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再び、表現の世界へ。

おそらく3年前からいくつかの同じ服を着続けている。買い替えるタイミングをずっと逃して、出かけたときの写真に何回も登場している。それほどに同じことの繰り返しで生きていることを実感させられる。

何かを変えたくなるのは秋の習性なのだろうか。涼しい風が吹き始めると同時にそわそわするのは毎年のことだ。また薬を少し増やしてもらった。苦手な冬に向けて、さっそく気持ちの波が不安定になった。そして今は不安になりながらも何かを変えたい衝動にかられている。情けない。そんな気持ちが私全体を支配している。わたしがわたしでなければよかった。いっそのこと消えててしまいたい、昔みたいにまだそうならないのは紛れもなく旦那のおかげだ。今はキャンドルに火を灯して、毎日の薬を飲んで虚ろな状態でこの文章を書いている。


ここ1年は表現から逃げてきた。人と、言葉と向き合うことから逃げてきた。心の健康、仕事の継続がなにより最優先だった。おかげでここまで仕事ができるようになって、結果的にはよかった。だけどもうそのフェーズは終わりを迎えようとしている。私は本来の場所に戻りたい、いわゆる表現の世界にまた戻りたい。いっそのこと前よりも深い景色をみてみたい。そんな気持ちでいっぱいだ。

闇を知った、心は疲れた、それでも表現することが心から好きだしそんな自分も大好きだった。一度壊れたものは二度ともとの形には戻らない。だとするならば、また新しく作ればいい。表現とともに生きるには、皮肉なことに感情の波が大きければ大きいほどいい。覚悟。それを飼いならす手段をすこしは身につけたはず、暴れ出したときはまた頼ればいい。その命綱だけを持って、表現の世界にまた踏み出したいと思う。

絵を描く、詩を書く、noteを書く。言葉と色と形で表現する。それらを飾る空間を創る。生み出すために吸収する、学ぶ。大きなことは前と変わらないけれど、もっと狭く深くする。

わたしがわたしでなくなってしまったとき、それを引き戻す手段を失っていた。やっぱりわたしには表現が必要だった。あのとき、人生で一番の闇をみたとき、わたしは表現を持っていた。詩を、絵を、言葉を書いた。どれだけ波が大きくとも、わたしはわたしでいられた気がした。一人だけどわたしはひとりではなくて、複数のわたしと遊んでいた。表現を通して世界を知った。空気に色や匂いがあること、言葉は生きていること、人と人は繋がっていることを知った。それらをわたしは忘れかけていた。手放していた。


手放してから1年。もういいね、充分がんばったね。
わたしはわたしになります。
それが、わたしにとって、表現をする、ということなのです。



2023.9.19

「温かで穏やかな光を見失わず、貴方が生きていけますように。」 そんな気持ちでnoteを届けています。 気に入ってもらえたら【スキ】【フォロー】 さらに【サポート】で応援して頂けるととっても光栄です。