ケアの倫理を考えることの始まり

育児を通じて、新しい友人がたくさん増えた。何度も助けられ、励まされて何とか日常が成り立っている。
社会保障として公的に提供されるサービスの行き届かない所を、個人の緩やかで自由な結びつきが補っているのを日々、実感している。ワンオペ育児においてはこの「つながり」が命綱だったりする。

ケアの倫理と責任ということを考える時、これが家族という形、制度に委ねられ、特に女性にその負荷が重くのしかかっているという事実を、まさに目下の自分の人生として思い知っている。
これをいかにして「解放」するかは自分のしている学問領域の大きな問いのひとつだと思っているが、様々な議論と論争が展開されているなかで決して忘れてはならない視点は、「解放」を「主導」すべきなのはいままさにケアを担わされている者たちであって、ケアの倫理と責任を身勝手に、そして一方的に破棄してしまえる「力」を持つ側ではないということだ。

革命的に、一気に社会を「変革」することで、抑圧されている側が権利と自由を獲得して勝利を収めるというのはひとつの理想として成り立つだろう。
しかしケアの問題に関しては、「誰が」変革を設計して「主導」するかによって、場合によっては犠牲者を更に暴力的に抑圧する結果を生むだろう。

これについては私は自身の経験に基づいて、きちんと議論を提起したいと思っている。そのためにこそ、いまこのタイミングで研究の世界の門を叩いたのだと思っている。
私は虚像の「理念」を振り翳し抑圧する側に徹底的に抗って、現実的な自由を求めたいから。

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