エクソダス

この1年、特に新年度になってからはワンオペで育児をしながらの研究生活に突入し、子どもたちの感染症罹患からの入退院や、自分自身の感染、過労(?)による点滴やら何やらもあり、過酷という言葉でも表現できないほどの苦しい日々を過ごした。

この社会のなかの、公助の網の目からこぼれ落ちる部分、市場的サービスの行き届かない部分を体験し、「もう無理かも」と胃が焼き切れるような思いもした。

しかし、同時に私が獲得したのは、友人知人そして近隣、地域における、緩やかでありながらも自発的なネットワークによる救い、ともに助け合いながらケアをすすめていく新たな日常だった。
それは、かつての自分がそれこそ「理論」上はわかったつもりになっていたものであり、実際は何もわかってはいなかったところのものであった。

同時に、またまだ様々な「後始末」を抱えながらも、私は精神的な自由を手に入れることに成功した。もがき苦しみながらの年月だったが、ようやく「脱出」したのだ。

それはひとえに、私という人間と向き合ってくれた人たちのおかげであり、子どもたちのおかげであり、このような身に扉をひらいてくれた研究の世界のおかげである。

仰ぎ見る諸先生方、博士課程で新たに出会った同期や先輩たち、そして学会や研究会で知己を得ることの出来た皆様の存在は本当に大きい。政治の世界、社会運動、市民運動の現場でお世話になった皆様にも再会出来たり、交流が再開したりした。懐かしさと刺激の両方を受けた。

今年のはじめ、私はブロッホを読みながら、次の言葉を繰り返しつぶやいて、2023年を生きようと決意していたが、この1年はむしろその準備期間であり、次の年こそがその言葉の通りの年になろう、という予感を抱いている。朗らかに、喜んで。

「新しき生ここに始まる(インキピート・ウィータ・ノーウァ」。

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