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【牧丘郷土文化館・休館中】旧室伏学校、雁坂ラインの道の駅に建つ擬洋風建築

はじめに

 「牧丘郷土文化館」は、山梨と埼玉を結ぶ国道140号(雁坂ライン)にある「道の駅はなかげの郷まきおか」の敷地内に建つ明治時代の学校建築です。
 明治期の山梨では官公庁の建物をはじめ、学校建築に擬洋風建築が多く採用されていました。擬洋風建築とは日本建築に西洋建築を似せて造った建物のことです。
 この牧丘郷土文化館も擬洋風建築のひとつです。元は室伏学校の校舎として建設され、建物はその形から「インク壺」と呼ばれ地域で親しまれました。
 2003年(平成15年)現在地へ移築され、牧丘郷土文化館として開館しました。2005年(平成17年)に山梨市、牧丘町、三富村の合併による新たな山梨市が誕生し、山梨市の文化施設となっています(管理運営は牧丘支所内の教育事務所)。

休館中の施設の紹介にあたって

 筆者としては、初めて休館中の施設を紹介します。山梨に現存する藤村式建築をすべて紹介したいと考えているのですが、この施設のみ見学の出来ない状態になっております。それでも、建築物という特性上外観だけの紹介でも雰囲気は伝わるのではないかと思い、紹介記事にいたしました。
 私見がところどころ入り、お見苦しい点もありますが、お許しください。

休館中(2022年12月現在)

 牧丘郷土文化館は、緊急事態宣言のあった2020年(令和2年)より休館が続いています。感染防止と経済活動の共存を図る現在において「感染拡大防止」を理由にした休館はもはや社会から取り残された印象です。道の駅という観光要素の強い立地にあればなおのことです。

コロナで休館はやる気度を問われる

 担当部署の説明によれば、郷土文化館は換気機能が十分でなく、換気装置等の導入を検討しており、来年度の再開を目指しているとのこと。
 せっかくなのでそうした理由は記載して欲しいところです。そうでないと「グリーン・ゾーン認証制度」で観光との共存に力を入れている山梨にありながら、やる気のない施設と思われます。

はなかげの郷まきおか

 国道140号(雁坂ライン)は、かつては開かずの国道と呼ばれた難所でした。1998年(平成10年)の雁坂トンネル開通により往来が出来るようになりました。そんな国道140号の途中にあるのが、道の駅はなかげの郷まきおかです。
 「はなかげの郷」とは、童謡「花かげ」を作詞したの動揺詩人の大村主計かずえ(1904年~1980年・明治37年~昭和55年)の出身地が諏訪村(後の牧丘町、現在の山梨市)であったことに因みます。

花かげ
作詞:大村主計 作曲:豊田義一
十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに 
花嫁すがたの おねえさま
くるまにゆられて ゆきました

童謡「花かげ」1931年
物販の建物と奥に見える郷土文化館の建物

 通常の道の駅同様に、物販や食事が出来る建物やトイレの建物があります。特徴的なのは、すぐ裏の小高い山は遊具のある彩甲斐公園や移築した郷土文化館があることです。

園内マップ、緑色の小高い公園が大半を占めます

藤村式建築

 拙稿「藤村記念館」にて紹介しておりますが、藤村式建築について簡単におさらいしておきます。

 藤村式建築は、明治時代初期の県令(現在の知事に相当)である藤村紫朗(1845年~1908年・弘化2年~明治41年)に由来します。藤村は擬洋風の校舎を作るよう推奨しました。藤村が進めた擬洋風の学校建築は共通の特徴を持つことから現在では「藤村式建築」とは呼ばれています。現存している藤村式建築の建物は5棟のみです。
 さて藤村式建築の特徴ですが、建物全体の形は、左右対称の2階建てで1階中央に入り口と2階部分にパルコニーがあります。また屋根の上に突き出た太鼓楼という塔部分があります。また上空からみると建物は正方形の形をしてます。こうした姿から「インク壺」とも言われていました。
 この室伏学校の校舎も、これらの特徴をすべて備えています。

斜めより全体の外観
太鼓楼
中央にバルコニーがあります
正面入り口と木造の円柱
菱形の透かし天井とバルコニー
黒色の漆喰で石を再現

 建物裏の出口や灯りまで見事に修復されています。

スロープ状でバリアフリー対応(?)の裏口を発見

室伏学校

 建物の前に室伏学校の校歌の碑がありました。また、諏訪尋常小学校としても同じ校歌が用いられていました。
 もともとはこの地より、500メートルほど離れた室伏公民館の地に学校があり建っていたものです。
 1875年(明治8年)に室伏学校(室伏村)として建設されてより、諏訪尋常小学校(諏訪村)となり、その後紆余曲折があります。

室部学校と後継の尋常小学校の校歌碑

 室伏学校は校舎竣工の翌年、1876年(明治9年)開校しました。室伏村が明治8年に合併し諏訪村(のちに諏訪町)となっているためでしょうか、諏訪尋常小学校(明治18年)となります。その後名称は室伏尋常小学校(明治26年)となり、諏訪高等小学校の併設(明治43年)を経 て、1933年(昭和8年)室伏尋常小学校は廃校となっています。
 その後、建物の用途は点々としています。順に、室伏地区公会堂、日川高校諏訪分校、山梨高校諏訪分校(定時制)でした。
 1954年(昭和29年)、諏訪町が他の2村と合併し牧丘町となります。
 その後は、牧丘第一保育所、養蚕場、そして昭和47年より移築されるまで室伏公民館でした。
 2003年(平成15年)移築復元ののち牧丘郷土文化館となり現在に至ります。

牧丘郷土文化館

 建物の内部は、童謡「花かげ」の大村主計をはじめ、旧牧丘町出身の著名人に関する資料のほか、ルーベンスの版画やクロードロランの版画など旧牧丘町で所蔵していた美術品が展示されているようです。
 内部の公開が再開された後改めて訪問することにします。

小高い公園へ向かう階段の中腹より
トイレと思いきや擬洋風な機器室

おわりに

 休館中の施設のため、外観のみの紹介となりました。山梨市のリーフレットや他の見学施設では休館の旨を案内していないため、注意が必要です。
 道の駅から国道140号の信号を見るとちょうど富士山が見えました。

支柱や電線が邪魔ですが、はっきりと富士が見えました

 他の藤村式建築もご覧ください。

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