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琉球の宝!世界遺産「玉陵」を圧倒的な情報量で解説します!

 ハイタイ!今回の動画は「玉陵」を紹介します。首里城と同じく、私の大好きな史跡のひとつです。2000年には、世界遺産に登録されました。

 玉陵は、450年続いた琉球王国の歴代国王が眠る墓陵です。今から約500年前の1501年、第二尚氏王統 第3代国王 尚真王の時代に建てられました。尚真王といえば、琉球王国の黄金期を築いたと言われる王。玉陵以外にも、園比屋武御嶽石門や円覚寺など、首里城周辺の整備にも尽力しました。

 そんな尚真王も眠る、王族の墓「玉陵」。この玉陵から様々な歴史を紐解いていきましょう。

 まずは、沖縄の葬制について。もともと沖縄の墓は「崖葬墓」「埋葬墓」の2つに分かれています。崖葬墓とは、洞穴や岩陰に墓をつくり、遺骸を外気にさらす方法です(風葬)。また、埋葬墓とは、地下に墓をつくる方法を指します。グスク時代以降は崖葬墓が増え、遺体を白骨化させたあと骨を洗い(洗骨)、蔵骨器におさめる方法へと移行していきました。大正以降は法律の制定もあり、火葬が主流となっています。

 では、玉陵ではどうだったのでしょう。史料『玉陵』によると、玉陵には東室•中室•西室と3つに分かれた墓室があります。中室に遺骸をおさめ、白骨化を待ったあと、洗骨をするという方法がとられていたようです。洗骨後の骨は蔵骨器(厨子)におさめ、国王や王妃は東室に、国王•王妃以外の家族は西室に安置されました。

 次は蔵骨器のお話です。王家の骨壺である蔵骨器。年代によって、材質、色合い、形、装飾が異なります。玉陵では70基の蔵骨器があり、そのうち27基の写真がパネルで展示されています。動画の中で年代ごとに詳しく解説していますので、ぜひご覧ください!

 琉球王朝時代は、王家の墓ということもあり、庶民は決して立ち入ることのできなかった玉陵。沖縄戦で大きな被害を受け、悲しい歴史を辿ってきましたが、1501年に建てられた「玉陵碑」など、戦果を免れて現存する貴重な史料も見ることができます。知れば知るほど奥深くて、面白い。この動画をご覧になって、ぜひ玉陵に足を運んでみてください。

※こちらの動画は、那覇市文化財課の許可を得て撮影を行っています。


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