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読書ログ_「源氏物語に魅せられた男ーアーサー・ウェイリー伝」

今年の大河ドラマは、源氏物語の紫式部ですね。
古典文学の読書会をされている方が、アーサーウェイリーさんが英訳した源氏物語をまた翻訳した本を題材に選ばれたと聞き、わー、面白そうと思いましたが、5cmぐらいの分厚い本が4巻で、Amazonを覗いてすぐに閉じました(笑)。

でも、このアーサー・ウェイリーさんという英国人が、独学で日本語を学び、行ったこともない、そして11世紀初期の日本の物語を英訳したなんて、そして大ヒットさせたなんて、どんな人なんだろうと興味を持ち、こちらの本を読んでみたら、とても面白かったので記事にしてみます。


1.アーサー・ウェイリーってどんな人?

アーサー・ウェイリー(1889-1966)は、英国生まれの東洋学者であり、特に中国文学と日本文学の翻訳で知られています。彼は、ケンブリッジ大学で古典文学を学んだ後、大英博物館で勤務していました。ウェイリーは中国文学に深い造形を持っていましたが、やがて日本文学にも興味を持ち、特に源氏物語に魅了されました。

この本は、まずロンドンの大英博物館周辺の地図から始まります。
なぜかと言うと、ウェイリーは、一生をこの近辺を離れずにいたからです。

大英博物館って、行ったことがないので、グーグルアースで見てみたら、ロンドンのブルームズベリー地区という、ロンドン大学など文教施設が多く、スクエアという広い緑化エリアが隣接していて、知的な落ちついた雰囲気のあるところみたいですね。(いつか行ってみたい♡)

このブルームズベリー地区に当時、住んでいたのが、ブルームズベリー・グループと呼ばれる知的なウェイリーのお友達で、作家のヴァージニア・ウルフや経済学者のケインズとか。

そのグループから、ウェイリーはお茶に誘われたりすることもあったようですが、「ウェイリーは暗くて控えめ」とヴァージニア・ウルフの日記には書かれていたそうで、社交的に楽しく振る舞う人ではなかったらしい。

彼は、経済的にも恵まれた家庭出身で、イングランド名門のパブリックスクールの一つ、ラグビー校からケンブリッジ大学に進み、そこで育まれた知性と精神性が、彼の一生の宝になったと思われます。

「知的な会話なしに生きることなど 不可能だと考えていた」そうですが、当時の環境がとても高い知的レベルだったんだなぁと想像します。

彼は、ケンブリッジ大学を卒業するとき、大学のフェローになることを目指していましたが、左目の病気で断念しました。

文学の探求が大好きで、夢やぶれた場合、多分、落ち込みますよね。
でも、この頃一緒にスキー旅行に出かけた弟さんが、ウェイリーに全く憂鬱な気配がないことに驚いたと言っていて、著者は、これを折あるごとに人を驚かせた彼の克己心は、この頃すでに現れていたと述べています。

大学のフェローになれなかったので、その後いくつか仕事を経て、大英博物館に就職したわけですが、その時の願書がこれまた驚きなんです。

楽に読める言語として イタリア、オランダ、ポルトガル、フランス、ドイツ、スペイン語。流長に話せる言語として、フランス、ドイツ、スペイン語。
さらにケンブリッジで専攻した ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語、サンスクリット語の知識があると述べている。

その後大英博物館で中国語に出会い、日本語も独学で学んでいきました。
どんだけ~。

ウェイリーは、「暗くて控えめ」とありましたが、決して友達が少なかったわけではないようで、その人柄と学識に惹かれ、広い人と交流があったようで、日本からロンドンに行っていたある日本人が、ウェイリーに食事に誘われた時の話が面白かったです。

「その頃、彼は菜食主義だそうで、何かお手製の野菜をバターで炒めた一皿が出て、水がコップに一杯、注いで置かれ、それから生のりんごが1つ宛て出て、それを2人とも皮ごとかじってそれでおしまいであった」と後に有名になるウィリーの質素な食事が紹介されていて、クスッとしました。

2.源氏物語の英訳

ウェイリーは、1925年から1933年にかけて、源氏物語の英訳を逐次発表しました。彼の翻訳は、原文の美しさと精神を忠実に再現しようとする試みで、西洋読者にも理解しやすい形で日本の古典を伝えることに成功しました。ウェイリーの翻訳は、文学作品としての質の高さだけでなく、日本文化への深い理解と敬意が込められていることが評価されています。

失礼ながら、11世紀初期のはるか東方の島国、日本の物語が、ヨーロッパの人に理解できるのだろうかというのが、私の疑問でした。

まあ教科書レベル、受験レベルしか読んだことないんですけどね(笑)。

でも「ザ・テイル・オブ・ゲンジ」の舞台は、騎士道時代のヨーロッパに似通うところがあったそうで、茂りすぎた庭、荒れ果てた家、荒涼とした雪景色、恐ろしい嵐の情景などは、ブロンテ姉妹のプルーストを思い起こさせたそうです。

またウェイリーは、源氏物語が傑出している点として、第一にその性格描写を挙げていて、登場人物の性格が繊細な筆致で描かれているということで、そうなんですかね、読みたくなってきますね。

また源氏物語は恋愛小説で、他にやることないんかい的な個人的な意見を持っていましたが、ヨーロッパの人に抵抗はなかったのかと疑問に思いました。

その点については、ウェイリーは、平安朝の道徳観に全く触れていないそうです。

その理由を著者は、「ケンブリッジは形式を重んじるビクトリア時代の価値観に反旗を翻した『次の時代の始まり』の空気で満たされていたから、彼は、物語の道徳性よりもその作品の文学的価値の方がはるかに重要だったと考えていたに違いない」と述べています。



3.影響と評価

C・P・スノウものちに「1920年代の終わり、私の知る文学青年のほとんどが、『ザ・テイル・オブ・ゲンジ』に魅せられていた。強烈な美的経験だった」と当時を振り返っている。

かなりの誤訳、削除、あるいは添加があることを指摘しながらも 日本でも多くの学者がウェイリー訳の芸術的価値を認めざるを得なかった。

源氏物語の英訳で有名なウェイリーですが、実は、彼の業績の一部でしかないというのも驚きでした。

1966年に他界するまで 「枕草子」抄訳、能の翻訳を含めて、40冊の著作と230点の論文書評を残しているそうです。

仕事の虫じゃん!

実際、そばでメイドが掃除機をかけても全く気づかないほどの集中力で次々と仕事に取り組んだそうです。

でも、社会的な栄誉や地位とかには興味が無くて、コロンビア大学やケンブリッジ大学の教授に誘われても固持し、「死んだ方がましだ」とつぶやいたそうです。

なんて、格好いいんでしょう?





4.まとめ

最後まで読んで頂きありがとうございます。

ウェイリーさんの背景、いかがでしたか?

ウェイリーさんは、裕福なおうちに生まれたお坊ちゃまですが、贅沢な生活は好まず、服も食も質素で 多分、住も豪邸ではなく、お墓に至っては、「手作り」です。

生前、その質素な生活ぶりを困窮のしるしと勘違いしてか、日本で募金運動が企てられたことがあったそうですが、彼の遺産は、納税後で1億を超えていたそうです。

もう、最初から最後までウェイリーさんに魅了され、どのページも愛おしく感じ、満足感いっぱいで、楽しい時間を過ごしました。

著者の宮本昭三郎さんに感謝します。



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