ満場の合意があるが、通常は暗黙の自我心理学の形で次のことをストイックに認めている。すなわちセクシュアリティが私たちを病気にするとしても、常に私たちと共にあるということを。しかしながら、誰も「私たちにとって善い」ことを望んでいないという事実で私たちが動揺し切ってしまうだろう、ということは未だにほんとうだ。それが引き起こすわずかな動揺は、通常、より厳しく、より陰湿な道徳化の必要性、より多くの教育、より大きなイデオロギーの浸透、より大きな警察力の必要性として解釈される。私たちが恐怖するとき、私たちの同情は常に野獣にではなく、受動的な主体にあるように見える。
 カントは『判断力批判』に次のように書いている。


悟性を持ち、その結果、自らが意図的に選択した終わり-目的を自分の前に設定する能力を持つ地球上の唯一の存在として、彼は自然の主であり、自然を目的論的なシステムと考えると、彼は自然の究極の終わり-目的となるように生まれてきたのである。しかし、これは常に終末、彼が自然と自分自身に、自然とは無関係に自己完結できるような終わり-目的、つまりその結果としてある最終目的であるような終わり-目的への言及を与えるために、知性と意志を持つ終末においてである。そのような終わり-目的は、しかしながら、自然の中に求められてはならない。[カント X 389]


 「自然のなかに求められてはならない終わり-目的」とは、少なくとも二つのことを意味する。それは、間違いなくカントが望んでいたであろうように、終わり-目的の予備でありうる、他と全く異なる存在論的な層──「超感覚的なもの」──を示しているのかもしれない。あるいは、それは単に、自然には終わり-目的があることを示唆しているのかもしれないし、終わり-目的とはかけ離れ、自然の終わり-目的とは異なった仕方での「存在」しているそのようなものの一種、自然の中での存在がある終わり-目的となるということを示しているのかもしれない。自然が「人間」をある終わり-目的へと至らせないとすれば、「人間」が理解しているのは何なのだろうか?ヒトという動物は、無為に死ぬだけでなく、その肥大化した末端を自然化の最も活発な流れの中に浸透させるというユニークな潜在能力を持っている。‘ホモ・サピエンス’が地球を徘徊して以来、自然は新しい影に適応してきたのだ。
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 西洋の思考を分裂させることが可能とはいえ、一つの亀裂は、──狭くて悪臭のする男性(Anthropos)の池の中で一緒にくたばっている──神-人主義者を非人称性の野獣たちから分離することでこじ開けられ得る。前者は、その道徳的熱狂、偏狭主義、真面目さ、現象学的な気質、民間の迷信への同情によって特徴づけられ、後者は、その運命論、無神論、奇妙な爬虫類的な高揚、そして人間にとって冷淡で、野蛮で、異質なものに対する極度の感受性によって特徴づけられている。ニーチェは、おそらくすべての反ヒューマニスト作家の中で最も偉大な作家である。少なくとも、彼の著作は、ナザレ人の疫病で腐ってしまった西洋世界において、最も強力な非人称性の噴出を証明している。ヘラクレイトスがもっと楽々と非人間的であった可能性もあるし、──十字架の影の下で──スピノザやサドが時折、非自我的な冷たさに匹敵する度合いに達していた可能性もあるが、ニーチェのテクストの外にはどこにも同等の獰猛さを持つ反人称主義的な戦争機械は見当たらない。
 ショーペンハウアーに対する意図的な無知、あるいは愚かさこそが、ニーチェのヒューマニズム的な読み方がこれほど恥知らずに増殖することを許しているものである。つまりその読み方とは、いわゆる「超人」が人間の実存的選択を予感させる読み方、永遠回帰が個人的──あるいは倫理的──苦境であるような読み方、肯定が自発的な同意の行為であり、力への意志が自己主張の心理学的記述であり、価値が主観的に立法された観念性であるような読み方である。
 ニーチェのショーペンハウアー読解に基づいて、意志や欲望の無意識性と非人称性を前提としていたことを明示的に想起する必要はないし、この問題のカント的/ヒューマニスト的理解への回帰を示すこともない。また、意志と時間の超越的な問題系との間の固有な結びつきを、同じ源から受け継いだものであることを再度主張する必要もない。「力への意志」という表現の中に見られるショーペンハウアーへの明白な言及、「客観化の等級」における「階層秩序(rank-order)」の思考のためのショーペンハウアー的な原型、哲学史の観点から見たショーペンハウアーとニーチェ の間の建築的なつながり、女性についてのニーチェの発言における重要なショーペンハウアー的な背景などについても同じことが言えるだろう。ニーチェとショーペンハウアーの断絶は極めて奥深いものであるが、それはある種の非歴史的実在的なインスピレーションというよりは、ショーペンハウアーとの断絶であることに変わりはない。
 もしニーチェの著作全体に占めるショーペンハウアーの重要性を強調することが、初歩的な学術の基準を議論するだけであったとすれば、それは最も粗雑な種類のアカデミックな道徳主義の一部となるだろう。重要な問題は、ショーペンハウアーを参照せずにニーチェを読むとニーチェを読み間違ってしまうということではなく、それがニーチェをより人間的なものにするということである。ショーペンハウアーは、ポストカント主義思想における非人称的なものの偉大な源泉であり、自己の迷信を攻撃するために一神教を宇宙論から吐き出し始めた直後の世代の唯一のメンバーである。ショーペンハウアーの思考の抑圧は、ニーチェを、存在論的に根拠づけられた主体、現実の選択、実存的な個化、還元不可能な人格、倫理的規範、そしてこの種のゴミという一神教的/ヒューマニズム的な囲いの中へと再導入することと連続している。そうしてある種の暫定的な反ヒューマニズムが、準-現象学的または脱構築的ジェスチャーに基づいて開始されるかどうかは、ルターと法王の間で選択を迫られている人を除けば、大きな興奮に値する問題ではないのだ。
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 近代哲学の歴史の中で目的性(finality)があからさまな問題となってきたのは、主に啓蒙主義の思想家たちによるアリストテレス主義的なスコラ哲学の傾向との闘いに起因している。このような歴史があったからこそ、目的性が通常、目的論と機械論、あるいは目的因と作用因の対立という観点から考えられてきた。というのもこの区別は17世紀と18世紀の教会と近代科学の間の戦いの場であったためだ。目的性は神の存在を主張する目的論的議論──デザインからの議論──に結びついていた。それによれば自然は神の設計図に近似したものとして神学的解釈に開かれている。
 アリストテレスにとって、目的論の神学的次元は、そのリビドー的次元と密接に結びついている。というのも欲望は、究極の要石が神の充足である内在的な完全性に向かう傾向として理解されるためだ。あらゆる努力のテロスやゴールは、活動によって前提とされるものであり、それは欲望がすでにその実現のための潜在性を外的に受け取っていなければならないし、そうしてエロスと従属の間のプラトン的な関連付けを維持しているようなものだ。アリストテレス主義的にもスコラ哲学的にも、目的論の使用は、完全性や神の起源的思想に依存しており、完全存在の充足性に欲望を従属させている。言い換えれば、神学的な時間は、完全性や絶対的な達成によって内包されており、それは生成する欲望が時間を超越した潜在的なものなることを奴隷にしているのである。このような潜在性は、最高の知性の中に理想的かつ永遠に実在し、自然界のあらゆる創造性を凌駕するデザイン、原型、または計画である。
 確立された権威と進歩という競合するイデオロギーを調和させようとするカントの試みの一般的な傾向をよく知っている人にとっては、目的性の問題に対するカントの反応の優勢な特徴は、衝撃的というほどではないだろう。最初の二つの批判で、設定された権力に並べられている科学にとって責任ある空間を正当化するために用いた理論的不可知論と実践的護教論の組み合わせは、第三の批判でもなお有効に機能している。神学者の潜在性は、科学の完全なシステムの可能性、すなわち理性の起源的な完全性に由来する規制的な観念として、『判断力批判』に密かに持ち込まれている。目的論は、ドグマティックな理論化の権利を失っても、無限に達成された観念の観点で自然の思想を導き続ける。
 科学の発展を阻害しないために、カントは目的論を非自然化し、その拠り所を彼の実践哲学に、つまり理性に置いた。合理的な存在や人格は、自然界に実体のあるもの──物質の譫妄的集合──としてではなく、それ自身における終わり-目的であり、動物的実在の病理学的要因によってのみ損なわれる完全な善性の可能性を‘アプリオリに’内包していると考えられる。理性によって胎生的に前提とされている人間の完全性を実現することは、道徳の果てしない課題であり、そのプロセスは、その完全な達成の超時間的形態に近似している。このようにして、カントは、プラトンやアリストテレス、教会のように、善性を事前に完全に制定されたもの、超感覚的に導き出された潜在性として考えているのである。
 ショーペンハウアーは、この神学的枠組みから目的性の思想を排除しようとしているが、その成功は厳密には限られている。ショーペンハウアーは、彼の哲学から起源的知性の神学的教義を根絶したものの、自然のプロセスを解釈するためにプラトン的イデアの概念に頼り続け、その結果、カント的な超越論的完全主義の形で、潜在性の目的主義的な教義に屈してしまうのである。ショーペンハウアーもまた、その起こりうるすべての結果を、ヌーメナルな意志の永遠の潜在性として観念することで、欲望から創造性を奪っている。生への意志としての欲望は、事前に与えられた形態の永久的な再具体化にすぎない。
 ショーペンハウアーの哲学は、彼が陥った問題にもかかわらず、意志の知的解釈との戦いを開始し、情動強度(affective intensity)と現象性の厳密な分離を開始し、スコラ哲学、あるいは階級差の哲学を生み出したことで、いくつかの重要な進歩を遂げている。彼は、反カント主義的な三つの重要なジェスチャーの中で、「‘意志’は常に第一の基本的なものとして現れ、終始知性よりも優越していることを主張する」[ショーペンハウアー III 231]、「現象は表象を意味し、それ以上のものではない」[同上 I 154]、一方で「痛みと快楽を表象と呼ぶのは全く間違っている」[同上 I 144]と主張している。そして続けて、「動物の組織の昇順」、「動物のスケール」[同上 III 327]、またより一般的には「意志の客観性の等級」[同上 I 179]、あるいは「‘刺激や興奮’」の程度[III 240]について継続的に言及している。ショーペンハウアーの哲学において、このような思考は、超越論的なものと経験的なもの、主体と客体、物そのものと仮象などの間の一連の双方向的分離に違和感のある仕方で結びついており、それゆえに、彼が「自然の最終的産物」[同上 III 320]と表現する神経系を持つ人間の形而上学的な尊厳の下で格闘されることになる。にもかかわらず、それはニーチェが取り返しのつかないものの閾を超えて激化させたもの、強度における航海の出発点となるのだ。
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 ショーペンハウアーは『性愛の形而上学』の補遺で、アリストテレスの『政治学』の中での次のような主張を引用している。「年を取りすぎた人の子供たちにも、若すぎる人の子供たちにも、肉体的にも精神的にも望ましくないことがたくさんあり、そのような成長期の子供たちは貧弱である」。その少し後に彼は次のようにコメントしている。


したがって、アリストテレスは、54歳になった男はこれ以上子供をつくるべきではないが、健康のためやその他の理由で同居を続けることはできると定めている。アリストテレスは、これをどのように実行するかについて述べてはいないが、両親がそのような年齢になったときに授かった子供は中絶によって処分されるべきであるという意見を持っていることは明らかだ。というのも彼は数行前にこれ推奨していたのだから。[ショーペンハウアー Ⅳ 660]


 この特異な発言の文脈は、男色、すなわち古典的観念主義のリビドー的構成の議論である。哲学的あるいはアカデミックな関係は、ホモエロティックで世代間的なものであり、父系生殖の単位を模倣している制限された教育学である。ショーペンハウアーの努力は、このような関係に生物学的な明晰さを提供することができる記述的優生学を描き出すことであり、その結果として──アリストテレスの引用からも明らかなように──不完全に形成されてた、あるいは老いぼれた精子の伝達によって生じる人種的な劣化を防ぐために、若い男性と老齢の男性を生殖的セクシャリティから遠ざけることを提案しているのである。このようにして、イデア(あるいは完全な形態)と家父長制と人種の衛生との間には、地下的共犯関係が露呈しているのである。
 男色は中絶の代わりになり、中絶をホモエロス的な絆に変換し、達成された形態の支配にしたがって中絶を再生産する。悲劇と救いようのない浪費のラディカルな中絶は、ソクラテス的にイデアの奉仕へと昇華され、管理された精子の政治経済の中で、有神論的な社会性の警察機能となる。このような政治と密接に調和しているニーチェの著作の表面的前意識的な層がある。例えば「力への意志」の734番の覚書では次のように主張されている。
 

 生命の偉大な受託者としての社会は、中絶されたすべての生命に対して生命そのものへの責任がある──そしてそういう命の代償を払わなければならない。つまり結果として社会はそれらを防ぐべきである。多くの場合、社会は子作りを防ぐべきである。この目的のために、子孫、階級、精神に関係なく、最も厳格な制約、自由の剥奪、特定の状況における去勢を準備しておくことができる。[ニーチェ III 923]


 このような発言の中には、中絶と先取り(ドイツ語で「verfehlen, verhindern, vorbeugen」という系統がある)の間にある奇妙な干渉を除けば、アリストテレスの遺産がある。ニーチェのテクストにおいて中絶とは──ショーペンハウアーが開いた緩い意味での中絶であるが──どちらも生殖的アナーキーの可能な産物であり、またそれは優生学体制を特徴づけるものでもある。これらの意味は両方とも、『この人を見よ』の中の彼の有名な言葉「中絶は欠落していない、反ユダヤ人主義者でさえなくとも」[ニーチェ Ⅱ 1119]の中で動作している。中絶を回避するためには、生殖は中絶させられる。社会制度が破綻させられることを避けるためには、破綻は社会制度化されなければならない。ニーチェの議論がこの点でややもつれているとすれば、それは理性の古典的なモデルに本質的な何かが流産してしまったからである。
 生への意志とは異なり、力への意志は、潜在性を実現し維持しようとする傾向によって駆動されているのではない。その唯一の衝動は、自分自身を超克することである。それには動機を与える終わり-目的はなく、ただ衝動の源があるだけである。力への意志が、あらかじめ設定された目的地や予想される完璧さのない創造的欲望であるというのは、この意味においてである。それは、未だ思い描かれたことのないものに向けて放たれた矢なのだ。力への意志とは前表象的衝動の名だ。その衝動にとって生命は道具であり、その傾向は強度から切り離せないものである。ニーチェの著作を駆動する用語上のモーターの中心には、一連の動詞があり、それぞれが系譜的な主題を指定することで教義を覆している。ニーチェは‘道徳化’を完全に「道徳の系譜」として転記しているが、論理の系譜は、永遠化、単純化、神化、立法化などと同様に、平衡化(または論理化)というコンパクトな題名の下で開始されている。力への意志が、ポジティブな非目的論的構文の最初のどもりによって思考に転写されるのはこのようにしてなのである。
 ショーペンハウアーは原始的な非差異化の哲学者である。なぜなら充足理由律によって課せられた空間的・時間的な分離にしたがって、表象を個化することと考えているためだ。ニーチェはこの原理を、彼が「平衡化(Ausgleichung)」と名付けた同一化への一般的傾向に再構築し、このことがニーチェを最初のポストカント主義的な差異の哲学者にしている。その覚書の中で、彼は簡潔に主張している。「平衡への意志は力への意志である」[ニーチェ III 500]。しかし、表面的な見かけとは裏腹に、ショーペンハウアーとニーチェの違いは、単に無差異と差異の思考の間にあるのではない。それは、一方的な、あるいは非相互的な差異の発生的思考におけるフェーズの問題である。そしてその問題は存在論と同義の双方向的差異から出発している。例えば、有機的なものと無機的なものの間には、双方向的な排除や相互的な排除ではなく、無機的なものの中の有機的なものの一方的な分離があり、これは二つのものの間の差異は完全に第一の用語としての無機的なものに内在しているようなものなのだ。これが経済の深遠な意味である。つまり、ゼロ強度とその逸脱との間のエネルギー的な一致、または動詞とその単純名詞の対義語との間のエネルギー的な一致(他に言えば、物質と精神化との間のエネルギー的な一致など)なのだ。このような一致は、伝統的に認められてきた双方向的論理や非矛盾論理の中では考えられないため、ショーペンハウアーはそのラディカルな発掘を阻害されたのである。
 同じものが回帰することは、差異の一方性とは異なり得ない、つまり、回帰とは差異の平衡化との整合性であるということである。それはエネルギーが同じものとして再帰するものであるというのではなく、エネルギーが一方的な一致としての回帰の経済的意味であるということである。回帰とは、エネルギーや宇宙経済の形状ではなく、差異化不可能なゼロの衝撃そのもの、つまり超越性の破綻である。抑圧されたものだけが非抑圧的なものであるような、反応性の勝利を伴った卓越したカオス的ゼロの真の同時性を考えることは、回帰を考えることであり、また永遠回帰が無矛盾律に従って記述可能な宇宙論であるといういかなる提案も、ニーチェの興奮の問題を、すなわち差異の一方的な、唯物論的な、あるいは系譜的な解釈を完全に失うことになる。回帰の唯一の哲学的厳密さは、無差異な物質による双方向的区別の粉砕的洪水からはね出る。精神は、物質と再度来たる物質とは異なるものであり、文化は自然と再度来たる自然とは異なるものであり、秩序は混沌と再度来たる混沌と異なるものである。生が死と一方的に異なるものであるように、充満性がゼロと異なるものであるように、反応性(reactive)が活動的力(active force)と異なるものであるように。超越は、人種であるように、真でもあり不可能でもある。
 「もう一度」とは、ニーチェのテクストが永遠回帰のうわさに不可分に結びつける言葉である。例えば、『悦ばしき知識』の341番の断章では──回帰の教義の最初の「発表」とされることが多い──ニーチェは二度も回帰の同じ表現を使っている。「もう一度、そしてさらに無数度にわたって(noch einmal und noch unzählige Male)」[ニーチェ II 202]。この言葉が彼の著作の中で決定的な役割を果たしている場所は非常に多く、その中でも形而上学的な双方向性の根底にある抑圧された一方性を示すものがある。例えば、ノートの中で彼は次のように述べている。


論理学の「A」は、原子のように、物の再構築である。このことを理解せずに、論理学を真の存在の基準とするならば、私たちは、基体、属性、客体、 主体、行為などのすべての仮説を現実として定置する道を歩んでいることになる。すなわち形而上学的世界、すなわち「現実世界」(──しかし、これはまたしても仮象世界である──)を構想することになる。 [ニーチェ III 538]

「現実の世界」は、人がこれまでそれを想像してきたとしても、常にまたしても仮象世界であった。[ニーチェ III 689]


 ユダヤ的霊感であれプラトン的霊感であれ、一神教は、ヒトという動物の差異的な要素を実体化することで成り立っている。精神、人格、理性、法がすべて人間の特徴として定義されてきたからこそ、絶対的な精神、無限の人格、純粋な理性、完全な正義の下に宇宙が押しつぶされていることに気づくのである。西洋文化と同義のゴシック的な威圧に直面したとき、人は優れた狡猾さ、情報伝達のための肥大化した機能、そして拇指対向性によって有利になる獣を相手にしているに過ぎないという事実を再確認するのは難しい。
 人間性の意味とは、敗者の濫用、すなわち強度的差異が形而上学的分裂へ変容することである。例えばプラトン主義のリビドー的な意味-方向は、網羅的な概念に従った強度的上昇の麻痺である。強度的霊性化は、完全な精神として固定され、こうして、キリスト教が支配する神学的観念主義の停滞したプラトー上で欲望を平らにする。このプラトーの上では──例えば科学的、技術的、産業的成長などの──拡張の進展が可能であるが、そのような発展は、そのイ下部構造的リビドー的な石化によって硬直的に制約されている。すなわち最初がソクラテスであり、地平線の限界がキリストである人間性のなかに幽閉されているのだ。
 ニーチェの診断の大筋はよく知られている。
 

私は生命そのものを、成長のための、持続のための、力の蓄積のための、力のための本能として数えている。力への意志が欠落しているところには、衰退がある。私の主張は、この意志が人類のすべての最高の価値に欠けているということ、──衰退的な価値、ニヒリスティックな価値が、最も神聖な名の下での支配を追求しているということである。[ニーチェ II 1167-8]


 最高の価値の切り下げこそが、ニヒリズムの頂点にある激動こそが、人類を破綻させるのである。高い価値と低い価値を二極化させてしまった人類は、それ自体がその偶像──それ自体があからさまな非実在へと浄化されたものである──に運命づけられていることに気付き、またそれによって、動物性、病理、官能、物質性といったおぞましい価値の中へとぐんぐん突っ込んでいく。このように、人間文明の終わりにはゼロによって引き起こされる回帰があり、再帰の激しい痙攣のモーターは消滅したテロスの空洞であり、神の死である。ゼロの宗教。
 ゼロの生物として、超人は概念的には人間性の明確な進歩ではない。そのようなことは、どのような場合でも、厳密には不可能である。人間性は悪化させられ得るというよりも、ただ破綻させられるだけである。人間の根源にある胚性の人間に似た獣を掘り起こすことがまず必要である。それはそれが埋め込まれている強度的な系列を再び開くために、である。超人が人間性を超えた上昇であるとすれば、それは、その強度的胎児のリダイレクトであるという意味においてのみである。だからこそ超人は主に退行的、すなわち弓の弦の引き戻しのように、強度における飛躍のための延長からの後退なのである。
 ゼロは、自然と文化の間の大きなプラトン的分断の果てに能動的な衝動と反応的な衝動を統合する伝達要素である。ゼロは単一性を持たず差異化不可能であり、すべてのものはゼロを通して再結合される。永遠回帰──最もニヒリスティックな思考──は、すべてのものを再び出発させる。ゼロ的熱意とゼロへの熱意との間のニヒリスティックな無差異によって歴史が再活性化されるように。受動的なニヒリズムは宗教のゼロであり、能動的なニヒリズムはゼロという宗教である。一方では、「ヨーロッパの仏教」[ニーチェ II 767]としてのショーペンハウアーの形而上学的ペシミスムがあり、他方では、溶融の歓喜としてのニーチェのディオニュソス的ペシミスムがある。双方向化された表象の秩序の中では、「無への意志」[ニーチェ II 837, 863]は深遠な両義性を持っている。


「崇敬の念を捨てるか、それともきみ自身を捨てるか!」。後者はニヒリズムであるが、前者もまたニヒリズムではないだろうか。これが私たちの疑問符である。[ニーチェ II 212]
 

 具体的な歴史としてのニヒリズムはキリスト教であり、キリスト教が不可能であるのと同様に現実であるからこそ、自然はナザレのカルトによってその根底へと汚名を着せられることから逃れることができるのである。物質との矛盾としてのキリスト教は、物質とともに一貫して回帰し、それゆえにそれ自体と矛盾している。これがニヒリズムのモーターである。すなわち、大いなるゼロであり、自然と文化の不共可能な一貫性の中にある非人称的な生成者である。
 ニーチェが『反キリスト者』の中で何度も何度も主張しているように、キリスト教は再度来たる(noch einmal)ユダヤ教である。ニーチェは『反キリスト者』の第40節で、「再びメシアに対する大衆の期待が前面に出てきた」[ニーチェ II 1202]と書き、その2ページ後には少し調子に乗って、「再びユダヤ人の司祭本能が、歴史に対して同じ大罪を犯した」[ニーチェ II 1204]と書いている。キリストをヘレニズム化、アーリア化、ワーグナー化しようとする計画を持つテュートン的な反ユダヤ主義の潮流に逆らって、ニーチェは、キリスト教はユダヤ人の一神教の回帰以外の何ものでもないと主張することに執着している。それは単なる繰り返しではなく、悪化させても腐食させても返ってくるものなのだ。「キリスト教徒は、この嘘という最後手段であり、再びユダヤ人となり、三度も繰り返される」[ニーチェ II 1206]。ヨーロッパは、彼らの歴史の中で一なるものの熱狂者の餌食となってきた人々である。つまり、一神教の同様の破局から広がる波紋の犠牲者であり、その一神教は、古代ヘブライ人の戦士部族を使徒と初代キリスト教徒の壊れた暴徒へと文化的に生態解剖したのだ。彼らは十字架の影の下で悲惨な貧困に身を寄せている。
 「もう一度」──回帰──は、思想が理性の相互性と同一性の単一論理によって荒廃している場合を除いて、同一性が繰り返されることを言うのではない。一神教は繰り返されるのではなく、一方的なゼロによってニヒリスティックに悪化させられ、その真理を完成させる神の死へと無抵抗に追い込まれるのである。ここにはニーチェの思考の野蛮な酷烈さがある。


ナザレのイエスの名によって洗礼を受けた小さな反抗的運動は、再度来たるユダヤ人の本能、言い換えれば、司祭の本能であり、それは教会の組織の条件であるというよりも、司祭をもはや現実として許容しないということ、より一層貧困な実在の形態、より一層非現実的な世界のビジョンの発明なのである。キリスト教は教会を否定する...。[ニーチェ II 1189]


 ニーチェのキリスト教への嫌悪感が頂点に達すると、それは「一なるもの」の強迫的な反復になる。一なるもの、一なるもの、一なるもの、一なるもの、何度も何度も。ニーチェが言うところの単調な神学[ニーチェ II 1179]である。すなわちその思弁的な三項対立がすべてを一なるものへと崩壊させる神、父、子、聖霊。力、慈悲、知。単純性、一様性、魂の存在論的個体性。全体的宇宙は画一的形態を求める男根の狂信によって、一緒に崩れてしまった。キリスト教の三位一体は、それがゼロでない限り、すべてのものは一なるものに戻るというデモンストレーションである。差異の問題を一と多の間の対立として設定することは、大規模な戦略的失策であり──西洋はこの点で道に迷った──、真の問題-脱出口は一か多かではなく、ゼロか多かである。ニーチェは書いている。


壁があるところにならどこでも、キリスト教に対する永遠の告発を壁に刻もう。──目の見えない人でも分かるような文字で。私はキリスト教を一つの大きな呪い、一つの大きな本能的堕落、復讐のための一つの大きな本能と呼んでいる。その復讐にとってはどのような策も十分に毒々しいもの、秘密のもの、地下のもの、卑小なものであることはない。──私はそれを人類の一つの不死なる汚点と呼んでいるのだ。[ニーチェ II 1235]

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 この汚点は裂傷ではなく、タコ(callus)である。なぜなら神と人間の結びつきは産業関係の問題であるからだ。統一的存在が仕事の秩序である。創造する神と保存する神、労苦する人間すなわち神学は汗の臭いがする。マルクスよりずっと前に、地球を作業場へと幻覚化させたのは一神教であった。
 

私たちが、自分たちがこうであってこうであるため云々に責任がある人(神、自然)を想像するとすぐに、またそれゆえに、私たちが存在し、幸福になるべきだとか、惨めになるべきだという意図をその人に帰属させるとすぐに、私たちは自分自身のために生成の無垢さを堕落させてしまう。私たちはその後、私たちを通して、私たちと一緒に何かを達成しようとしている人を持つ。[N III 542]


 歴史とは産業の歴史であり、それはただ一つの目標を持っている。神だ。ニヒリズムとは、この目標の喪失であり、人間の終わり-目的の無効化であり、すべての仕事が無駄へと逆戻りすることである。歴史がゼロによって破綻させられるのは、この意味においてなのだ。努力の継続を切望して、ニーチェの超人を新たな目標、目的論の回復、歴史の無化に見合う仕事だとする人たちがいる。ニーチェ自身も、ドイツのプロテスタンティズムが彼の血を毒していたために、そのような誘惑に屈していたのかもしれない。それにもかかわらず、仕事の世界は一なるものとともに滅び、ゼロは戦争のエンジンであると主張されなければならない。


真理が何千年にもわたる嘘との戦いに踏み込むとき、私たちは地震、地震の痙攣、山と谷の逆転、これまで夢にも見たことのないようなものを経験することになるだろう。政治の概念は、その後、精神の戦争に完全に移行し、古い社会のあらゆる力の営為が宙に吹き飛ばされる──それらすべては、地球上にかつてないような戦争があるだろうという嘘に基づいているのだ。私の後に、初めて、地上に大いなる政治が出現する。[ニーチェ II 1153]


 戦争と産業の間には一方的な違いがある。産業は戦争と再度来たる戦争と異なる。だからこそ、大いなる政治とは、単に戦争のエピソードなのではなく、その獰猛さの中での回帰の潮そのものなのである。ゼロ以外に偉大なものはなく、大いなる政治とは、ポリスそのものが犠牲になることである。ニーチェはこのように、「戦争の術は獲得の術の本性的一部である」[『政治学』 16]というアリストテレスの独断に同意することが全くできない。この独断は「飼い慣らされた動物は野生の動物よりも優れた性質を持っている」(同上 11)という主張と関連している。その抑圧がなく奢侈な根本的戦争は、国家に奉仕するものではない。ニーチェの初期の著作の中でさえ、依存の秩序は全く逆であり、ポリスは──その目的的統合とともに──政治以前の軍国主義の帰結であることを明確に示している。『ギリシアの国家(The Greek State)』と呼ばれる1870年代初頭のテキストの中で、ニーチェは次のように述べている。


 先に概説した国家の本質に関連して、戦争とその統一された可能性、つまり軍(Soldatenstand)を考える人は誰でも、戦争と軍を通じて、国家のイメージというか、国家の青写真が我々の目の前に設定されているという洞察に至らなければならない。ここに私たちは、戦争への傾向の最も一般的な効果として、混沌とした大衆と軍人階級の即時の分離と分割を見る。その上に、「戦士社会」の基盤が、ピラミッド状に、最も低く、広く、奴隷的な層の上に、自分自身を上らせせしめているのだ。全体的運動の無意識的な目的は、そのくびきの下に各個人を強制し、異質な本性を持っていても、それらが目的にかなう親和性を持つようになるまで、それらの特性の似通った化学的変容を生み出すのである。[ニーチェ Ⅲ 284]


 ずっと後に、そしてもっと重要なことに、ツァラトゥストラは私たちにこう言う。
 

 あなたたちは新しい戦争への手段として平和を愛するべきである。そして、長い平和よりも短い平和を愛するべきだ。/私はあなたたちに働けと助言しはしない。むしろ闘争せよと言うのだ。[ニーチェ Ⅱ 312]
 

 これらは軍事思想の歴史の中で最も深遠な言葉であり、戦争との一方的な差異化としての平和のリビドー的理解である。広範な、あるいは政治的な平面上では、戦争は散りばめられた力の拮抗的な並置として現れるが、強度的な、あるいは宇宙的な軸では、それは力の変容である。すなわち戦略的な構成や目的から戦術的な断片やイニシアチブへの相対的分解である。この断片やイニシアチブは、ゼロの端にある溶解している励起、ヘラクレイトス的流動の無目標な‘ポレモス-戦争’なのだ。その延長線上では、戦争は一見、専有、支配、従属に向けられているように見えるが、強度的には、掠め取り、浸透、溶解の傾向に従って発展していく。ニーチェによって「破壊への渇望」[ニーチェ III 821]、「破壊への欲動、アナキズム、ニヒリズム」[ニーチェ III 708]、「無への意志」[ニーチェ II 900, III 738]と様々に名づけられた戦争への欲望が単にあるということはなく、むしろ、その強度的な意味での戦争は、欲望そのものであり、 痙攣的な回帰であり、一方的なゼロであるということである。
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 近代の三大経済学的言説は、マルクス、フロイト、グラウゼヴィッツの名の下に要約することができる。それぞれのケースで求められているのは、余剰の厳密な理解であり、またそれぞれのケースで、これは主に成功、すなわち産業的利益、精神的性的満足、または軍事的優位性と考えられている。セックスと戦争は産業的なもの、仕事と戦争はリビドー的なもの、あるいはビジネスと愛は戦争のようなものと見え得る。第一次世界大戦のレーニンの読み方は、フロイトの読み方(ユンガーの考え)よりも説得力があるだろうか、あるいは産業史のフーコーの読み方よりも説得力があるだろうか?そのような疑問は複雑であり、還元への熱望の中で簡単に消されてしまう。さらに、フロイトが精神が戦場であると見なしているように、マルクスは、政治経済には還元不可能な仕方で軍事的な特徴(「いわゆる原始的な蓄積」)があることをすでに見ている。戦争は生産され、欲望され、産業紛争は営まれ、商品はエロティシズム化される。ヒトという動物は、安全な境界線という点から言えば定義に達することなく、仕事をして、ヤッて、戦っているように見える。
 バタイユはこの問題について躊躇していない。彼は、戦争と産業を、無用な消尽と生産的な消尽のそれぞれの傾向として、 全般経済の中に位置づけている。戦争は地球を横切る太陽の流れの自由な運動であり、一方産業はその抑制であり、戦争には非合理性、 恐怖、そして「自己贈与(le don de soi)」[Ⅶ 237、242等]という焼夷的栄光であるような聖なる特徴が染み込んでいる。これは、戦争を生産主義的動機にするレーニン主義的還元に直ちに異議を唱え、代わりに(後期の)フロイトの低次-基底的なタナトス的欲動についての説明に同意するものである。戦争は生産の寄生虫ではないし、ましてやその道具ではない。戦争はむしろ生産に囚えられているものである。つまりその抑圧されたエネルギー源、溢れ出し、暗に示された破局である。生産というフランケンシュタインの怪物ではなく、戦争は太陽の系譜学をもつのだ。
 ここでは戦争は、クラウゼヴィッツ的な意味で言われているのではない、つまり政策の道具としての戦争ではない。ラディカルな意味での戦争は、いかなる種類の道具でもなく、少なくとも政治的なものでもない。政治的なものと戦争の関係は、(実際には)技術的従属の関係ではなく、むしろ、潜在的な包囲領域に対しての非包囲的なものの関係である。戦争が家畜化され、その死向性が完全な溶解へと抑制されて初めて、私たちが「戦争」として知っている哀れな犬は、政策の対象となり得る。すなわち国家の負の可能性として、である。戦争はそれゆえ、クラウゼヴィッツの定義から逃れているのであるが、これはクラウゼヴィッツの考えがその従属的な形態に非常に大きな適切性を持っていることに異議を唱えるものではない。戦争(Krieg)は間違いなくプロイセンの農奴制の傷跡を残しているのだが、ヘラクレイトスが記述した宇宙的な気高さや、孫子が辿った水理的な複雑さの線など、これはその原始的な特徴を消し去る必要をもたない。戦争は──特に仕事の下品な馬鹿さと比べると──美しいものであるという避けられない感覚さえある。というのもそのおぞましい形態でさえも過酷で流動的で手に負えないものへとこぼれ落ちるからだ。戦争とは好運の豊かさであり、それは、恐ろしい殺戮の跡を残している忌まわしき吸血鬼として、害獣や疫病の温床となる沼地としての砕け散っている醜悪さと非常によく一致している。どんなに恐ろしい蠱惑さを持っていようとも、戦争に比するほど深く堕落的であるものはない。戦争は真に唯一‘低次-基底的’であるのだ。
 「戦争」という言葉は、第一次世界大戦をきっかけにフロイトがそれを説明したように、溶解への欲動であるということからその意味のあらゆる重要な流動を駆動している。それは、文明を統一するように見える妥協形成とは無関係に、常に文明とは別のものである大洋的荒野である。戦争は、競合する政治的利益によって、様々な程度の巧妙さをもって、部分的に管理されているコントロールの喪失として、文明の歴史の中に痙攣的に入り込んでくる。このような中断は、脱人間的な退行として行われる。すなわち誠実さへの消去不可能なアレルギーの再浮上となる。そしてそれにとっては「人間」という言葉が囲い込みの対象となっている。ヨーロッパ諸国の武力闘争でさえも、欲望の基礎的暴力的な自由な流れへと向かっての、大規模に抑制された傾きとして見ることができるというのは、フロイトの説明の付随的な特徴である。文明(とそれに伴う軍国主義)は抑圧の戦争的主題であり、戦争のエネルギーはタナトス的なもの、低次-基底水力的なものである。
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 バタイユの著作の時系列的な傾向として、非軍事化の傾向がある。初期の極論を代表する反乱的戦争への熱狂が、1940年代初頭から急速にテクストから消えていくのだ(彼自身が示唆するような断固としたものではないが [VII 461])。供儀的な急務は、ますます戦争を未然に防ぐものとして解釈されるようになる[VII 31-3]。それは平和維持の‘手段’としてのおぞましい状態に向かって不安定に滑りながらのことなのだ。このような政治的な混乱は、再構築的な伝記と回顧的な道徳的な独善的言動の観点から見ると、なんらかの重要性を持っているかもしれないし、その結果がどのようなものであったかということは、全般経済の発展にとって消えゆくほどの些事である。結局のところ、我々が戦争に賛成するかしないかは厳密には問題ではない。(どのような場合においても、我々が賛成し得るのは、戦争というよりこの問いの論争についてであり、それはなんであれ余計なものなのだ。つまり戦争は忌まわしい悪であり、それを肯定することは人間であることをやめることである。)
 戦争は悪ではなく、悪そのものである。人間性の生産資源の無謀な放蕩はすべて軍事的性格を持っている。アナーキーな暴力、定めない放蕩、争い、退行、伝染、そして異質性から凝縮されているのだ。これが、犯罪性が共同体(その遺物が盗賊行為や刑罰形態の軍事的基盤として生き残っている)への攻撃として古代的意味を持ち、無意識が自然発生的に反乱としてメタファー化される理由である。サドのオルギーは、この軍事的原理を共有している。その原理は力、裏切り、供儀的栄光、汚物によって溶解的に「統治」されているのだ。サドのテクストの歴史的・文学的空間であるのは、民衆の中央集権的平和化の崩壊である。すなわち、悪事、無秩序、破滅を引き摺る腐敗した体制の発掘された戦場を、縦横無尽に駆ける異質な力として、社会が武装集団、強盗団、アウトローへと不揃いに瓦解していくことなのだ。
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 戦争は非理性的だ。しかし理性とは何だろうか?それは真珠のようなものであり、長引く苛立ちの兆候である。民衆が哲学的になると、必ずと言っていいほど拷問の制度が見出される。西欧世界では、この拷問の基本的な道具、残虐の議会室(chamber)や‘領域(territorium)’は、魂と呼ばれてきた。黒く湿った凍てつく独房のように、魂は常にそれ自体が苦悩となってきた。ヨーロッパは魂の中で鎖につながれていた。血の滴る手首をぶら下げながら、それが汚らしくカラカラの渇きを伴って破壊を渇望するまで。その絞首刑にされ晒されている神の象徴に「触発」されて、それは永久の粛清(crusade)となってきたのだ。
 哲学者たちは、制御された怒りから生じる、ほとんど説明のつかない莫大なエネルギーで、私たちの脳をかじっている肉食の虫を手当てしてきた。おそらく彼らは、倫理でそれを満足させることができれば、その食い荒らしは一時的に減少するだろうと考えたのだろうが、そのような判断は、軍事的本能の深刻な悪化を証明している。協定の試みはすでに壊滅的な敗北である。弱さを認めること、反応を待つこと、防御すること......これらはすべて、無能だが採用すべき立場である。戦術のレベルでは、防衛的な姿勢に戻ることも時には必要かもしれないが、大戦略はイニシアチブ、つまり攻撃的なものへのコミットメントで始まり、終わりを迎える。プラグマティズムは最終的に攻撃性と切り離せない。その哲学者の側の戦略的な愚かさのために、ヨーロッパはその魂で平和を作ることを試みたが、まだ無情にも──‘刺激されて’──切断は続いており、一口一口で私たちは苦しみ、自己を直観する。
 魂の消散は、理論的表象の客体としての思考には関係ないだろう。哲学的な解消(Auflösung)へのヘーゲルのしがみつきについては、もしそれがそれほど哀れに愚かでなければ、ほとんど感動的な何かがあるだろう。「我思う」理論が単に残忍な冗談、脳卒中へと神経系をおびき寄せる方法であり得る限りのことであるということを知るには、最も初歩的な心理学が必要だ。責任の厳しい様態で考えられているものは何でも、耳障りな悪化としてだけ登録され得る。なぜなら、それはまさに、思考において自身を溶解することのできない自我であるためだ。思考とはすなわち、告解の迷宮を通してその鎖でガチャガチャと鳴らすこと、表象へと、挫折へとエネルギー流束を変換することである。私たちが話すとき、それは私たちの喉の中でギザギザの石のようにガタガタと音を立てる。二千年以上前、私たちは血と癇癪と一緒に奇妙な新しい言葉を吐き出すようになり、ある地域ではリビドーの重苦を「哲学」と呼び始めたのだ。


これらドイツ人は、自分たちの記憶を作るのに恐ろしい手段を使ってきた。それは彼らの基本的な本能と残忍な粗野さの支配者になるためなのだ。古いドイツの刑罰を考えてみるといい。例えば、罪人の頭に石臼を落としたという石打ち。刑罰の中で最もドイツ的な発明で、お家芸ともいうべき車裂き、また串刺し、馬に引かせたり踏ませたりする四つ裂き。十四、五世紀まであった油やワインの釜茹で、「革紐づくり」と呼ばれた人気の皮剥ぎ。他にも胸から肉を切り出したり、体に蜂蜜を塗って炎天下に放置して蝿にたからせたり、ということまで行われた。人は社会で生きるという恩恵を受けるために「私はしない」とみずから誓ったことを、このような凄惨な刑罰の光景の力を借りて、ようやく五つか六つ頭に焼き付けることができる。[ニーチェ II 803-4]


 哲学者は生体解剖業者であり、ヒポクラテスの節度から逃れた外科医である。彼らは、生物を実験するすべての人に共通する精密で爬虫類的な知性を持っている。おそらく、真の哲学者の感情ほど深く凍りついたものはないだろう。理論的に‘興味をそそる’ものを見つけるには、かなり冷静になる必要があるのだ。‘強い’思考とは常に、「切って、それから見る」という厳しいスタイルで実験することである。哲学者の友人──あるいは身体──になるのは容易ではない。哲学者たちは、苦しみを‘楽しんで’いなければ、理性的に考えようとすることはほとんど重要でないと理解してきた。


 大いなる痛み。それは時間をかけてやってくるゆっくりとしたものであり、そしてその中では私たちが緑の木に焼かれるように焼かれていく痛みであり、哲学者である私たちを最初に突き動かしている痛みである。またそれは我々の最終的な深みに登ること、あらゆる信頼や、善意のもの、ベールに包まれたもの、温和なもの、平凡なもの、そのうちにおそらく私たちが以前に自分の人間性を置いていたものをすべて捨て去ることである。そのような痛みが「改善」するかどうかは疑わしいが、私はそれが私たちをより深くしてくれることを知っている。[ニーチェ Ⅱ 13]


 「残忍なこと(remorselessness)」というのは、かなりすぐに口にしてしまう言葉だ。それを自分や他人に対して実行することは難しい。それは美徳とは言い難いし、希望もないし、害をなす。人は、おそらく、それに頻繁に遭遇することに驚くだろう。しかし、砂漠への──不毛なる厳粛さへの──荒涼とした衝動は、どういうわけか永久に再生されている。まるで強迫観念の無益さへの漠然とした分節化されていない憧れがあったかのように。
 そのうちで無用な供儀が自立的なもの──面白くないもの──になってしまったような十分に恐ろしい歴史が与えられるならば、そのようなニヒリズムを説明するのは簡単である。もし人が思考に‘利用できる’ようになりたいと思うならば、厳格で氷のように冷たいコードが必要である。人はまず、自分の人生から切り取られるかもしれない何か快適なものに対する捕食的な意味を発展させることを学ばなければならない。例えば、一度味わって習慣化してしまった小さな贅沢、日常に埋もれてしまったレジャーや道楽の残滓、そして古代的鎮静化の遺物(それらが規律や懲罰、絶望として偽装されている場合も含む)などである。人間は社会的な動物であるため──ある閾値を超えて押し出されると──その孤独が貧困となろうことは必然である。「思想家」を生み出すためには、これを極端に悪化させなければならない。愛の能力を根絶しようとしなければならないし、むしろ、これは非現実的であるため、厳しく麻痺させるようなシニシズムで愛の能力を注入しなければならない。特に重要なのは、優しさのあらゆる痕跡──つまり最も危険なほどに至福な情動──を、徹底的に土に埋めてしまうことである。人生は、その裸の骨組みにまで剥ぎ取られなければならない。また、人が誤って建築的だと思っていた排除されるべきものが常に存在している。建築的だと思っていたものは実際には全く異なっており単に‘補強(reinforcement)’であったのだ。落下を‘許されて’のみ、構造物はその‘痩せ細った’勃起、すなわち背骨を発見するのだから。
 哲学は規律である。ニーチェの『系譜学』を何気なく読んだだけで、この言葉を真剣に読み始めること、つまり無数の血の滴りを示す、甘い香りと腐臭の混ざり合いに気づくことができる。さらにニーチェによって、──神経の張り詰める病を上品さと融合させる──より鋭敏な系譜学的感受性をもつように訓練された者にとっては、より広範でたくさんの臭気が検出できるようになる。発酵した痛みの鋭い刺激、長引く絶望のカビ臭さ、──形而上学的共鳴における豊かで──肥沃な臭いものが、頻繁で早すぎる死の瘴気の中でのみ熟していくのだ。人間の文化の実験室を冷徹に見つめることができる人は、もしいるとしても数少ないだろう。しかしだとすると、これは選択肢の一つにはならない。すなわち、知性の真の鍛錬過程は公開されていないのだ。偶然にも露出したままの残虐行為の断片は、敗北した敵の獣性の誇示、権力装置内での内部紛争や自然の破局の破壊的影響、あるいはこの種の他の理由によらず、一般的に埋もれた恐怖の症状として、機能しなければならないのである。
  規律的暴力が効果的であるためには、次のことが肝心だ。すなわち、それが正当化されることなく存在し、それゆえにポジティブであれネガティブであれ、目的論に対して無差異-無関心であることが肝心である。まるで何かが‘欲されている’かのように見えてはならない。 道具を和らげる最も直接的な方法は、道具に理由を与え始めることだ。最終的に、それは理由を持つ‘権利’を持っていると考え始めるのである。
 もしそれが「教育的なもの」となるならば、苦しみは明らかに無駄なものでなければならない。このような理由から、私たちの歴史は非常に理解不能なものであり、実際、真であったものは何も意味を成さなかったのである。「なぜそんなに痛みが‘必要’だったのだろうか」と私たちは愚かにも問いかける。しかし、歴史が意味を成さなかったからこそ、私たちは歴史から学んできたのであり、その教訓は残酷なものであり続けているのだ。
  無用な苦しみは常にヨーロッパの「実践的な哲学」であったし、私たちの真の‘福音主義’は、他に類を見ない献身的な姿勢で地球上のあらゆる場所に伝えられてきた。結局のところ、それは非常に多くのものごとの秘密なのだ。それほど多くの力は、人がそれを楽しむためのあらゆる能力を失った時点でアクセス可能になるし、奴隷の惨めさよりも主人の悲惨さ方が優れている。このように、理性の空間に入るには、常に野蛮人の激しい喜悦に唾を吐く必要があり、それは代わりに無限の空虚さに甘んじてのことなのだ。
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 学術的な散文は、崇高なディストピアの悪夢に人を突っ込む驚くべき能力を持っている。そして‘このようなゾッとする何かが本当に可能なのか’と人は尋ねる。これらの人々に何が起こったのか?もしかして手の込んだジョークの一部なのだろうか?それとも本が嫌いなだけなのか?ニーチェを銀行の支店長のように、バタイユを作業療法士のように、あるいはデリダを世界史的な人物のように見せる彼らの能力を賞賛することしかできない感覚があるが、最終的に人は嘔吐する。このような文章は、絶望、すなわちそのうちではそれ自身を非難することが可能な一つの宇宙への入門としては比類のないものである。(震える指で人はページをめくる。‘私たちは本当にこうなったのだ’。)焼却された都市の熱烈な夢に苦しめられるには、真正な学問書を読まなければならない。
 バタイユの『ニーチェについて』は、ニーチェの「受容」の塩干潟の中で独り立ちしている(このコンテクストには侮辱に失敗した包括的な言葉はない)。シオランの何気ないジョークの一つは、ハイデガーの重苦しい不適切さを持ったニーチェ全体よりも、ニーチェと接触する上で、計り知れないほど大きな価値を持っている。 例外は十分に稀である。クロソウスキーの『ニーチェと悪循環』は、超越論哲学の臭いがするとはいえ、書かれていないよりはマシだし、ドゥルーズの『ニーチェと哲学』は、もっぱらドゥルーズ(考えることができる学者!)について書かれていることで救われている。そうでなければ、ほとんど神秘的な空虚さ、ロボトミー病棟の訳の分からない言葉しかないのだ。
 『ニーチェについて』に出会うと、人は興奮で、学問や謙遜を示すもののなさ、空虚の中で炎のように燃える散文、正確さ、深奥、‘エスプリ’で興奮してページをめくってしまう。その衝撃はほとんど致命的である。多幸感は何週間も痛みを伴って燃え上がる。ついに!ニーチェの本に匹敵する異常さを持つ本、病気で孤独な本が!このような本が出版されるという事実は、人が持つ種の普遍的な根絶への熱意を減衰させることさえある。
 師についての美しく深淵な本を書いたバタイユを、ドタバタ喜劇を演じているニーチェ主義者たちはどうやって罰するつもりだったのだろうか?答えはシンプルで、彼らの想像力の欠如から推定するだけである。「また同じことをしよう」と、彼らは嬉しそうに叫んでいる。「彼を埋葬しよう。この危険な動物との付き合いにはプロ意識を持って臨もう。もう一人の足の不自由な(limping)ドワーフを育てよう」。
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 表面的には、バタイユのニーチェとの関わりを見つけるのは難しい。超人の知らせには共感を示さず、永遠回帰についての彼の通俗的な読解は軽率かつ粗雑であり、力への意志についての彼の読解は拒否的であった。彼は超人の思想を観念論的生産性主義の亡霊だと考えており、初期のエッセー「老いたモグラ:超人(surhomme)とシュルレアリスムにおける接頭辞surについて」では(やりすぎではないが)、それをシュルレアリスムにおける野望的要素と合わせており、これは彼が決して修正しなかった立場である。永遠回帰、彼はそれをその否定的機能によって疲弊した不動の戦術であると考えている。『ニーチェについて』では、彼はそれを「いかなる‘努力’も先立つことのない受容」[VI 159]と結びつけている。力への意志、太陽の奢侈に溺れた惑星で力の蓄積への衝動が何を必要としているのだろうか?したがって、バタイユをニーチェの著作の迷宮に誘い込むのは、いかなるポジティブな教義でもない。バタイユは、これらの文章の「自身の」迷宮的な性格と、それらの文章に取り憑いているニヒリズム的宗教によって、これらの文章の中に引きずり込まれてしまう。そして彼は神の死を通してそれに近づき、それに「好運への意志」と名付けるのだ。
 好運への意志は、哲学的概念のアーカイブに追加されたものではない。それはまず第一に、言説的責任から、引用、理論的移行、詩、アフォリズム、断片、日記の抜粋のパッチワークへの『ニーチェについて』の沈下なのだ。そしてその多くが一人称で書かれている。このようにして、ニーチェの著作の崩壊的毒性を、アカデミーの衒学者たちとは全く異質な高揚感をもって持続させているのである。バタイユのニーチェとの交わりの中で、解説、釈義、解釈とは全く切り離せない何かが起こる。彼は書いている。「もしも共同体が存在しないならば、ニーチェはひとりの哲学者である」[Ⅵ 27]。──ニーチェ「自身の」テクストのように──『ニーチェについて』は、学術的作品の身体への貢献というよりは、共同体の空間である。「ニーチェと共にある私の生は一つの共同体である。私の本は、この共同体である」 [VI 33]。それゆえ、研究ではなく、産業との協定、戦争の再活性化なのであり、もしニーチェが哲学者と呼ばれるべきだとするならば、それは「悪の哲学者」[VI 16]という暴力的にパラドキシカルな装いにおいてのみなのである。
 ヘーゲルと目的論に関連したカント的な産業主義の破綻した統合に対して、バタイユはニーチェと、混沌、戦争、エロティシズム、そして聖なるものへの降伏の裸形の危険性を対置している。「好運を除いて私が望むものは何もない」[VI 161]し、それゆえに確かに救いではないし、「定義上、賭けの中にはいない」[VI 84]神に関連したものでもない。好運への意志は、もはや内在の無責任さを恨むことはなく、ニーチェは「人間は、神のように断罪することを余儀なくされている、ということはない」 [VI 75]ということを証明するものとして現れている。献身や祈り、希望、あるいは信仰は、すべて好運への意志によって激しく腐食されるし、それは内在へと逆戻りし、また「内在性の状態は、不信心そのものである」[VI 81]。バタイユは何も守らない(人は聖なるものに逆らうことはできない)。「私は賭ける行為の不信心なところ、不敬なところが大好きだ」[Ⅵ 86]。それにもかかわらず、好運ではない宗教は存在しないし、好運の否定ではない道徳は存在しない。道徳はタスクの領域であり、宗教は運命の中で自身を溶解するのだ。
 好運への意志は意志の供儀である。これは意志が自らの終わり-目的を実行するということではない。というのも、いかなる降伏の行動も、単に人間性を強化し、その可能性の範囲を否定へと拡大するだけだからである。どんな行動とも異なり、好運への意志は可能なものの秩序に反抗するが、その反抗でさえも意志によらないものであり、「無秩序において、働いている悪の宿命」[VI 154]のようなものである。好運と意志の間には、不可能性や一方的な差異があり、それはあたかも意志の屈服はそれ自身好運として屈服させられるようなことなのだ。好運とは、いかなる行為者にもできないすべてのことであり、その範囲は虚構(濃密なものではあるが)によってのみ取り巻かれている。それは時間[VI 140, 149]、すなわち個化された存在が交流へと崩壊することと同じものである。「諸存在、人間たちは、自分自身の外に出てはじめて「交流する」──‘生きる’──ことができる。彼らは「交流せ」ねばならぬ以上、悪を、汚れを‘意欲し’なければならない。この悪ないし汚れとは、彼らにおける存在を賭けに投入し、彼らを相互に浸透可能にするもののことである」[VI 48]。
 好運は、可能性の前-存在論的な始原的保存ではなく、好運をそのように考えることは、単に存在論をずらすことであり、好運をもう一度ランダム性に切り詰めることになる。好運はその実体化の外では本質を持たないし、それは、最小限の唯物論的思考の生成のために、(実際のところ理解不可能ではなかった)原理的に十分で初歩的な反プラトン主義の主張にすぎない。好運は、下部...(infra-)、超...(super-)、あるいは源...(ur-)存在の類のものではないし、それが密かに「存在する」という意味は全くない。偶然(accident)の「地」は、偶然そのものよりもさらに偶然的(accidental)なものである。
 好運とは、根本的なものというよりも、裏切り的なものであり、同時にラディカルなものかつ対価のないものであり、そのことによって、存在はその規定のない正確さの餌食となる。存在は、排除的否定性という論理的な亡霊に取り憑かれている事実から、その偶発性の消え入るほどの欠片しか得られないのである。その逸脱の圧倒的に多い部分は、その分解不可能な構成に由来しており、その先には観念論的なファンタズマティクスしか存在しない。もし存在が概念化されているとすれば、論理的機能(無性への対抗、あるいは恣意的な詳述との区別のいずれかの機能)への服従を通じて、それは好運の抑制と一つであるプロセスの中で観念論的に再構築されているのである。低次唯物論を(最後には存在についてのハイデガーの瞑想-省察となる)構成と創造の間の学問的な差異化から分離しているものは、‘存在は在るところのものでしかない’ことを受け入れるというリアリズムである。換言すれば、存在とは非規定的に、あるいは強度的に‘非必然的なもの’であるということである。
 存在がひとつの好運であるということは、それが‘論理的に不寛容’であることを意味する。顕在化のための資源の可能性のほぼ全領域を飢えさせる不寛容さだ。存在の論理(存在論)の真の文脈は飢餓である。この意味において、スピノザ主義は強度の理論的脱圧のための決定的なパラダイムを提供している。というのも、それは存在の論理的不寛容さ(神即自然を書くために必要なこと)の綿密な拒否によってプログラムされているからである。スピノザが惨めにも伝統に‘屈する’のはおそらくここだけである。そしてそれは神の精神病を証明し、暴力や犯罪として唯物論的思想にそれ自体を印象づけるような、めまぐるしい形式的歪曲に対して自分自身を盲目にしながらのことなのだ。
 ニーチェがバタイユの解読するような仕方で好運を宣言しているということではなく、ニーチェのテクストのなかで好運はその豊かな広莫さのなかで爆発し、蓋然性の牢獄から自身を切り離すということなのだ。ニーチェの文章は、教義ではなく、危険性の痙攣であり、それはカントの否定的無の檻を「溶解していて自由な」[Ⅵ 155]ポジティブな狂気の中に浮かぶものへと開くのだ。早くも1936年、バタイユは『生贄-供儀』という論文の中で、このような宇宙的な反論理性を探求している。そこでは、分解不可能な非蓋然性、非合理的な否定、果てしない構成的錯綜が織り成されている。構成物の下層で起こる組み合わせの賭けと比較すると、すべての「存在」は、あまりに暴力的なためにバタイユが「好運」と呼ぶ非蓋然性である。もし起こることの最終層があったとしたら、好運は統計的原理に従属することになるだろうが、それとは全く別のことが起こっている。バタイユはその常軌を逸した空間を──ニーチェのお気に入りの「メタファー」を引用して──一貫して「迷宮」と呼んでいる。

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