俳句・短歌の覚書

 好きな俳句や短歌について思ったことを書いていきます。
※作品/作者名『出典』

✳︎

身ぬちにて昏くさゆらぐ月のみづうみ言の葉をまだ知らぬさいわひ/笹原玉子『偶然、この官能的な』


 何かを名付けるとき、私たちは「それ」と「それ以外」の間に境界線を引く。「それ」を規定するとき、「それ以外」はまさにこの「以外」という言葉が表すように、否定される(スピノザはこのような事態を「規定は否定である」という命題で表している)。名付けられなかった「それ以外」はこぼれ落ちていく。
 この「それ」のなかには必ずこの語を使うひとの恣意性が、選択が混じる。名詞はもちろん、形容詞などにおいてはその恣意性が顕著に現れる。
 笹原にとって「昏くさゆらぐ月のみづうみ」はかけがえのないものなのだろう。それはいつの日か本当に見た風景なのか、それとも揺れる心の比喩なのかわからない。ただそれは笹原の「身ぬち」、すなわち内にしかないものである。
 このような風景や心象を人に伝えたくなることがある。あるいは伝えなくとも表してみたくなることがある。しかし結局のところ、それをそのまま伝えることは不可能である。なぜなら、伝達には言葉が必要だからだ。伝えようと言葉にした瞬間、それは規定され、矮小化される。もっともっと美しく、幻想的で、吸い込まれるような景色だったのに、言葉にしてしまえばありきたりな風景になってしまう。だからこそ笹原は、そんな「言の葉」を知らないことを「さいわひ」だというのだ。
 言葉を知らぬまま生きてゆくわけにもいかない。言語コミュニケーションは生活において必須だ。言葉を知らなければ生きてゆけず、しかし知ってしまえばあの風景を矮小化してしまう。そんな板挟みが「まだ」という一言に詰め込まれているように思える。この「まだ」は笹原の苦悩そのものである。
 このような心を撃つ風景は、自覚しているかを問わず誰しも持っているものだろう。だからこそ私たちは美しいものを追い求める。笹原のこの歌は、笹原個人だけの感性の話ではない。有史以来(史はまさに言葉なしにはあり得ない)言葉とともにありながら、言葉には届かない美しさを追い求めた人々の感性、あるいは有史以前の言葉を知らぬ人々の感性に接続されるような、広大な射程を持っている。
 この歌が収められている連作のタイトルは「わすれられただいじな」である。なにが「わすれられただいじな」ものなのか。それは、この感性による我々の結びつきである。あまりにロマン主義的なこの歌は、「身ぬち」に美しいものをもつ人々に深く共感を与えるだろう。

✳︎

海中に都ありとぞ鯖火もゆ/松本たかし『川端茅舎・松本たかし集』


 松本は虚子に学び「只管写生」を標榜していた。この言葉を聞いて私は「完全に主体を廃し、全くの在るものを詠む」のだろうなと勝手に思っていたのだが、どうやら違うらしい。松本の句には明らかにそれを見ている、ないし行っている主体が存在する。この<海中に>の句は、その主体の存在と絵画的な描写が面白く、私のなかに強く印象付けられた。
 さて、この「鯖火」を見ている人は、散歩だろうか、深夜なのか早朝なのかという時間に海辺に来た。この時間帯に出歩くと、人もほとんどおらず、知っている場所でもまるで未知の土地に来てしまったような錯覚に陥るものだ。そんな夢現の状態で、沖の方を見るとなにやら規則的に並んだ灯りがゆらゆらと揺れている。それは単に鯖漁をする漁船の付けている灯りなのだが、どうもそうとは言い切れないような気がしてくる。実はあの灯りは、我々がまだ知らぬ海中の都を照らす灯りなのではないか?そのような妄想が湧いてくる。
 夜なのか朝なのかという両義的な時間と、現実と妄想の両義性が重なり合っている点がこの句の面白いところである。また海岸で「鯖火」を見ている主体から、水平線に沿っている「鯖火」に向かう視点の広がり方が美しい。この広がりが視点に三次元的な厚み、奥行きを持たせている。まるで遠近法がしっかりと取り入れられた絵画のようだ。
 美しい句だ。

✳︎

(「God-zilaっていうけど、ゴジラはいつから神様なわけ?」。)
ゴジラ脱がせば日焼けの小岱シオンぷはぁ/福田若之『自生地』


 この謎の句についてなにを書けばよいかと考えると、『自生地』という句集について書かなければならないという気になる。
 「一句一句がもし植物的なものであるとすれば、それらの句はきっとそれらに固有の自生地を持つだろう。」福田にとってこの句集に収められた句は全て固有のテリトリーを持つ。己自身を確立し、生を長らえさせるような自生地を持っている。福田は自らが生んだ句(句は言葉自身によって生まれたのであって福田が生んだのではないかもしれない)に対して「この自生地にいかに繁殖しつづけるかではなく、この自生地からいかに出発するか」が問題だと言う。
 小岱シオンの(についての?)句は複数あるが、これらはあきらかに「繁殖」ではなく「出発」のための句だ。これらの句が「いかに出発するか」の契機となっている。
 そもそも小岱シオンとは誰だ?唐突に句集のなかに現れ、句の流れを脱臼させる小岱シオンは誰なのだろう。(脱臼させるのが小岱シオンならかまきりは関節だろうか。)
 ゴジラの着ぐるみを脱いでいるのだから、小岱シオン(たち)は特撮を撮っているのだろう。大学のサークルだろうか。原風景的にそのようなことを思う。ただそのような大学のサークルでのワンシーンは実在しない。実在しないのだが、存在はしている。そんな気がしてくる。小岱シオンはたしかにいた。
 あまりに小岱シオンは軽い。神出鬼没である。現れては消える。消えては現れる。まるで私のテリトリーに根付くことを拒否しているようだ。小岱シオンも自身に固有のテリトリーを持つのだろうが、それはあまりにも軽いテリトリーである。
 小岱シオンはすでに「出発」している。そして全ての句に対して、我々に対して「出発」を促している。ただし実際にそのように扇動するのではない。小岱シオンはアジテーションではなく、コノタシオンなのだ。「自生地」からの「出発」のコノタシオンなのだ。そのため、小岱シオンはこの句集の合間に現れては‘句集’という統合されたものに横断戦を引いていく。あたかも地図が更新されるように。
 小岱シオンによって我々の自生地は横断された。この横断線から、さらに横断線を引いていくことが「出発」となるだろう。

✳︎

ジルコニア一粒の愛偽りは輝くものといつよりか知る/日下淳『ヴェガの発光』


 古本屋で歌集を見ているときに、この一首に目が留まり購入した。後から知ったのだが日下は私と同郷(北海道)であるらしい。
 日下には「冬の死」が理解できているように思われる。冬に私たちは死ぬ。本当に死ぬのではないが、家に閉じこもり、あらゆる欲望の叶え方を諦め、精神を凍てつかせる。死んで、春を待つ。この死によって私たちは己を知る。もっと有り体に言えば、自身に向き合うとでも言えるだろうか。己の諦めた欲望に目を向けるのだ。
 このような季節を日下はよく知っているのだろう。己の非力さと向き合い、底に降り切るような体験をしているのだろう。(身勝手ではあるが)そのような感性に私はひどく共感してしまった。
 さて、この一首について言えばことさら私が開いて言うことはない。ジルコニアはダイヤモンドによく似た石で、代用としても使われる。ジルコニアは偽物である。しかし本物ではないからこそ、偽物であるからこそ、ジルコニアは輝く。偽物であるという自身の限界=死を知って、ジルコニアは輝いている。切実なまでの光だ。
 先程冬の話をしたが、この句集のタイトルは『ヴェガの発光』である。ヴェガは織姫星、夏の星だ。冬にその輝きを見ることはできない。ただ死にながら、その発光に想いを馳せるだけだ。本物の輝きはあまりに遠い。しかしあえて、偽物として、どこまで輝けるのか、日下はこの句集のなかで死に挑み続けているように思われる。
 どこまでも本物になれない偽物は、涯を求めてどこまででも光り輝けるだろう。そして愛は、そのようにしてのみ在り得る。

✳︎

花冷の五臓と六腑別にあり/磯貝碧蹄館『眼奥』


 碧蹄館は名前がカッコいい。私の号である天上火も碧蹄館や山頭火に憧れてつけたものだ。
 それはともかく、取り合わせが面白い句である。私としては取り合わせはうまくできなければ「なんとなくそれっぽい」ものが量産されるだけなのであまり好きではないのだが、碧蹄館の取り合わせは奇妙で面白いものが多い。
 とはいえこの句は、取り合わせが面白いだけではないと私は思う。桜と肉体というのは割とよくあると思うが、「花冷」にすることで「五臓六腑」との間に少し距離が生まれ、ありがちな感じがなくなっている。しかし「花冷」においてあくまでも桜が想起されるため、肉感につながるイメージだけがうまく抽出される。これによって句が洒脱な印象になる。
 また内容も奇妙である。花冷の日に五臓六腑が別々にある気がするとは、少々共感しにくい感覚だ。私の肉体は常に「私一つ」だ。しかし「別にあり」と言われればそんな気もしてくる。たしかに臓器は一つの肉体に統合されているとはいえ、それぞれが独立している器官である。「私」という一つのものにみえるのは、一つの身体のなかで器官がそれぞれ連関したりしなかったりして動いているからだ。もしかすると、私の身体が先にあって臓器を従わせているのではなく、臓器が勝手に動き回り、それをどうにか抑え込みつつ私を形作っているのが身体なのかもしれない。花冷というリズムを脱臼させられる日には、そんなことに気づくのだ。

✳︎

このひととすることもなき秋の暮/加藤郁乎『加藤郁乎俳句集成』


 戯作である。この作品にはあまりにも「なにもない」。ほとんど無である。
 加藤郁乎いえば前期の『球体感覚』や『えくとぷらすま』などの怪奇な作風が目を惹くし、後期になるとこの句のような江戸趣味に転換し、その作風は一気に変化すると言われている。
 しかし前期の加藤郁乎にも戯作傾向がないわけではない。『球体感覚』の有名な句<冬の波冬の波止場に来て返す>はそのいい例だろう。また言葉遊びの傾向も前期からあったものだ。(例えば『えくとぷらすま』の<助情よ少しmatineé マレルブが来る>では江戸っぽい言い回しの「待ちねぇ」がかけられており、一方『秋の暮』では<小細工の小俳句できて秋の暮>というものがある。)
 さてこの句の内容であるが、読むところがほとんどない。「このひととすること」がないのだからよっぽど勝手知ったる間なのか、それとも逆に知人の知人と二人きりになってしまったのか。そもそもすることがない人たちがなぜ一緒にいるのか。読もうとすればするほど捉えどころがなくなっていく。
 バタイユは「肝心なのはもはや風の言表ではなく、風そのものなのである」と言う。まさに加藤郁乎は風を書こうとしたのではない。句を風そのものにしようとした結果、このような戯作に至ったのだ。秋に吹く一陣の風のような作品である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?