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「ほんの一歩踏み出す勇気さえあれば」という人たち

 挫折した人、病気になった人、引きこもりになった人などの弱った人たちへ、「ほんの一歩踏み出す勇気さえあれば解決できるのに」と言う人たちがいる。その考えは大きな誤りであり、自分がどれだけ恵まれているか自覚のない、傲慢かつ残虐な発言である。

『ほんの一歩を踏み出す勇気』がない人は、まず存在しない。どんな人だって、興味のある方向に向かってみたくなるものだ。踏み出す足がなかったとしても、止められない限り、這いずり寄ってみるくらいはする。そんなことくらい、誰でも既にやっている。
 第三者にも見える成果に辿り着ける人と、そうでない人の差が出る理由は、努力の差だけではない。スタート地点の違いが最も大きい。「ほんの一歩を踏み出す勇気さえあれば」という傲慢な人たちにとっては、ようするに、『ほんの一歩』のところにチェックポイントやゴールがあったのだろう。辿り着けず座り込んでしまった人が、そこを目指して一億歩を既に歩いていた可能性なんて、想像だにできないのだ。

 残念ながら、人間の価値は大抵、してきた努力の量ではなく、これまでに通過できたチェックポイントやゴールの数で決められてしまう。生まれつき富豪の親から不労所得を引き継げた人は、1円たりとも稼ぐ力がなかったとしても良い暮らしができる。一方、そのような親に恵まれなかった人は、1ヶ月に手取り15万円稼いでいても、前者ほど良い暮らしができない。
 だからといって、努力の量が大きいことが無意味な訳ではない。明日、世界がどう変わっているかは誰にも予測できないので、突然、チェックポイントやゴールの位置がまったく変わることだって有り得る。今日有利な人が、明日から最も不利になる可能性もゼロではない。チェックポイントやゴールが遠のいてしまったときでも、努力し慣れている人は、いつも通りそこに辿り着ける。一方、『ほんの一歩』の範囲しか努力せずに済んでいた人は、二度とチェックポイントを見ることがないかもしれない。

 スタートが有利だっただけの人と、きちんと努力をしてきた人の見分け方は簡単だ。弱った人を見て、「ほんの少し頑張ればいいだけなのに、怠けている」という考えを口にする人こそ、スタートが有利だっただけの、ほんの少ししか頑張らなかった人たちである。そして、「ここにチェックポイントがありますよ、ゴールはこっちですよ」と伝えられる人は、努力を知っている人たちであり、自分自身を含め、不幸な人々を救える存在である。

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