クリスマス
クリスマスについて、蝉の亡骸、望まれぬ子供、志村正彦という単語を用いて四百文字くらいで述べよ。
僕はよく星を見たり見なかったりする時にぼけっと空を見上げ、ともすればそのまま歩いたりするのだけれど、人生同様危なっかしいのだけれど、
その時は駅、五年前の駅、改札で天井があって当然星が見えないのにぼけっと上を天井を見上げたのだけれど、そこに蝉。天井に逆さに捕まった蝉。季節は冬。彼と来たら弁慶の立ち往生宜しく逆さ捕まったまま往生したようで、改装した久宝寺駅の天井は清く高く美しく意外に誰にも気付かれず秋を乗り越え冬まで来たようだ。
その後彼は三年ほど駅天井に君臨し続ける。僕はたまにぼけっとそれを見上げて、冬に存在する蝉の違和感や誰にも気付かれていない秘密性に面白みを見出したりした。
そんな見上げる僕が星を見上げながらよく聴く音楽といえばフジファブリックの銀河。寒い冬空に良く合う。人を待つ時は出来るだけ聴くようにしている。間延びした声珍妙な歌詞かすかに聴こえる高速カッティングギター。
作曲者は志村正彦。独特の雰囲気を持つ青年で、クリスマスイブに亡くなった。早すぎる死だと思ったし、今でもそう思う。来年、多分彼と同い年になる僕にはまだ違和感がある。現実を見ろ現実を。お前は来年志村正彦と同い年になるんだぞ。
さて閑話休題。それは3年前の今ぐらい。クリスマスまで後一週間、だったかな。帰途につきホームから改札へ上がる途中。銀河が流れるヘッドフォンを突き抜けて。声が聞こえて。髪の毛を染めた黒いコートの女の子が、誰だか電話をしていてがなり立てて何とも剣呑だ。どうやら予期せざるところで新しい命が宿ったらしい。イエスさまじゃあるまいし。
電話の相手はどうやらヨセフではないらしい。責任を取るつもりがない、勝手にしろ、と相手は言った。多分ね。
何故なら彼女が
「堕ろしたらいいんやろっ!」
と叫び、電話を切り、そのままうずくまってしまったから。
僕は何もできなくて通り過ぎた。彼は酷い人で彼女は可哀想だと思った。
だけど多分その子は生まれる前にいなくなるんだろうな。多分その子はクリスマスも知らないんだ。と思ったよ。
だからまあ、クリスマスも知らないでいなくなる子供の事を考えたら、簡単に自分は不幸だなんて言えないなと思ったよ。改札を通り過ぎて、天井を見上げたら、やっぱり蝉と目が合った。
生まれる前からいなくなる子供がいて、死んでも残っている蝉がいて、生き急いだ志村正彦がいた。クリスマスっていうと僕はそんなことを思い出したりします。
以上クリスマスについてでした。これ今何文字なんだろ。