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ミス沖縄 唯一の後悔

ミス沖縄−。
沖縄の観光親善使節。
沖縄では、毎年3人のミス沖縄が選出され、1年間、沖縄県内外、海外で観光PR活動を行います。

私は、昨年末まで、2015ミス沖縄として活動していました。
今まで、ミス沖縄の経験から感じたことや考えたこと、これから大会に臨む出場者の皆さんへのメッセージなど、様々な媒体を通して発表してきました。

ミス沖縄Facebook

2015ミス沖縄 Special Interview 沖縄LOVEwebTV(YouTube)

元ミス沖縄が語るミス沖縄の魅力(UP WOMAN)

任期中の1年間、毎日が充実感に満ち溢れていました。大好きな沖縄PRできる。しかも仕事を通して、多くの方々にお会いできたり、全国各地を回って風土に触れることができる。これほど面白くて、特別な経験ができる仕事は他にはなく、とても幸せでした。

ただ、私には唯一、任期中を振り返って後悔をしていることがあります。
それは「沖縄の歴史を伝えきれなかった」ことです。

ミス沖縄は、公務の合間を縫って「沖縄」について学ぶ時間が研修として設けられています。2015年はちょうど戦後70年ということもあり、運営側は例年以上に戦跡巡りなどの平和学習に力を入れていました。

かつて沖縄には王国があり、アジア諸国との貿易が盛んでした。日本と異なる歴史を歩んだ沖縄は、琉球処分により日本に組み込まれました。第二次世界大戦末期には本土の捨て石として扱われ、苛烈を極めた沖縄戦では県民の約4人に1人が亡くなりました。戦後、アメリカに統治され1972年に日本に復帰。戦争の爪痕は、今も沖縄に深く刻み込まれています。

また、私のおじいやおばあからも沖縄戦や戦後の話を伺いました。沖縄戦で、戦火を免れるため、寝る間もなく焼け野原の道を歩き続けたこと。沖縄出身というだけで差別されたこと。任期中に、私はそれまで知らなかった歴史を深く学ぶことができました。

しかし私は、この研修などをPRに活かしきれていませんでした。

観光は「光を観る」と書きます。
青い海と空、豊かな食文化、伝統芸能…誰が聞いても、誰が見ても「ここに行きたい!」と思える明るい沖縄をどれだけ伝えることができるか。それがミス沖縄の仕事だと、私は思い込んでいました。

「ダークツーリズム」。
戦跡などを巡り、人類の死や悲しみ、苦しみ、惨禍の歴史を学ぶための観光です。私は、このような観光のあり方を当時も知っていましたが、批判されることを恐れ、PRにうまく含めることができませんでした。沖縄の苦しみを少しでも理解してもらえるのなら、私は完全に否定するべきではないと考えていたのですが、勇気が出なかったのです。

楽しいこと、明るいことを伝えることは素晴らしいことです。これからも私は、大好きな沖縄を楽しく明るくお伝えします!
ただ、それだけではなく、歴史と向き合うことで、さらに深く「沖縄」を伝えられるはずです。

観光は、平和だからこそ成り立つ。この原点に立ち返り、任期中には満足にできなかった歴史と向き合い伝えていく仕事から、逃げないと決めました。さらに歴史を知り、沖縄の魅力を、このnoteを通してお伝えしたいと考えています。
ゆたさるぐとぅーうにげーさびら!

最後まで読んでくれて、いっぺーにふぇーでーびたん!これからも、ゆたさるぐとぅうにげーさびら♪