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手土産には東京ばななを。

私が小学生くらいのとき、月に1度の頻度で父親が東京出張をしていて、その手土産は決まって東京ばななだった(正確には東京ばななパイ)。

出張の日は、お父さんが玄関を開ける音がした瞬間に走って出迎え、靴を脱ぐよりも前に東京ばななパイを剥ぎ取り、手を洗ってリビングに入る頃には外紙をビリビリと開けて既に1枚を食べ終えていた。

他のパイ菓子よりも大きくて、ほんのりバナナの香りがして、甘くてサクサクの東京ばななパイ。

1箱に割と沢山入っていた(確か12枚?)のに、いつも3日後には半分以上を食べていた。
最後に食べたのは10年以上前だけど、当時食べ過ぎて今でもはっきりと味を覚えている。

他のお土産は殆ど記憶にないし、なんなら、東京ばななパイ以外のお土産だったときは不満すら言っていたと思う。

それだけ、東京ばななパイは特別な存在だった。


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東京ばななパイで喜びの頂点に達する小学生だった私も、休日前のお風呂にゆっくり浸かる時間に1番の幸せを感じる25歳となった。

社会人2年目の春にコロナが蔓延してからは、実家(関東圏)に帰る頻度がぐんと減って
半年に1度、最長で1年弱東京行きのバスに乗らなかった。

その代わりにたんまり長野を満喫してたけども。笑

そうして、やっと今月くらいからコロナが急減して
ワクチン2回目を打ったこともあり、週末実家に帰って、大学と友達にも会ってきた。

高速バスに乗って、新宿バスターミナルに到着。
あっという間に大勢の行きゆく人、都会の騒がしさに巻き込まれる。
夜なのに、むしろ夜だからか、電光掲示板の光が不自然なくらい眩しくて、夕方の住宅街を包むオレンジの光と思わずお腹が空く夕飯の匂いはどこにもなかった。
学生の頃、あんなに電車に乗っていたのに乗り場を覚えていなくて、スマホで電車を調べながらキャリーケースと一緒に人混みをかき分けて、既に乗客でいっぱいの電車に乗り込む。

ようやく辿り着いた久しぶりの実家は、庭の草がぼうぼうと伸びていたし、客観的に見ると「あ、ここ掃除した方が良いのでは…」という箇所がいくつも目についた。私が今住んでいるアパートもそうだけど、自分が日頃から暮らしていると汚れや散らかり具合には気づかないものだよね。
両親は変わっていないように見えるけど、どことなく前よりも落ち着いた気がする。

友達に関しては、大学時代2人の女友達がいて
片道2時間の実家通いだった私は相当な頻度で彼女らの家に泊まり、カラオケの後にワンルームで軽く飲みながら夜中までガールズトークを繰り広げるのがお決まりだった。

そんな友達も、1人は結婚して今では1歳児の母となっている。大学時代、「将来野球チームを作れるくらい子供が欲しい」と常に言っていたので、9人は難しくとも今のところは順調そうで何よりだけど、共働きなので毎日分刻みで大忙し。現代は共働きが大半だとよく聞くけど、どっちもフルタイムで働きながら、子育てと自分達の生活を回しているなんて本当に尊敬する。
私は自分の機嫌と仕事の疲れを取るので日々精一杯だというのに。

もう1人は就職して初めての海外出張中で、なんとリベリアにいる。この友達は、大学生のときから自分のやりたいことが明確に決まっていて、それを実現するために今の仕事を選んだ。出会った7年前からずっと目標がブレない姿がとてもかっこいい。


私はというと、隙あらば山に籠るようになり、以前と変わらずハロプロの動向を追って、彼女達の健やかな成長と幸せを日々願っている。
母親になった友達もやりたがっていた教育系の仕事をしているので、やりたいことも未だ見つからず、描く将来もその時々で変わる私からすれば、「芯」を持つ2人はすごいと思う。
けどその一方、柔軟性があって、決まっていない未来を楽しむことができる自由がある私のことも好きだ。

3年間でそれぞれのステータスは随分と変わったけれど、2人と話すと心の底から楽しいのは今も変わらない。
人生において不変なものはほんの僅かで、その希少さを忘れてはいけないなと思う。

とはいえ、変わったことで新しい話題も生まれるので、最近は嬉しい気持ちと、あの頃には二度と戻れないんだなというちょっとだけの寂しい気持ちを交えて2人と話をしている。

タイトルの東京ばななパイが消えたので話を戻すと、
今回帰省をするにあたって、
「東京といえば、東京ばななって美味しいよね。」と名古屋出身の彼から何気なく言われていた。

その言葉を思い出して
帰りの高速バスに乗る前に東京ばななを買って、「そういえば、あんなに食べていたのに自分で買ったのは初めてだなぁ。」と思い、
冒頭の記憶をぼんやりと思い出しながらバスに揺られて長野に帰ってきた。

買ってきた東京ばななを彼に見せても小学生のように狂喜乱舞はしないだろうけど、きっと喜んでもらえると思う。

これまでお土産は買ってきてもらう側の人のためのものだと思っていたけど、大切な人の喜ぶ姿を思い浮かべながら選んで、思い出と一緒に持って帰る人のためのものでもあると気づいた。

3年前の私が長野に住むなんて夢にも思わなかったように、将来私がどこで、誰と、何をしているかは何も分からない。
彼と暮らしているかもしれないし、1人で気ままに過ごしているかもしれない。その時の家族は猫かな。
関東に戻るかも、北海道にいるかも、なんなら海外に住んでいるかもしれない。
仕事だって、少なくてもどこかの部署に異動してるだろうし、会社すら違う可能性もある。


ただ、もしこのまま長野に住んで、
もし子供を産むという未来になるのなら、
帰省をした時は
東京ばななを片手に帰ろう。

そして、あの時のお母さんと同じように、
「1日2枚までだよ。」と笑いながら言いたいと思う。

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