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大人になったからこそ


「自分だけの場所」を探すのがすきだ。
まだ誰にも見つかっていない、あまり人が訪れない静かな場所。そこに行けば、忙しない日々の中でもふと本来の自分に帰ることができる。よそ行きの仮面をはずして、ふぅ、と息継ぎする。

はて、この習慣はいつから始まったのかと振り返れば、始まりはだいぶ幼い記憶。


小学生の頃、校舎を探検してみつけた、屋上に続く階段の最後の踊り場。そこが私にとって1番最初の「自分だけの場所」だった。お昼休みにそこを訪れると、午後の日差しが床を照らしてぽかぽかと心地よかった。お昼を食べたあとは、そこで日向ぼっこをしながら図書室で借りた本を読む。それが私の日課だった。友達が嫌いなわけでも、大勢が苦手なわけでもなかったけれど、この場所で過ごす時間だけは誰にも邪魔されたくなかった。



その後も中学校、高校、大学それぞれの校舎のなかで、ひとり落ち着ける場所をよく探した。図書室の窓ぎわ奥の席、音楽室のベランダ、別棟の教室。


そういう場所って、なんだか他とは違う空気が流れている気がする。日常から切り離された、特別な空気。まるでそこだけ物語の中のような、現実とはべつの時間軸があるような、そんな場所。


これらの場所に共通しているのは、遠くに人の気配を感じられること。いくら静かで落ち着ける場所といっても、物音ひとつしない空間は苦手。足を踏み入れたら最後、その場から一歩も動けなくなってしまう。程よく、人があるく音や何かのもの音が聞こえる場所がいい。そこでぼんやりと過ごす、その時間こそが私がわたしで居られる時間だった。


あの頃に想いを馳せると胸がぎゅっとなる。
そういう場所を見つけて、そうやって適度にひとりにならないと居られなかった。あの場所で過ごした時間が私をここまで連れてきてくれた。



大人になるにつれ、そういう場所が減ったように感じる。子供の頃は探せば(私に見つけさせるために、あえて大人がそういう場所を設けているんじゃないかと思うくらい)いくらでも見つけられたのに。


自分が大人になってみて、はじめて分かったけれど、大人にこそそういう場所が必要だと思う。よそ行きの仮面をはずして、ふぅ、と息継ぎできる、ありのままの自分でいられる場所。だから、もっと目をこらして探してみよう。あの屋上に続く階段の踊り場のように、自分が心から落ち着ける場所がきっとあるはずだから。



ここまで読んでくれて、ありがとう。

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