自分のFPS遍歴

2023年からCoD esports界隈の隅に体育座りしているような感じになっているので改めて今までのFPS遍歴を3行振り返りしようかと。

①AVA時代
2013年に大学の友達からFPSやらんかと誘われ、ノーパソで始める。それなりに才能があったらしく、初めて1ヶ月でS(キル+アシ)/D:1.0を超えたので、次第にはまっていった。

②BF4初期
AVAに誘ってきた友人はいつの間にかいなくなり、AVAのクラン(チーム)メイトからBF4やらんかと誘われる。もちろんノーパソでは動かなかったので、バイトしてデスクトップPCを買う。スーパーカジュアルなゲームだったが、競技シーンがあることを知り、誘ってくれたチームメイトと一緒に加入。

③BF4後期まで
BF4の競技シーンは昨今のCoD競技シーンと非常に似てて、大会があるたびにチームを組んで終わったら解散を繰り返す。自分も5~6個クランを渡り歩いて、最終的にはアマトップのチームで活動して個人としてもチームとしてもそれなりに結果は残してたと思う。この時期が一番ゲームやってた、6時間くらいぶっ続けでやってもパフォーマンス落ちなかったのに、なんで今やると2時間も持たないんだろうね🤔

④APEX時代
BF4の競技シーンが終わったタイミングで就活だったので、2~3年くらいカジュアルゲーマーとなってたけど、APEXで競技シーンが始まるってなったタイミングでチームを探してエセセミプロのチームに入る。BF以上に大会環境がクソだったので、プレイヤーからチームマネージャーに移行してメンバーの募集、チームの構築をする。日本リージョンを勝ち上がれるチームは作れたので、ちゃんとしたプロチームに送り込んでチームを脱退。初心者向けのコーチングに移行。チーム入ってから1年くらいでまぁ一通りやったかなってなったんで、またカジュアルゲーマーに戻る。

⑤CoD時代
てきとーに強いフレンドとやったり、配信者の公開マッチをスナイプしてあいさつ回りするのもちょっと飽きてきて、カスタムマッチの参加型に行くようになる。もともと競技勢だったのもあり、ちゃんと強い人と戦うのが楽しくカスタムに入り浸るが選手としてはさすがにできないので、大会運営に回る。

大会運営の記事を書いてるけど、そもそもこいつどんな奴なんだろうと思った時に見てもらうようの記事なんで投げやりな文章だけど、飽きたのでおしまい!

※追記:こんな読んでも全く糧にならない駄文にいいねしないでください。
営業いいねお断りです。

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