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[日記]【‘‘速筆と遅筆’’】

文章が速く書けるときと、遅くしか書けないときがあるのだが、そうしたときというのは何が違うのかということをここしばらく考えていました。
速く書けるときというのは、私の場合、だいたい1000から1200文字を20分弱で書けるのだか、遅いときだと一時間弱かかるときがあります。
書くテーマ設定にもよるのだが、遅いときだと1記事あたりを一時間弱だと、速く書けるときと比べれば、かなり生産性が落ちてしまっていることは一目瞭然だと思われます。
だが、速く書けたからといって記事の質が良いというわけでもなく、質と生産性は比例しないものだと思います。
遅く書いたものほど、かなり熟考して書いているので速く書いたものよりも質の濃いものとなるわけだが、読み手にとってそれが力作だと捉えるのも読み手しだいだと考えられます。
速く書いたものも、遅く書いたものも、あるいは分量だけ多く記された記事も、全てが良いか悪いかという問題は書き手の判断だけでは分からないことがあります。
私にとって、読書や書くことにまつわることならば、参考文献なしでもある程度は頭の中にある引き出しから関連するワードをいくつか引っ張り出して文章をまとめる作業は苦ではありません。
ですが、専門外の話題を語る場合、本や映画、動画などから情報を得てから自分なりの解釈によって考察するまでがプロセスです。
情報を得るというのは、インプットに費やす時間が実質的に必要ということになり、インプットに費やした時間をたくさん確保できれば、その分アウトプットの時間を短縮させて結果、速筆も可能となります。
そうした、速筆と遅筆の違いというのは、あるテーマに関する知識があらかじめ、どの程度まで入っているかによって時間のかかり方が変わってくるものだろうと思いますし、私が記事を書く場合、全体を通してだと遅筆だと感じます。
それは、記したものを納得するまで読み返す推敲にかける時間が加わっているからだと考えられます。
速筆や遅筆にとらわれずに、書くスタイルを変えず、自分の書きたいものを書く精神こそが不可欠だと思いました。

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