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言語化する美しさ、言語化しない美しさ

冬のつんとした空気は好きだ。けどこの気温差に身体がやられている。暖房の効いた部屋も苦手だし、夜の冷たい風も苦手。ようするに冬が苦手。でもこの冬は結婚式という一大イベントがあるので、身体を壊さないように必死な毎日です。


詩という名の言葉を言語化しない、ということについて、考えている。詩は言葉だけれど、意味を持った言葉だけれど、その意味を詳細に言語化すればいいのかというとそうではない。そうすることによって伝わりすぎる言葉は暴力に近いのではないかとすら思ってしまう。ほどよい距離を保つ言葉だから詩が好きなのだ。

言語化は時に人を傷つける。わたしは直接的な表現が苦手だ。例えば目の前に2人がいたとして、どちらか1人だけに向かって褒め言葉をかけてみたら。それを聞いたもう一方は相対的に、自分は劣っていると思ってしまわないか考えてしまう。言語化することで、言葉に出さなかった方を無意識に傷つけるかもしれない。だから何も言えなくなる時がある。そこまで気にしない人がいることは重々承知の上、やっぱり気にしてしまうのだ。

言葉は思考を伝えるためのツールでしかない。だから言葉が好きだとも嫌いだとも思わない。ただ思考が人を傷つけてしまうこともよく分かる。それが伝わるとき、必ず言葉を用いているのだから、わたしは言葉を発する勇気がなくなってしまう。言語化が怖くなる。

それでも伝え続けようと試みるのは、やっぱり伝えることを諦めたくないからなのだと思う。わたしは思考が自然と溢れることが多い。だからこそ、外に出して表現することで初めて満足できる。その詩、言葉を聞いて「なんかいいな」と漠然と思ってくれればそれでいい。


いや本当は、考えて考え抜かれた思考を言語化して伝えてくれたら1番嬉しい。思考を言語化しないからと言って、そもそも思考しないのは訳が違う。考えられてない、ただぼーっとしている人の言葉は響かないし面白くないと思うほどに、わたしはそっけない。詩だって、考えて考え抜いた結果出てくる言葉だ。あえて詳細に言語化していないだけだ。そのことについてまた考えて受け取ってくれたなら、それ以上に嬉しいことはない。


言語化する美しさと、言語化しない美しさは両立すると思う。景色の綺麗さ、空気のおいしさ、季節の美しさ、そういった言葉にならないことを言語化しようとするとき、それが伝わる可能性を秘めているということだから。

また人と人との関係性から生まれる言葉もそうだ。誰かを想うことで出てくる言葉ほど、誰かを想うからこそ出ない言葉ほど美しいことはない。そう信じていたい。



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