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「神」がいなくとも
僕は世間一般で"百花繚乱"している「神さま」からは、"ごめんなさい"と丁寧に、遠ざかっています。
例えば、
「この壺を買えば、"神さまのお力"であなたは"幸せ"になれる」
と言われて、
「はいそうですか」
「でも僕が払ったお金、"この世にいない神様"はどう使うのですか?」
と聞いてしまい、その後の"ありがたいご高説"を、延々と聞かされることになることを、避けたいからです。😅
僕は、そういう意味では「リアリスト」なのでしょう。
でも、もし神様が"本当にいたとしたら"と考えた時、その「知恵」がどこまで及ぶのかは、検討も尽きません。
でもその「知恵の一端」を、"この地上で"感じた事があります。
それはいつだったかの「新聞の記事」からでした。
ある事業者が、精神遅滞の3人を不当な賃金で雇い、それが発覚したというものです。
その3人は自分たちの労働の対価として、自分たちが「銭湯に行く賃金」しか与えられていませんでした。
その3人は「一人が銭湯を我慢して、1本のコーヒー牛乳を3人で分け合って飲んでいた」という話しでした。
苦しい環境の中で、自分たちで出来る"唯一の楽しみ"を、その「コーヒー牛乳」に託しました・・・。
この記事について、思う事は"人それぞれ"かもしれません。
ただ、僕はこの話しは、この地上で為された"人間の知恵"は、「神々しい」と、思えたのです。
自分たちがこの世で置かれている環境、能力、境遇、事情、etc・・・、全て違います。
でも、どんな事であれそれぞれが"支え合う心の中"に、僕は「神性」を感じるのです。
「神様」がいなくても、僕たちにはどこかに「支え合う仲間が居る」と思えば、僅かでも「希望」となるのではないかな、と自分としては思っています。
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